虎の気持ち
サーベルタイガーは檻の中でずっと香箱を組んでいた。餌を出されようが人が来ようが、一切動くことなく一点を見つめている。寝るときもその格好のまま動くことはない。何かの気配に耳を動かした。
「こちらです。」
飼育係に連れられたガイラ一行が部屋に入る。サーベルタイガーが伏せていた顔を挙げ、入ってきた者を確認する。突然立ち上がると檻の中をうろうろと動き出した。顔は常にガイラの方を見たままだ。
「なんだ、思ったより元気じゃないか?さっき聞いた話と違うぞ。」
「いえ、先ほどまで全く動きませんでした。思ったとおりガイラ殿に反応した様です。敵意にしろ、好意にしろ、気力を取り戻して欲しいと思ったのです。」
「そうか、じゃあ敵意だな。見ろよ、ずっと俺を睨んでいる。次は負けない、そう言っているようだ。」
ガイラの視線の先には、唸り声を上げながらいつでも跳び掛かれる構えをしているサーベルタイガーがいる。鉄格子がガイラとサーベルタイガーを阻んでいるが、ガイラは無意識に握った拳がしっとりと湿ってくるのに気付いていた。
「おい、食わなきゃ元気になれないぞ。元気になったらいつでも相手になってやる、だから食えよ。」
まるで言葉が通じるかの様にガイラが語る。ガイラの言葉が分かったのか、サーベルタイガーは放置されていた肉の塊に近寄る。しかし、匂いを嗅いですぐにそっぽを向いて座り込んでしまった。
「肉が古いんじゃないか?」
「いえ、そんなことはないはずです。食べなくても毎朝新しい物と変えていますから。」
「ふ~ん、まあいいから新しい肉を持ってきてくれ。」
「ですが・・・」
「よい、持ってきてやれ。我々にはこの虎を動かすことすらできなかった。それを可能としたガイラ殿の言う事だ、何かあるやもしれん。」
渋る飼育係にリスター王子が口を挟んだ。
「分かりました。仰せに従います。」
飼育係がどこかへと走り去る。戻ってくるまでの間もガイラはサーベルタイガーから視線を外さない。サーベルタイガーもガイラから視線を外さない。しばらくして飼育係が戻ってきた時、ガイラ以外のその場の緊張に耐えられなくなった者が大きく息を吐いた。
「お持ちしました。ガイラ殿、これをどうしましょうか?いつもの様に私がやりましょうか?」
「いや、俺がやる。なんとなくそうしないといけない気がする。」
ガイラの手が飼育係の持っていた肉に伸びる。牛か羊の後ろ足一本分の肉を手にしたガイラは檻の直前まで歩くと、鉄格子の隙間から肉を差し出した。
「食え、食って元気になったらここから出してやる。この檻の中はお前が生きるにも死ぬにも狭すぎる。」
リスターにはその言葉が、目の前の魔物に向けて言われた様には感じられなかった。檻の中をこの国に置き換えると自分にも、そしてガイラ自身にも言っている様に聞こえた。
サーベルタイガーは再び起き上がるとガイラの差し出した肉の匂いを嗅ぐ。ふんと鼻を鳴らすと牙を剥き、ガイラの手からその肉を奪い取った。しゃがみ込んで黙々と肉を貪るサーベルタイガーの姿を皆が見守った。
「おおっ、食べたぞ。ガイラ、よくやった。」
アン王女が跳び上がって喜ぶ。喜びの余りガイラに飛びついたアン王女は、その太い腕にぶら下がることになった。
「アン王女様、お行儀が悪うございます。王女ともあろう者が妄りに男性に触れるものではありません。」
騎士アーサーがアン王女を嗜める。本気で叱ってはいないが注意を喚起するものであろう。
「むう、よいではないか。ガイラはわらわの師匠だぞ。」
「それでも他の者の目がある時はお気をつけ下さいませ。無用の誤解を受けることになります。」
「分かった。わらわが迂闊じゃった。」
そう言って手を離したアン王女が檻の前に座り込んで、肉を貪るサーベルタイガーを見つめる。手が届くなら頭を撫でそうな勢いだった。
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翌朝、ガイラは再び城からの使者のせいで起こされることになった。
「何なんだよ。俺は城の従者じゃねえぞ。」
「そう言うなよ、鉄拳。お前を起こさないと俺の首が飛びかねん。さっさと起きて城に行ってくれ。」
ガイラがしぶしぶと着替えるのを、宿の店主が今か今かと待っている。
