魔法使いと人狼
マギーが隣室に行ってしばらくして泣き声が止んだ。流石は母親であると感心していると、首を傾げながらこちらの部屋に戻ってきた。胸に抱かれているブリッツの手が何かを求めて伸ばされている。
「おかしいわね、こちらに何があるのかしら・・・いっ!」
ブリッツの手の先を追っていたマギーが突然悲鳴を上げた。視線の先はバルコニー、そこに銀色の毛皮を持つ狼が座っていた。
「なんでこの犬がここにいるのよ?逃げたんじゃなくて?」
「マギー、よく見ろよ。こいつは犬じゃない、狼だ。」
「それが何だって言うのよ。この子を攫った張本人がここにいる、そのことには違いないでしょう。それよりどうやってここに入れたのよ?いくらあなたでもそんなことできるはずないわ。」
メタルマの警備は俺の管轄外である。それでも無理を言えばで可能かもしれないが、それを良しとする俺でないことはマギーが一番よく知っている。
「よく来てくれた、感謝する。来てもらえないかと思っていたよ。」
「えっ!?誰に言っているのよ。まさかこの狼が自分の意思でここに来たとでも言うの?」
「ああ、そうだ。彼はただの狼じゃない、人狼だ。しかも会話が可能だ。」
この狼が人間の言葉を理解し話すことができる人狼であることは俺以外は知らない。事件を目撃した者も一瞬のことだけに何が起きたか分かった者はいないはず、だからマギーが説明されたことにこのことは含まれていない。驚くのは無理もない。
「人狼!?そこまで分かっていて何故ここにっ!?、人を襲う魔物なのよっ!」
マギーは後ろに飛びずさって距離を取った。ブリッツを抱き寄せて人狼の目から直接見えないようにしている。
「昨日の夜、わざわざ詫びを言う為にここに忍び込んできた。人を襲う魔物とは一線を画するとは思わないか?」
「それでも魔物には違いないわ。きっと今までにも人間を襲ったことがあるはずよ。」
マギーは昔人狼と一対一で戦っている。相手がマギーを舐めてかかっていたことが幸いして倒すことができたが、その恐怖はトラウマとして残されているとしてもおかしくはない。
「そうだ、その女の言う通りだ。俺は今まで何人もの人間を喰ってきている。」
初めてマギーの前で人狼が口を開いた。昨夜と同じで捨て鉢になったような口調、やはりその命を絶たれることを望んでいると思われた。
「また殺してくれと言いに来たのか?昨日断ったはずだ。」
「そうだ、子供の母親にも謝罪ができて思い残すことはなくなった。昨日も言ったが俺を殺せ。これ以上耐え難い飢えの苦しみを味わい続けたくない。」
「ちょっとあなた達何を言っているのよ。殺してくれって何の事?飢えの苦しみって何?餌・・いえ食べ物は十分にあったはずよ。」
飛び交う謎の言葉にマギーが食いついてきた。
「俺達が言う万能たる力、それが人狼の力の源らしい。その中でもブリッツから漏れ出る魔法力が最も美味らしい。」
「えっ、そうなの?」
「ああそうだ。今まではあんたの力かと思っていたが違った。昨日その子に触れられた時にはっきりと分かった。この味に比べたら瘴気などまさに汚れた力、もはや喰らうに値しない。」
「???・・万能たる力と瘴気に何の関係があって?」
「瘴気は魔法が使われた後に残されるカスだ。その瘴気を取り込んでも力を得られるが、妙な興奮状態になる。興奮に身を任せ生者を殺し、その血肉を喰らう。その生者に魔法が使えれば更なる瘴気を取り入れることができる。それを繰り返しが人狼を強くするが、そんな相手に巡り会えるのは稀だ。以前のノイエラントなら瘴気に満ち溢れていたからそれでも生きていくことができたが、今はそれも叶わん。それなら死んだ方がましだと思うようになった。」
マギーと襲った人狼はいたぶるように戦ったと聞いている。それは性格的なものもあるが、無駄に魔法を使わせて瘴気を生み出させようとしていたのだろう。この人狼の言葉はなかなかの研究材料である。我ながらおかしなことを考えていることに気付いた。
マギーも興味を持ったのか、人狼に向かって一歩近寄る。正面を向いたブリッツの手が狼に向かって伸ばされた。
「だあっ、だあっ!」
ブリッツが必死で狼の毛皮に触れようと手を伸ばす。届かないのがまどろっこしいのか、またぐずり始めた。
「どうしたの、ブリッツ。何がしたいのよ?」
「どうやらこの狼が気に入ったらしい。」
「何を馬鹿なことを・・・。」
「狼のくせに人間に向かって馬鹿とは失礼だな・・・冗談だ、そんな顔しなくていい。」
昨日からいろんな表情が分かるようになってきている。狼の顔が憮然とした表情を見せたのを慰めた。
「マギー、ブリッツを自由にしてやってくれ。」
「大丈夫?今までのことは全て嘘で今度こそ本当に襲いかかってくるかもしれないわよ。」
「大丈夫だ、そのつもりなら昨日そうしている。おそらくこいつにとってブリッツは金の卵を産む鶏なんだ。一時の気の迷いで喰らうには惜しい。」
「本当に大丈夫?その一時の気の迷いで行動に移すかもしれないわよ。」
どうやらまだ信じられないようで、床には置いたが手は放せないでいる。
「おかしな真似をしたら俺が斬る。俺の腕は信頼してくれているだろう?」
「ええ、それは信頼しているわ。」
「俺は斬ってほしいのだがな。あえて襲うかもしれんぞ。」
狼が横から口を出してきた。確かにその可能性はある、無条件で信用するのは危険か。
「お前、人間の悪意を知らないな。命を絶たずに延々と苦痛を与え続ける方法もある。もしこの子に傷一つでも付けたら、それをお前の身に味あわせてやる。それでもよければ襲ってみろ。」
「どうやら本気のようだな。襲うのは止めておこう。」
「マギー、もう大丈夫だ。ブリッツを放してやってくれ。」
まだ躊躇しているマギーを促した。そっと手が放される。拙いながらも歩き出したブリッツの手が狼の毛皮に掴まった。




