対戦交渉
ヒックス卿は連合王国の三王家の一つ、ロッキード家の分家でしかなかった。それが強引な勢力拡大の末に同王家の筆頭に踊り出たのは、連合王国では誰もが知る周知の事実である。だがその勢力拡大の為に使われた膨大な金がどこから出てきたのか、それまでは知られていない。
「旦那様、ロックハート氏がお見えです。お通ししてよろしいでしょうか?」
その名前を聞いた瞬間、ヒックス卿は渋い顔になった。
「わしは会わぬ、登城しておると伝えよ。」
「申し訳ありません。旦那様の在宅は確認済みとのことです。」
「ぬうっ!あの強欲商人め、詰まらぬことを・・・・そうだ、わしは病じゃ、大したことはないが、大事を取って臥せっておる。」
「・・・・承知しました。ではそのように伝えます。」
仮病ですか?執事は危うくそう口にするところであったが、なんとかその言葉を飲み込む。
「困ります。ロックハート様、勝手に入られては困ります。」
執事が主の言葉を伝えようと応接室から出た時、屋敷の入り口の方で大きな声が聞こえた。一人の若い商人が使用人を引きずる形で強引に入ってくる。後ろにもう一人、恰幅の良い男が申し訳無さそうについてきていた。
「ロックハート様、いくらあなた様でも無礼でしょう。」
「そう邪険にするなよ、今日は督促に来たんじゃないからさ。卿はそこかい?おやおや、ヒックス卿。病気と言う割には元気そうでなによりです。」
ロックハートなる若い商人が馴れ馴れしくヒックス卿のいる応接室に入ってきた。声が聞こえた時点でかなり嫌そうな顔をしていたヒックス卿であったが、督促に来たわけではないことにほっとした。
「そ、そうか。その方の顔が見れたおかげかもしれんな。」
「それはよろしゅうございました。今日はどうしても卿に会わせたい人物がおりまして、こうして推参致しました。トーマス、入って来いよ。」
ここで応接室の入り口で控えていた男に向かって手招きする。ヒックス卿の視線がその男に向かう。ヒックス卿の記憶にはない男だった。
「お初にお目にかかります。城下のオルト商会代表、トーマスと申します。」
「ふむ、聞かぬ名じゃな。」
「まあまあ、ヒックス卿、そうは見えないかもしれませんがこれでも新進気鋭の商人、最近ローザライン相手に大きな契約を取ってきたとの噂ですがね。」
ローザライン、その名前が出た瞬間にヒックス卿が嫌な顔をした。
「気に入らんな。わしはその名を聞きとうない。」
「そうですか、残念です。卿にとってもお得になる話だったのですが、気に入らぬとなれば仕方がありませんね。この話は他の王家の方に持っていくことにします。ロックハート殿、わざわざ紹介頂きましたが無駄になってしまったようです。申し訳ありません。」
同じ商人であるトレヴァー=ロックハートからしてみれば実にわざとらしくそれだけ言うと、オルトはくるりと踵を反して部屋から出ていこうとした。
「ちょっと待て、他の王家の者とはどういうことだ!?」
ヒックス卿が慌てて声をかける。その言葉を待っていたオルトの足が止まった。
「文字通り他の王家の者です。まだ試しの儀式未達成の方は多いですから、いくらでも声をかける相手はいます。卿は興味がないと仰られましたので他を当たらせて頂きます。では失礼。」
止めた足が再び一歩踏み出される。
「試しの儀式だとっ!待て、その方の話に興味が沸いた。話を聞こうではないか。」
「ありがとうございます。では改めてお話させて頂きましょう。」
二人の商人はヒックス卿に向かい合うソファを勧められ、卿のもてなしを受けながら話を続けることとなった。
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石材を割られてからここ一週間、アイゼンマウアーは一日のほとんどを工事現場にて過ごしていた。夜は同敷地内の仮の事務所で寝泊りし、昼は人足に混じって作業をしている。
「アイゼンマウアー様、見慣れないお召し物ですがどうなされたのですか?」
作業の合間、休憩をしていたアイゼンマウアーに小太りの男が声をかけた。オルト商会の代表トーマスはヒックス卿の屋敷を辞したその足でここに来たのだ。
「陛下からの頂き物です。なんでも最近開発された服で華美と頑丈さを兼ね備えているとのことです。しばらく着て、その着心地をモニターしてほしいとも仰られました。」
「なるほど、確かに素晴らしい出来です。少々見せて頂いてよろしいですか?」