「なあ、鉄拳。三日後のエグザイルの町への護衛は断っておいた方がいいか?」
「いや、一度受けた依頼は断らない主義だ。向こうから断られない限りはな。」
「分かった。先方には予定通りと伝えておく。」
いつもの竜闘着に着替え終わったガイラは、部屋を出て階段を降りていく。降りた所で店主に振り向いた。
「いいか、余計なことはするなよ。」
「分かっている。あんたの機嫌は損ねたくない。」
「そうか、じゃあ行ってくる。」
城からの使者に付き従ってガイラは馬車に乗り込む。そこにはリスター王子が座っていた。
「おはようございます。早朝よりお呼び立てして申し訳ありません。」
「全くだ。分かっているなら放っておいてくれないか?」
「ガイラ殿の仰る通りですが、事がガイラ殿に関わることですので他の者に頼るわけにはいきません。」
「俺?俺がなんだって言うんだよ。」
ガイラは腹立ち紛れに怒鳴りつけた。御者が驚いて馬を止めた。
「ああ、構わない。このまま城に向かってくれ。」
リスター王子が御者に声をかけると再び馬車は動き出した。
「先の話ですが、例の虎のことです。また何も食べないとの報告を受けました。昨日と同じくガイラ殿を待っていると思われます。ご理解頂けましたか?」
「ちっ、仕方ねえな。しかしまあ余計な褒美を貰ったみたいだ。俺が解き放ってやれと言ったからな、責任は持たないと駄目って話か。」
「その通りです。私としてはガイラ殿が城に来られますと、アンの機嫌がよくなりますので助かっています。前から騎士相手に剣の稽古をしたがるところがありましたが、これで諦めることになるでしょう。」
「俺は鎮静剤か?まあいい。だがそう簡単に諦めるとは思えんけどな。」
後ろ半分の言葉は独り言となり、リスター王子の耳には入らなかった。
「妹のこと、まことに申し訳ありません。ですが、アンがガイラ殿を気に入ったことは、ガイラ殿にとって悪いことだけではありません。むしろ余計な招きがなくなったと思われます。」
「・・・?意味が分からんな。説明してくれるか?」
「はい、ガイラ殿が試しの儀式で単身魔物を倒したことは、城の者には周知の史実です。つまり今後、試しの儀式を行なう王族にとっては最強の手駒となりますので、どんな条件をつけても手元に置こうと考えるでしょう。金、女、地位、他には違法な快楽すら提示するかもしれません。」
「なるほど、もしそうなっていたら面倒なことになっていただろうな。まあ、感謝する筋合いはない・・か。」
馬車が止まり、城に着いたことを御者が知らせる。ガイラはリスター王子に連れられてサーベルタイガーの檻へと向かった。檻の中には昨日と同じくサーベルタイガーが座っている。その近くには無造作に肉が放り出されていた。
「何が気に入らないんだよ。食わなきゃ治らんぞ。」
サーベルタイガーはガイラの言葉を聞くと、ゆっくりと動きだし肉に口をつけた。そのままガイラが見ている前で全てを平らげた。
「何だよ、俺を待っていたのか?よく分からん奴だな。」
ガイラは思わずため息をついた。その時、突然飼育室の扉が勢いよく開くと、アン王女が飛び込んできた。
「ガイラッ!よく来たのじゃあ!聞け、今日は痛くならんかったぞ。」
「ふん、そんなに早く鍛えられるわけないだろう。無理に我慢しなくていいぞ。」
「むう、なんで分かるのじゃ。」
頬を膨らませて反論するが、その言葉で隠していたことが露見したことには気付いていない。
「痛みを耐えているせいか、動きが不自然になっている。まだ次の段階に行くには早すぎるな。」
「次の段階に行くのは何時になるのじゃ。わらわは早く強くなりたいのじゃあ!」
「ふう、困った話ばかりだ。一つボタンを掛け違うとここまで狂うものか。まあいいや、じゃあ明日にでも次の鍛錬を教える。その後はしばらくここを離れることになるから、その間に自主鍛錬するといい。」
「なんじゃ、どこか行くのか?」
「エグザイルまで船の護衛だ。前々からの約束だから断れん。」
「そうか、なら仕方がないのう。」
アン王女は残念そうにしている。それでも新たに教えてもらえると分かって顔が緩んでいた。強くなろうと懸命になっているアン王女の姿は好ましいものであった。




