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「ところで――」


 頓狂な声に、視線をスフィーに向ける。舞哉も椅子に背中を預けながら彼女を見ていた。


「さっきからずっと扉の向こうで聞き耳を立てている輩がおるのじゃが、家政婦か何かか?」


 言うなり勢い良く扉を開くと、ドアに耳を貼り付けていたエリサが突然支えを失って倒れ込んで来た。


「あいたぁっ!」


 豪快に転倒し、万歳の状態で床にうつ伏せになったエリサ。スカートがめくれてパンツ丸出しの状態からのそりと立ち上がると、何事も無かったかの如くスカートを直し、服に着いた埃を手で払う。


「エリサ、お前何でここに居るんだ? 学校で居眠りしてるはずだろ!」


「やかましい! あんだけデカい声で叫んだら、誰かて目ぇ覚めるわアホ。それにな、虎鉄のクセにウチに隠れて面白そうな事やろうなんて、十年早いわ!」


「面白そうって……お前、この話をどこから聞いたらそうなるんだよ?」


「もちろん最初っからや。そこのロボットみたいなんから神父さんの正体まで、全部聞かせてもらったで!」


「何ぃっ!」


 もう駄目だ。エリサに知られたら一時間後には町内中に、数時間後には全世界中に知られる事になる。地球よりも先に人生が崩壊するとは、何とも滑稽な話である。


「……なっとらん」


「え?」


「なっとらんっちゅうとんねん! さっきから黙って聞いとったら、あんたらなにアホな事ばっかり言うてんね

ん。まず神父さん!」


「あ、はい、何でしょう……?」


 ビシっと音が出そうな勢いで指をさされ、思わず敬語で返事をする舞哉。この男にこんな態度をとらせたのは、宇宙広しと言えどエリサだけだろう。


「ええ年したオッサンが、『何が正義かわからなくなった』やて? なに甘えた事言うてんねん。警察が不祥事起こしたり政治家が脱税する今の世の中、聖人君子なんてどこ探してもおらへんわ。そもそも神父さんかて他人の事偉そうに言えるほど、立派な生き方しとるんかっちゅう話や。自分の事棚に上げて、勝手に他人や世界に幻滅するな。あんたは中学生か? いつまで思春期やねん!」


 年端も行かぬ少女にボロカスに言われても、何一つ言い返せない元宇宙最強(自称)の男。飲んだくれの父親をしっかり者の娘が説教しているみたいで、何とも情けなく、そして見る者をげんなりさせる光景である。


「次にそこのでっかいロボ!」


「え? 儂……?」


「人様の星に厄介ごと持ち込んどいて、なに第三者みたいな顔しとんねん。あんたが作ったもんが面倒起こしたんやったら、あんたが責任持ってケツ拭かんかい。そもそもいっぱしの科学者名乗るんやったら、自分の作ったもんには自爆装置くらい着けとけ! あとロボット三原則嘗めるな。アシモフ読んで出直して来い!」


「うう……、よくわからんがごめんなさい……」


「ほんで最後は虎鉄、お前や!」


「え、俺も?」


「よくも今までこんなごっついニュース隠しとったなってのは、まあこの際置いといたる。けどな、あんたこの期に及んで何やってんの? 巨大隕石の襲来。地球の危機やで? なにアホみたいにぼさーっと突っ立ってんねん。いつものあんたやったら、アホみたいに奇声上げて喜んでるやろ。ついにこの日が来た、とか何とか言って」


 アホみたいは余計だが、まるで見てきたような言い当てぶりに、虎鉄は口篭る事しかできない。


「あんた、ヒーローになりたかったんちゃうの?」


「う……」


「昔っからチビでケンカも弱いくせに、見て見ぬふりができへんから正義漢ぶって割って入って。それでいっつも泣かされて損ばっかりして。それでも自分が正しいと思った事を貫き通すんは何のためやったんか、胸に手え当ててよう思い出してみい」


 思い出すまでもなく、答えは単純だ。


 正義のヒーローになりたかった。


 子供の頃、テレビで見たヒーローがそうだったから。正義を唱え、悪に立ち向かう英雄への憧れが高じただけだ。


「小学生の頃、転校したてでみんなからガイジンガイジンっていじめられてたウチを助けてくれたんは誰や? 浩一かてそうや。手もつけられへん捻くれもんの悪ガキやったんが、今はめっちゃ真面目でええ奴になっとるんは誰のおかげや?」


「……俺は、そんな大した奴じゃない」


「何言うてんねん。ウチも浩一もめちゃめちゃ感謝しとるんやで。あんたがおらんかったら今頃どうなってたか。まだわからんかったらハッキリ言うたる。あんたはな、ウチらのヒーローやねんで!」


 エリサの言葉に、背中に電気が走ったように虎鉄の体が震える。一瞬で全身に鳥肌が立ち、はらの中が熱くなる。まるで身体中の血が煮えたぎったような高揚感に熱狂しそうになるが、すぐに気恥ずかしさや昨日舞哉に言い負かされた後ろめたさが感動を止める。


 素直に喜べずに口から出た言葉は、やはり捻くれたものだった。


「友達を助けるのと、世界を救うのじゃわけが違うだろ」


 言い終わると同時に、乾いた音とともに虎鉄の頬に痛みが走った。突然の衝撃に一瞬何が起こったのか理解できない。ちかちかする視界の中では、目に涙をいっぱい溜めたエリサが右の平手を思い切り振り抜いていた。