「見るだけでよろしければ。」
今朝から着ているのだが汚れはしないか、破れはしないかと心配していた。今のところそんな様子はまるでない。下賜された服を褒められて悪い気はしないので、興味深げに観察するにまかせていた。
「青かと思いましたがよく見ると銀糸も編みこんであるようですね。角度によっては見える光沢、ローザラインの紋章をあしらった意匠も高級感を醸し出しています。おや、袖のカフスはダイヤモンドですか?」
「さあ?私はこういう物には疎いので詳しいことは分かりません。」
「そうですか・・・いや、間違いないですね。このダイヤ一つだけでも10万Gの価値があるでしょう。服全体だと50万・・・いや100万Gの価値をつけることが出来るかもしれませんね。」
そう品評されてアイゼンマウアーは戸惑っていた。上から下、腕を反してカフスを見る。
「そのような高価な物は着慣れていませんので、そう言われると緊張します。普段着にしていてよろしいものか・・・・。」
「まあよろしいのではないですか。今をときめくローザラインの近衛騎士隊長殿に相応しいお召し物だと思いますよ。」
アイゼンマウアーが本気で照れている姿にまわりの者が微笑ましく見ていた。我に返ったアイゼンマウアーはいつもの顔に戻ってまわりを睨みつけた。
「ゴホン、もう私の服のことはいいでしょう。何か御用があったのではないですか?」
「ヒックス卿と大王様との約定、覚えていらっしゃいますか?」
「ええ、勿論です。ですが私はこの国の者ではありませんので、対戦はガイラ殿にお任せするつもりです。」
「そうですか・・・実はヒックス卿が是非アイゼンマウアー殿と対戦したいと仰られましたので、ここに来た次第です。」
「お断り致します。」
アイゼンマウアーが気持ちいいぐらいにきっぱりと断った。オルトは苦笑するしかない。
「困りましたな。この話を纏める為にヒックス卿から大金を預かっています。」
「お返しすればよろしいでしょう。」
「まあそう言われると思いましたがね、商人としては一度懐に入ったお金は1Gたりとて出したくないのですよ。ここは曲げて了承して頂けませんか?」
「お断りします。失礼な話ですがヒックス卿はさほど武を理解されていない方とお見受けしました。余計な怪我をさせたくありません。」
「ではこうしてはどうでしょう。元々、試しの儀式は一体の魔獣を4人までで相手にしてよいとされています。ですからヒックス卿は部下を揃えて戦っても陛下との約定には反しません。いやいや、これは失礼しました。アイゼンマウアー殿を魔獣扱いしているわけではありませんので悪しからず。」
言っている途中で睨まれたオルトは見た目だけは低姿勢で詫びた。アイゼンマウアーはその姿に思わず笑みを浮かべてしまった。
「そこまでして大金は惜しいですか?」
「勿論です。この話を纏める為に近衛騎士隊長殿に謝礼金として10万Gをお渡ししても、私の懐にいくらか残ります。それに一度受けた話を断ってはこの先商人をやっていけません。」
「10万G?・・・なるほど、分かりました。オルト殿には宰相殿がお世話になってますからね、ここはお受け致しましょう。もし他にも条件があるなら言ってもらっても結構ですよ。」
「よろしいのですか?私も一応連合王国の者ですので、ヒックス卿には勝ってほしいと思わないでもないのですよ。」
「私は構いません。どうぞ条件をつけて下さい。」
「ではお言葉に甘えまして・・・。まずヒックス卿側は一切の条件無し、アイゼンマウアー殿は刃のある武器は使用しない。さらに防具は身に着けない。そうですね、あまりみすぼらしい格好では失礼ですから今着ている服、それで如何でしょうか?」
アイゼンマウアーは思わず笑ってしまった。ここまであからさまだと笑うしかない。
「結構、それで構いません。武器として・・・ここにある竹竿、それと今着ている服で対戦する。それでよろしいですか?」
「ありがとうございます。これで儲けることも面目を保つこともできます。ではヒックス卿にそのように伝えてきます。」
オルトは商人らしい笑みを浮かべて礼をすると、アイゼンマウアーの前から立ち去った。
「負けろとでも言うと思ったのだがな。まあそれでも楽な勝負ではないか・・・。」
アイゼンマウアーは近くに落ちていた棒を手に取った。軽く素振りをしてから構える。目を瞑って4人に囲まれている状況を思い浮かべた。




