魔法の伝授
城下町にある診療所はローザライン国民なら格安で利用することができる。その診療所のベッドにファイエルクリンゲが寝ていた。苦悶の表情が浮かべているはいるが声は出ていない。顔の下から喉にかけて包帯が巻かれているからだ。
「喉が腫れ上がって呼吸ができないので、気管を切開して直接空気が通るようにしました。ご覧の通り、管を通してそこから呼吸させています。」
俺の視線に気付いたのか、アポテイカが得意げにそう説明した。
「まったく無茶をする・・・。」
「いけませんか?こうしなければおそらく死んでいましたよ。」
「だろうね。」
「ですが流石の私でも無傷の喉を切る時には手が震えましたよ。」
「今のは不謹慎でしょう。まだ彼は苦しんでいます。まさかこれで治療が終わったわけではないでしょうね?」
アポテイカの冗談には苦笑いで返すしかない。その軽い口調にドナスピアが苛立ちを顕にした。
「そうでした。では治療を続けましょう。アポテイカ、他にどんな処置をした?」
「噛まれた場所は左肩口から首筋、傷はすでに塞がっていました。さらにそこから顔にかけて火傷があります。治癒の魔法を使ってよいか判断が付き兼ねましたので、火傷の原因と思われる粘液を拭き取るだけにしてあります。それと体温が異常に上がっていましたので、濡れタオルを巻いて全身を冷やしています。何処か間違っていましたでしょうか?」
「いやこれでいい。現時点では最高の処理だと思う。」
「これで終わりとか言うのではないでしょうね?ここはSanitatum(治癒)で完治させるべきです。」
俺とアポテイカの会話にドナスピアが割り込んできた。彼の疑問は当然である。
「Sanitatum(治癒)は元々人間が持っている治癒能力を早める魔法だ。現状のように体力を失っている時に使うべきではない。」
「ではこのまま手をこまねいて見ているだけですか?」
「それならここには来ない。ちょうどいい機会だ。実地で新しい魔法を教えましょう。」
「新しい魔法?それは遺失魔法の一つですか?」
「そうです。体内から毒を消す魔法でDetoxificationと言います。では今から口述で使用しますので覚えて下さい。ファイエルクリンゲ、できるなら君も覚えなさい。そうすれば次は自ら治すことができますよ。」
俺の言葉にファイエルクリンゲが軽く頷いた。それを見届けると右手を寝ている患者の頭に左手を足の先に当てる。
『俺は魔力を3消費する、魔力はマナと混じりて万能たる力となれ
おお、万能たる力よ、清き水となりて毒を洗い流せ!Detoxification(解毒)!』
薄く手が光り輝き徐々にファイエルクリンゲの身体を包む。その光が収まると苦痛に歪んでいたファイエルクリンゲ顔が少し和らぎ、そのまま眠りについた。
「これはすごい。この魔法があれば医療の常識が覆ることになります。ですがこんな魔法があったのなら何故もっと早く使わなかったのですか?おそらくそちらの方にも使えるのでしょう。」
「ええ使えます。ですが彼を責めないで下さい。この魔法を使う際には幾つか注意点があるのですよ。」
「注意点とは?」
「毒について詳しい知識が必要となるのです。漠然と使っても効果はありますが、やはりそんな毒に侵されているか、その毒にどんな効果があるのか、それを知っていると知らないでは効果が違います。」
「なるほど、それで毒について詳しい宰相殿をお呼びしたわけですね。先程は失礼なことを言って申し訳ありませんでした。」
ドナスピアがアポテイカに頭を下げた。おそらく俺が来る前に何かあったのだろうが、ここは敢えて聞くことはしないでおく。
「アポテイカ、後の処置は?」
「魔法で喉を治しながら筒を外します。その後は流動食を与え十分な体力が付いてから、治癒の魔法で全身を治す予定です。」
「結構、完治までどの程度の見込みだ?」
「そうですね・・・何もなければ三日、宰相様の懸念を考えると二週間は様子を見なくてはならないでしょう。」
「二週間っ!どうしてそんなに時間がかかるのです。毒が抜け身体が治ればそれでいいでしょう?懸念材料とは何です?」
あまりのことにドナスピアが抗議の声を上げた。
「仮称ですが土毒と名づけた病があります。それに発症するかどうか分かるまでに約二週間かかります。さらに発症した場合は随時毒を消さなくてはなりませんので、それ以上の時が必要になることを覚悟しておいて下さい。」
「随時?一度には消せないのですか?特務隊士の任もあります。いつまでも城を空けているわけにはいきません。」
「無理だな。昔、勇者ガイラが同じ病になった時にも丸々二週間掛かった。まあまだ発症してもいない病にどうこう言っても仕方あるまい。こいつはここで預かるからお前さんはノイエブルクに戻っていいぞ。」
「ですが・・・やはりそこまで甘えるわけには・・・。」
ドナスピアはまだ何かを言いたそうにしている。特務隊士に選ばれて気負うのは分かるが、もう少し柔軟な思考を期待したい。
「このままノイエブルクに帰して死なれでもしたら夢見が悪い。あとこんなことは言いたくないが飛竜に噛まれるような場所に行くのが悪い。わざわざ刺激しなければ襲ってくることはないはずだ。いったい何処でやられたんだ?」
「・・・魔王の島です。近衛騎士隊長の招きに応じたシュタウフェン公の護衛の最中のことでした。」
「まあ、それじゃ仕方ないか。それでシュタウフェン公は無事か?」
「ええ、クリンゲが身をもって守ったおかげで公は無事です。ただ負傷したクリンゲに動揺した公がなんとでも治せと仰られて、ここまで連れてくることになりました。ですので少しでも早く元気になった姿を見せてやりたいのです。」
「そうか。まあ気持ちは分からんでもないがどうにもならないことはある。現状を説明して納得してもらえ。」
「・・・分かりました。ではクリンゲをよろしくお願いします。」
ドナスピアは深々と頭を下げるとファイエルクリンゲを一瞥した後に診療所から去った。
「帰して良かったんですかね?」
「仕方ないだろう。土毒はまだ研究中で即効性のある治療法は確立していない。報告書にはそう書いてあったと記憶している。」
「まあそうなんですけどね。しかしまあ厄介な病です。目に見えないぐらい小さな生物がいて、それが身体の中で毒を出す。宿主を殺すとは愚かな生き物ではありませんか。」
「人間にもそういう者がいたな。」
権力や栄華の為に平気で他者を虐げ貶める。彼等に比べれば土毒を出す生き物の方がましではないか。少なくとも人間と違ってその意味を理解していないだろう。
「はて?何か言われましたかな?」
「いや何でもない。では俺は行くから何かあったら連絡してくれ。できれば朗報がいいな。」
「お任せあれ。ご期待に応えて土毒の治療法を確立してみせます。」
俺はアポテイカの大言壮語を背に診療所を立ち去った。飛竜と土毒、俺にとって因縁の相手、あまり思い出したくない過去が脳裏に浮かんでいた。




