10
時間を戻そう。
虎鉄は一時限目が始まる前からずっと頬杖をついてぼんやりと、窓の外で台風のように風で激しく木が揺れるのを眺めていた。
窓ガラスの端には、早々と机に突っ伏して寝こけているエリサが映っている。壁として立てた教科書からはみ出す金髪が、彼女の寝息に合わせて揺れている。
焦点を近くすると、泣き腫らした目をした自分の顔が映る。みっともなくて、浩一やエリサには見られたくなかった。だったらサボれば良かったのだが、朝いつも通り家を出ないと家族に怪しまれるから、とりあえず学校に行くフリをしたら習慣とは恐ろしいもので、気がついたら教室に着いてしまっていた。
あまりの間抜けぶりに溜め息が出て、窓ガラスを白く曇らせる。手遊びに曇ったガラスに指で落書きをしていると、不意に窓を挟んでスフィーが指を重ねてきた。金属の太い指がガラスに当たり、こつりと硬い音を立てる。
『やれやれ、ようやく見つけたぞ。小僧、緊急事態じゃ』
「おっ……」
咄嗟に言葉が出ない。何故ならここは三階で、スフィーはどう見てもふらふらと宙に浮いてるし、よく見たら首から上が無くて自分で自分の頭を小脇に抱えるデュラハン状態だ。
こんなものが急に目の前に現れたら、さすがに非常識な事態に慣れて心臓が毛だらけの虎鉄でも、今が授業中だという事を忘却して行動を起こしても無理はあるまい。
「おわあああああああああああああっ!」
突然大声を上げて立ち上がった虎鉄に、教室中の視線が集まる。
「あ、いや、その……!」
拙い。このままでは窓の外を停滞中の、恐怖首なしロボットがみんなに見られてしまう。そしてひょんな事でこんな奇態な知人がいると皆に知れたら、学校中が大騒ぎになるどころかマスコミが動くかもしれない。そうなればこの情報社会だ。噂は瞬く間に尾ひれどころか背びれ胸びれまでついてネットの世界を駆け巡り、心無い暇人によって個人情報が曝され、虎鉄個人どころか家族にまで迷惑がかかり、果ては夜逃げか一家離散か――という事態になってしまうかもしれない。それはいかんと慌てて窓の外を身体で隠そうとするが、スフィーがあまりにもデカ過ぎてはみ出しまくっている。
「武藤っ、お前いきなりどうした?」
いきなり奇声で授業を中断させられ、露骨に不機嫌な中年英語教師が折れたチョークを握り締めてこちらを睨んでいる。ああこれはもう本格的にアウトだ。さしもの虎鉄も覚悟を決めたその時、
『安心せい。儂の姿はお前にだけしか見えんし、声も聞こえんわ』
「マジで?」
脳内に響くマシンヴォイスに心からの感謝を。ビバ、宇宙の超科学。これで残りの人生を宇宙人やロボットの関係者という後ろ指をさされながら送る悪夢のような未来は避けられた。
『ともかくこの状態では詳しい話もできん。いいからさっさとシド・マイヤーの所へ案内せい。風が強くてまっ
すぐ飛ぶのも一苦労じゃ』
「は? 何で俺が? 昨日連れてっただろ。勝手に行けよ」
『……道がわからん』
「はあ? 何だよそれ」
『シド・マイヤーの位置データを記録し忘れてな……。まあお前の生体データが残っておったのは幸いじゃった』
「……何で俺のデータの方が残ってるんだよ。普通逆だろ」
『うるさい。つべこべ言わずに案内せい。さもなくば今すぐこの建物を破壊するぞ。時は一刻を争うのじゃ』
「あ、テメー逆ギレかよ。ふざけんな――」
「おい武藤! 何さっきから一人でブツブツ言ってるんだ! 用がないならさっさと座れ。授業中だぞコラ!」
「あ、ハイ、えっと……」
痺れを切らした教師が、手に持ったチョークを今すぐ投げつけそうな勢いで怒鳴り散らす。
さすがにこれ以上は誤魔化しきれない。スフィーの言うがままにするのは癪に障るが、彼女の姿を見ても何かトラブルが起きているのは確かなようだ。それに地球を破壊する事に何の躊躇もないくらいだから、言った通り今すぐ校舎を破壊しかねない。ここは彼女の要求を飲み、舞哉の所へ案内のが正しい選択だろう。已むを得まい。
「ちょっと頭が頭痛で痛いんで、早退します。じゃっ!」
早口で言うなり机の横に引っかけた鞄を手に、虎鉄は猛ダッシュで教室から出て行く。クラスメイトたちは呆然と彼の出て行った扉を見つめ、英語教師はチョークを振りかぶったままの姿で固まっていた。
「せんせー」
急な展開について行けずしんとした教室に、間延びした独特のイントネーションが響く。
固まった空気をぶち壊した勇者は誰だと、皆の視線が集中する中、その者は一つも怯む事なく金の髪をなびかせ、堂々と告げた。
「ウチも早退しまーす」
勇者の口元にはよだれがついていた。