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目を瞑っても瞼を突き抜けるほどの閃光に、エリサの視界が白く染まる。身体はまだ硬直していて、地震のような衝撃が足元を貫いたのと、誰かの力強い腕に抱き寄せられたのは同時だった。走馬灯は見えなかった。
全身が強張ったまま、エリサは感じる。目を開けてみるが、まだ何も見えやしない。けれど誰かに抱きしめられているのは解かる。顔に当たる厚い胸板。腰を引き寄せる太く逞しい腕。最初は舞哉神父かと思ったが、感触がおかしい。肉じゃない。鉄とも違う。温かい熱を持った、優しく強い金属。矛盾を孕んだ、だけど怖くない肌触り。
徐々に視力が戻ってくる。うすらぼやけた世界の中で見えるのは、一面の銀。よく見るとそれは、装甲板のような鋼の胸板。
「なに……これ?」
ゆっくりと視界が広がる。目の前に立つのは、巨大な白銀の鎧。全身の筋肉を再現した、筋骨隆々《マッシブ》なデザイン。それでいて、どこか機械的な外観。虎の頭部を模した兜は巨躯と境目なく繋がっていて、虎の頭をした人間のようだ。例えるなら、お伽噺に出てくる人虎。そんな奇妙な甲冑を着た大男が、巨大な鐘を軽々と片手で頭上に持ち上げていた。そこまで見てようやくエリサは、この謎の甲冑が自分を助けてくれたのだと理解した。だがそれとこれとは別として、いきなりこんな奇妙な騎士が現れては混乱せざるを得ない。
「うわっ、なんやコイツ? コラ、ちょ、離せアホ。どこ触ってんねん、どスケベ!」
必死に身をよじるが丸太のような腕にがっしりと腰を掴まれて、とてもじゃないが抜け出せそうにない。それどころかびくともしない。
「おいおい、暴れるなよ。バランスを崩すだろ」
「へ?」
聞き覚えのある声はすれど、姿は見えず。それもそうだ。まさかあのちんちくりんが一瞬でこんな大男に変わったなんて、普段なら絶対に信じられなかった。今日一日、いやこの数時間でエリサの常識を粉微塵に破壊するほどの出来事や情報がなければ、その可能性を指摘する以前にそういう発想すらなかっただろう。
「あんた……、もしかして虎鉄か?」
「もしかしても何も、どっからどう見ても俺だろう」
「……いや~何て言うたらええか、どっからどう見ても置物の甲冑みたいになってるで」
「え、何それ? マジ?」
「ほら、自分で見てみ」
エリサが制服のポケットから折り畳みの小さな鏡を取り出して、虎鉄の姿を映して見せる。
「うおっ、何だこれ? これ俺? 変身してる。何で?」
「知らんがな」
「それになんか視点が高い。背まで伸びてる? うわすげぇ、メタルタイガーマスクみてーでかっけー! うひょ~!」
「やかましい。アホみたいに喚くな。ええからとりあえず手ぇ離して。痛いっちゅうねん」
「おお、すまん」
ようやく開放され、まだ鐘を持ち上げたままはしゃぐ虎鉄から少し距離をとる。あまりにも軽々と片手で振り回しているので、鐘が無駄にリアルなおもちゃかハリボテみたいに見える。
「もう鐘下ろしたら? って言うか重たくないん?」
「おう、あんまり軽いから忘れてたぜ。よっこいせ」
年寄り臭い掛け声で無造作に鐘を地面に下ろすと、どすんと地面が揺れてエリサがちょっと浮いた。やっぱり本物だったようだ。
「おいおい、すげぇ音がしたぞ。どうしたどうした?」
轟音を聞きつけてぞろぞろと裏庭にやって来た舞哉とスフィーは、突然姿が変わってしまった虎鉄を見て、口々に勝手な台詞を吐く。
「うわ何だコイツ、変身してやがる。しかもデカっ。俺よりもデカっ、クソッ」
「お~、こりゃまた見事に発動したものじゃ。良かったのう、可愛い弟子が無事変身できて」
からかうように肩を叩くスフィーにフン、と鼻を鳴らして舞哉が虎鉄の前に立つ。巨漢だと呼ばれる舞哉よりも、今の虎鉄の方が頭半分は大きい。身長を抜かれた事に、舞哉の口が不機嫌に歪んだ。
「ったく、お前って奴ぁ……、いつか何かとんでもねえ事をやらかしてくれると思ってたが、まさかこの土壇場でやってくれるとはな」
「師匠、これがそうなのか? 昔見た師匠の姿とは、かなり違うんだけど」
「アペイロンは魂のカタチに応じてその姿を変える。その姿は、お前の魂のカタチだ」
「これが俺の、魂のカタチ……?」
「そうだ。肉体など所詮、魂の入れ物でしかない。肝心なのは魂のカタチだ。つまり、それがお前の本来の姿な
んだよ」
「じゃ、じゃあいずれ俺の身長もこれくらい伸びるって事なのか?」
「いや、それはわからん」
「何でだよ!」
「知るかボケ」
漫才のような師弟の会話に、スフィーが割って入る。
「師弟でじゃれ合うのはそこまでにして、さっさと中へ入れ。作戦会議じゃ」
「作戦会議?」
「うむ。お主が変身できたんでのう、やれる事が色々と増えた。どうせなら悪あがきの一つや二つ、やってやろ
うではないか」
「スフィー、まさかお前……」
「お主の弟子、少々借りるぞ」
二人の会話が理解できずにうろたえる虎鉄の肩を、舞哉が掴む。
「虎鉄」
「……何だよ?」
「世界を救いたいか?」
師匠の問いに虎鉄は沈黙する。彼にだってこれくらいは解る。この状況でその言葉は、冗談でも絵空事でもないという事を。刻一刻と破滅が近づくこの世界を救う事ができるのは、もう自分しか居ないのだ。何という重大な責任。これがヒーローの重責というものか。
右の拳を見る。もう無力で傷だらけの歪な拳とは違う。一度五指を大きく開いて再び握ると、この世に砕けぬものは何も無いと言わんばかりの、頼もしい力の漲りがあった。
「世界とか人類とか、そういうのは俺にはよくわかんねえ。って言うか、ぶっちゃけどうでもいい」
「ほう」
「俺はただ、俺の大事な人たちを守る。世界はそのついでだ」
虎鉄の答えに舞哉は噴き出し、「そうか、ついでか。そいつぁ面白い。いいぜ、気に入った。さすが俺の弟子だ!」続いて豪快に大笑いした。
「フ、ついでで世界を守ると言うのか。面白い男じゃのう」
スフィーはくつくつと笑うと、虎鉄の肩を軽く叩いた。心地よい金属音が風の音をかき消す。
「ならば守って来い。世界などついでで構わん」
「応よ!」
こうして世界は、一人の男のついでに託された。
人類滅亡まで、あと三時間。