「友達も助けられへん奴が、世界なんか救えるかどアホーッ!」


 どくん。


 心臓が一際大きく弾む。


 胸の奥で何かが囁いた。


 ――内燃氣環ソウル・ジェネレイター――点火イグニッション


「虎鉄の馬鹿! もう知らん!」


 振り向きざまに涙を数滴飛び散らせ、走り出すエリサ。追いかけなきゃ。そう思うが意外にも彼女の平手打ちは強烈で、しかも体格差もあって情けない事に軽く吹っ飛んでいる。おまけに初めて彼女に本気で“馬鹿”と言われたショックも手伝い、咄嗟に踏ん張りが利かなかった。


 結果エリサが部屋を飛び出す頃には、虎鉄は床に転がって完全にスタートが遅れていた。


「エリサっ!」


「尻餅などついとる場合か小僧。もう時間がないぞ」

 スフィーの冷やかすような口調に腹が立つが、今は構っている暇は無い。すぐさま立ち上がり、猛然と追いかける。しかし扉を出ると通路は左右に分かれ、どちらを見てもエリサの姿は無い。拙い、見失ってしまった。


 教会の外に出るには右だ。瞬間的にそう判断して走り出そうとしたところ、


「違う違う、左じゃ左!」


 スフィーが逆方向を指示した。よく考えたら客室は礼拝堂と違って関係者以外立ち入り禁止だ。普段から入り浸っている虎鉄とは違い、恐らく今日初めて中まで入ってきたエリサは、感情的になって道を間違えたのだろう。瞬時にそう理解した虎鉄は、床に靴底の跡がつくほどの急ブレーキで強引にUターンを決める。


 そう広くない教会内を全速力で走ると、あっという間に裏庭に出た。裏庭と言っても敷地のほとんどを舞哉の家庭菜園が占めているが、今は植えられている野菜も小さいので見通しが良く、すぐにエリサを見つけられた。


 知らない場所に出て困惑している彼女に近づくと、向こうもすぐにこちらに気付く。


「何しに来たんや、アホ!」


「何しにもクソも、お前を捜しに来たに決まってんだろ。いい年して迷子になってんじゃねえよ」


 悪態がアホに戻ってほっとする。相変わらず外は強い潮風が吹きすさび、せっかくトマトの苗が折れないように挿した仮支柱が軒並み風で倒され、空では雲が凄い勢いで流されていく。エリサのスカートも風でバタバタ煽られて、今にもまくれ上がりそうなのを手で押さえている。


「誰も捜してくれなんて頼んでへんやろ。それに、どうせもうすぐ人類は滅亡するんや。ウチは一人静かに最期

を迎えたいから、あんたなんかどっか行って」


「あのなあ……ガキみたいに拗ねるなよ。いいからとっとと中に入ろうぜ。まだ何か手があるかもしれないだろ? それにここは風が強いったらありゃしねえ」


 風の音に混じって、波の音も高い。


「まるで台風だ」


 そう言って虎鉄が空を見上げた時、信じられないものが見えた。


 教会の鐘楼に、まだ鐘がぶら下がっていた。しかも強風に煽られ、抜けかけの乳歯のようにぐらぐら揺れている。


 何故? 思い出す。たしか昨日、舞哉と一緒に応急処置をするはずだった。だが待て。昨日はスフィーが現れて挑戦状を叩きつけられたり、アペイロンの核ユニットを手に入れたが変身し損なったりとゴタゴタしていたのですっかり忘れていた。つまり、何もしていない。あの除夜の鐘みたいなデカい鐘は、いつ落ちてもおかしくない状態のままだ。


「やべえぞこりゃ……」


 悪い予感は何故か当たる。虎鉄の呻き声を合図にしたかのように、今日の最大風速を塗り変える突風が吹いた。風に煽られ大きく揺れる鐘の重量に耐え切れず、ただでさえ限界だった留め具が脆くも弾け飛んだ。


 ごーんと一度だけ荘厳に鳴り響いた鐘は、鐘楼の縁を破壊。バウンドして軌道を変えると、真っ逆さまに落下

した。


 狙ったかのように、エリサ目がけて。


「危ないっ!」


 大声で警告する。エリサもそれに気付き、上を見る。彼女の顔が恐怖で引きつるのがはっきりと見えた。


 エリサはまだ動かない。パニックで体が硬直し、動けないようだ。


 虎鉄は走り出す。


 でもどうする? エリサを突き飛ばす? 彼女の方が重い。じゃあこっちに引き戻す?


 どっちも無理。


 ならば鐘を受け止める? 馬鹿か。何百キロあると思ってるんだ。


 そもそもエリサの方が背が高い。もっとデカくなりたい。


 そんな思考が脳内を光速で駆け巡る間も、虎鉄の足は前へと駆ける。


 駄目だ、間に合わない。


 このままじゃ絶対に助からない。


 なのにどうして走る?


 決まってるだろ。


「友達も助けられない奴が、世界を救えるわけないだろ!」


 ――内燃氣環ソウル・ジェネレイター――発動インヴォーグ


 胸の奥が燃えるように熱い。


 今なら何でもやれそうな気がする。


 いや、不可能なんか無い。


 だったら――


「変身!」


 虎鉄の全身をまばゆい光が包む。突然の強烈な光に、エリサは固く目を閉じた。

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