直談判
「我々とカウフマン公爵の屋敷に直談判に行きましょう。バーゼル男爵が一緒なら心強い。」
バーゼル男爵がカウフマン公爵の屋敷に行ってから数日、結局バーセル家の荘園では間に合わせの収穫しかできず、例年の半分にも満たない農作物しか手に入れることはできなかった。それはカウフマン公爵の荘園に農奴を取られた者達も同じで、その鬱憤を晴らす為バーゼル男爵の屋敷に集まったのだ。
「いや、そうは言われましても困ります。」
「ではどうなされるのです。このまま泣き寝入りするつもりですか。そんなことではこの先やっていけませんぞ。」
「そのとおりです。一度舐められたら貴族社会ではやっていけないことはご存知でしょう。さあ行きましょう、バーゼル殿。」
今目の前にいる者達の言うことなど当の昔に理解している。貴族社会だけでなく、商人、平民、はたまた奴隷にすらあの屋敷は甘いと噂されることは想像に難くない。だが一人ではどうしようもない為、二の足を踏んでいたのだ。ここは集まった者を利用すれば交渉を有利に運ぶこともできるかもしれない。
「皆様の仰られるとおりです。では皆様と一緒に公爵の屋敷に赴くとしますか。」
バーゼル男爵の屋敷から数台の馬車が列を成して、公爵の屋敷を目指す。先日の一人だけの時と違って、公爵も居留守を決め込むことはできないはず。バーゼル男爵はそう期待していた。
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「こっ、困ります。いきなり大挙して押しかけられましても公爵様はお会いになりません。」
「そうですか。では全員で連名して、我々は不当に財産を奪われたと国務大臣殿に告訴させて頂きます。公爵様にそうお伝えください。では皆様行きましょう。」
強い口調でバーゼル男爵は門前の使用人に言った。もちろん告訴してどうにかなるものではない。だが公爵の耳に入る前にことが進んでしまっては、目の前の使用人の立場はないはずだ。
「おっ、お、お待ちくださいませ。すぐに公爵様にお伺いを立ててきます。」
顔色が真っ青になった使用人が屋敷の中に駆けて行く。バーゼル男爵は話が一つ進んだことを心の中でほくそ笑んでいた。
「お待たせしました。公爵様がお会いになられます。こちらにどうぞ。」
10分の後、先ほどとは違う使用人が屋敷の中に案内する。通された応接室には立派な調度品が溢れていた。バーゼル男爵の目が光り調度品を値踏みする。どれか一つを売り払うだけで今年の分の損失を補うことができるだろう。
「お待たせ致しましたかな。」
応接室の扉が開いて、悠々と入ってきたカウフマン公爵が一同に声をかけた。
「これはカウフマン公爵様、やっと面会が叶いました。数日前から願い出ていた甲斐がありました。」
一同の中央に座ったバーゼル男爵が恭しく、それでいて嫌味ったらしく挨拶を返す。公爵の顔が少し歪んだが、何事も無かったように一同に向かう形で座った。
「そうですか。それは聞いておりませんでした。どうも不届きな使用人がいるようで、ここは誰の仕業か調べて然るべく罰を与えねばなりませんな。」
公爵は涼しい顔でそう言ってのけた。蜥蜴の尻尾切りで済ませる気なのはここにいる誰もが理解できた。立っていた執事達が切られる尻尾の行く末を想像してなんとも言えない表情をしている。
「そうですか、それでは公爵様を責めるわけにはいきません。私としても納得できる形で処理してもらうことを望みます。」
「ふむ、ではそうさせてもらいましょう。それで皆さん、今日は何用でしたか?」
すっとぼけた口調で公爵が話す。用件が分からぬ訳がなかろう、誰もがそう怒鳴りつけてやりたかったが口に出すことはしない。ここは元老院の影と言われるバーゼル男爵の交渉術に任せることにした。
「では率直に用件を伝えさせて頂きます。我々が本来得る予定であった財を補填して頂きたい。」
「はて?なぜ当家がそなた達の損失を補填せねばならぬ。それに本来得られる予定の財とやらをどう計算されるのか疑問ですな。天候、物価・・地方の取れ高・・・おおそうだ、最近は新世界から輸入できるせいで同じ物を作っても前年ほどの儲けが期待できぬと聞く。いずれにしても私に責任があることではないですな。」
「詭弁はお止めください。ここにいる者は公爵に農奴をお貸ししたせいで、十分な荘園の運営が出来なかった者であります。この責任は明らかに公爵にあると国務大臣シュタウフェン公に訴えてもよろしいのですが、いかがでしょうか?」
