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人の心

 狼の身体を人間の赤子がよじ登っている。何も知らない者が見たら実に恐ろしい光景だろう。いや、ある程度理解しているはずのマギーも固唾を飲んで見守っている。狼の背中まで登ったブリッツがバランスを崩して反対側に落ちた。


「嗚呼っ!」


「大丈夫。」


 素早く体勢を直した狼が前足でブリッツの身体を受け止めている。受け止められた本人は無邪気にキャッキャと笑っている。そのまま首周りの柔らかい毛皮に捕まると、今度こそ狼の背中まで登りきった。


「お前、面倒なことになったと思っているだろう?」


「当たり前だ。なんで俺がこんな目に・・・。」


 文句を垂れる狼の背中で馬乗りになったブリッツが天を指差している。なるほど、昨日からずっとしているその仕草の意味が今やっと分かった。


「そのまま跳び上がれるか?昨日と同じ位だ。」


「無理だな。俺だけなら問題ないがこの子供はまず振り落とされる。そんなことも分からないのか?」


「確認しただけだ。なら今から力を与えるから変身してくれ。それでバルコニーから飛び降りて、再びここに戻って来れるだろう。」


《俺は魔力を10消費する、魔力はマナと混じりて万能たる力となれ。」


 狼の頭に掌を当てて編み出した力をそのまま解き放つ。吸い込まれるように消えた魔力が狼を人狼の姿に変え、馬乗りから肩車をされている形になった。ブリッツは突然変わった景色にご機嫌である。


「あんたの力も悪くない。透明感のある完璧に制御された力だ。文句があるとすれば大らかさに欠けるところか・・・。」


「褒めるか貶なすかどっちかにして貰いたいな。」


「済まん。だが極上の味を覚えた今、言わずにはいられなかった。あんたを貶なすつもりはなかった。」


 俺は冗談で言ったつもりだったが、そうとは受け止めなかったようだ。素直な謝罪の言葉が発せられた。


「まあいいさ。それよりさっき言ったように、下まで降りてここまで飛び上がってくれ。」


「分かった。」


 人狼はそのままブリッツの両足を抱えるとバルコニーまで歩いた。下が見えるようになったブリッツが意味ありげに下を指差す。


「大丈夫?危険じゃないの?」


「まあ見てろ。俺の予想が当たっていればブリッツは大喜びするはずだ。」


「そうじゃなくてこのまま何処かへ行ってしまうかもしれないわ。」


 マギーにはこの人狼がまだ信じることができないらしい。少しでも不安を取り除くことができる根拠を伝える。


「大丈夫だ。そんなことをしても何の得にもならない。それどころか俺を敵にする。その怖さぐらいは理解できたはずだ。そうだろう?」


「ああ、あんたはさっき言ったことを必ず実行する。俺は無限の苦しみを味わうのは嫌だ。」


「その通り。じゃあよろしく頼む。」


 人狼は無言で頷くとバルコニーから一気に飛び降りた。バルコニーから身を乗り出して下を見る。すぐさま戻ってくる人狼と目が合った。


「これでいいか?」


 元通りバルコニーに戻った人狼が素っ気なく言った。


「それはブリッツに聞いてくれ。まあ、聞くまでもないか・・・。」


 人狼の肩に乗ったブリッツは大喜びで、両の拳を振り回して人狼の頭を叩いている。やはりあの仕草は高い高いを意味していたようだ。ただし人には不可能な超がつく高い高いだ。


「おい、これを止めさせてくれ。痛くはないが気分のいいものじゃない。」


「そうだな。マギー、ブリッツを受け取ってくれ。」


「ええ、でもおかしな真似はしないでよ。」


「分かっている。」


 人狼が頷くと肩の上のブリッツを引き剥がしてマギーに渡そうとする。マギーは恐る恐る近寄ると、ブリッツを受け取った。ブリッツはまだ物足りなさそうではあったが、素直に母親の胸に抱かれた。


「さてこれからどうしようか?」


「これからだと?人と人狼は相容れない。だからここから出て行く。それはさっきも言ったはずだ。」


「それで何処かで野垂れ死ぬまで獣の如く生き続けるか。この国を預かる者としては、やはり放置することはできないな。」


「なら殺せ。それで文句はない。」


 昨日と同じく本気か。だがこの人狼は救ってやりたい。俺はあの竜の神を大魔王の怨念から救っている。この人狼を救うことぐらいできるはずだ。竜の神?そうか、その手があった。


「一つ提案がある。しばらくこのままこの城にいていい。適当にブリッツの面倒を見てくれるなら力は分け与える。それで人間を襲う必要はなくなる。」


「ちょっとそれ本気?」


 我ながら無茶な提案をしたものだ。当然のようにマギーが異論を口にした。


「ああ、本気さ。放り出しておくには危険すぎる存在、なら少しでも目の届く範囲に置いた方がいい。それにブリッツも喜ぶ。」


「でもこの城にこの人狼を抑えることのできる者はいなくてよ。」


「必要ないさ。それにどうしてもと言うならCompulsio(制約)の魔法を使ってもいい。」


「Compulsio?」


「王家の秘術のことさ。血と血の契約により行動に制限を加える。」


「おい、俺のことは無視か?それにしばらくの後はどうする?」


 実際に制約の魔法を使う気はない。だが不安に感じたのか、人狼が口を挟んだ。


「かつての魔王が生きている。お前が望むのなら引き渡すことも可能だ。」


「なんだとっ!魔王様が生きておられるのか?」


 これにはかなり驚いたようで人狼が大声を上げた。世間的には魔王は死んでいなくなったことになっている。魔物の側としてもそれまでノイエラントを占めていた瘴気が失われたことで、その情報を無条件に信じたようだ。


「そうだ。正確には魔王ではなくなったが、それ以上の存在となって生きている。」


「信じていいのだな?」


「ああ、信じてくれていい。すぐとは言えないが、いずれ連絡は付くはずだ。」


「・・・分かった。それまで俺の身をあんたに預けよう。」


「よし、ならば全て今まで通りこの町に居ていい。力が必要な時はブリッツから貰え。その代償はブリッツを楽しませることだ。」


「ふっ、安い代償だ。その条件を飲もう。では俺はいつもの場所に戻るぞ。あそこは居心地がいいんだ。」


 人狼は軽く笑って答えるとその身を元の狼に変え、バルコニーから飛び降りて行った。


「ねえ、これでよかったのかしら?」


「君のトラウマは理解しているつもりだ。だけど俺は人の心を持つ者を殺したくない。最善ではないかもしれないけど・・・。」


「そうね、あなたは優しいから・・・。」


 それだけ言うとマギーが俺に寄り添ってきた。互いに口にはしなかったが省略された言葉が分かるような気がした。真ん中に挟まれているブリッツが不思議そうな顔をしていた。

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