あわよくば責任転嫁できないかと言い逃れの言葉を並べる公爵に、バーゼル男爵は冷静に言い返した。国務大臣の名が出てきたことに公爵の顔色が悪くなる。
「うっ、うむ。わたしとしても詰まらぬことで国務大臣殿の手を煩わせたくない。」
「同感です。こちらとしても十分な補填が成されるのならば、騒ぎ立てるつもりはありません。では公爵様には損失を補填して頂ける意志はあると解釈してもよろしいのですね?」
「まあ、そうと言ってもよい。ではそちらの想定する損失とこちらの支払いのすり合わせが必要であろう。部屋を用意させるので、今日のところは当家に逗留してもらおうか。」
「結構、ではお言葉に甘えさせていただきます。皆さんもそれでよろしいですか?」
バーゼル男爵は業とらしく同意を求めると、後ろに並ぶ者達が一斉に無言で頷いた。その姿にカウフマン公爵が苦虫を咬んだ様な顔をした。
「ではとりあえず話は纏まったようですので、一旦仕切りなおしましょう。」
いつの間にか主導権を取ったバーゼル男爵がお開きを宣言する。立ち上がって執事の案内を求めて歩き出したバーゼルは出口の前で立ち止まった。
「おお、一つ言い忘れていました。お貸しした農奴は一旦お返し頂きます。来年の事は損失の補填の話が終わってからのにしましょう。それでは失礼します。」
それだけ伝えると応接室を出て行った。並んでいた面々もその後を付いていく。残された公爵は味わったことのない屈辱に顔を上げることもできなかった。
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各自に与えられた部屋があるにも関わらず、バーゼル男爵の部屋に皆が集まっていた。
「流石は男爵、公爵相手にあそこまで言える者は他にはおりません。感服いたしました。」
「いやいや、そんなに褒められると面映い。あれは皆さんがいたからこそ言えたこと、その点感謝しております。」
「これはご謙遜を。近く伯爵になられると噂されるバーゼル殿とは今後も懇意にさせて頂きたいものです。」
バーゼルに対する賛美の言葉は尽きることない。気取った笑い声がいつまでも部屋から漏れていた。晩餐の席、カウフマン公爵は始めの挨拶だけで部屋に引っ込んでしまい、集まった者達の嘲笑の的になった。この時点で、バーゼル男爵以下全ての訪問者は勝利の美酒に酔っていた。
各自部屋に戻った者は、公爵の執事達によって様々なもてなしを受けることになった。酒、女、薬物、より高位の貴族との付き合いの約束など誘惑は多い。しかしカウフマン公爵の影響力など今更期待できないと無下に断られることになった。第一の事件が起きたのはこの後である。
「バーゼル男爵殿、妙な話を聞きました。よろしいですか?」
屋敷の者が眠りこけた頃、部屋の外からかけられた声に目を覚ました。眠い目を擦って招き入れる。
「なんでしょう、こんな時間に話さねばならぬことですか?」
「大変なことを聞きました。公爵に処分されることになった使用人からで信憑性のある話です。」
「ふむ、的を射ない言われようですな。手短に話していただきたい。」
眠いところを起こされたバーゼルは不機嫌を隠していない。
「これは失礼。では手短にお話します。公爵が農奴に逃げられたことを隠しているとのことです。どこの農奴かまでは聞いておりません。」
「なんだとっ!なぜそれを早く言わぬ。ことの次第によっては金で済む話ではなくなる。いや、こんなことをしている場合ではない。すぐにでも公爵に問い詰めねばならん。」
「いや、ですがこんな夜中にお会いになられるでしょうか?」
「確かにそうですな。また明日にでも相談しましょう。」
この期に及んでまだ公爵のご機嫌を伺う相手にバーゼルは失望した。口にも顔色にもそれを出さなかったがここは部屋に帰ってもらうことにした。
明日にするといったのは方便でバーゼルはすぐに行動に移した。屋敷の使用人を呼んでいくらかの金を渡し話を聞く。何人かの話を纏めると自分の家の農奴が逃げたことは明らかであった。怒りが込み上げてきた。その怒りのまま公爵の下へと急ぐ。表向きは皆に内緒で補填金の減額をしてもよいと執事に伝えさせた。それで公爵の部屋で秘密の会談が行われることになった。
翌朝、カウフマン公爵が自室で酒とともに毒をあおって死んでいるのが発見された。




