人狼
「止めろっ!その子を放せっ!」
高い外壁の上に飛び上がった獣に向かって大声を上げる。その声に反応した獣がこっちに振り向いた。その顔が驚いているように見えるのは気のせいだろうか?一瞬の躊躇の後、獣はブリッツをそこに置くと城壁の向こうに姿を消した。
「なっ、何が起きた?いやそんなことは言っている場合じゃない。早くブリッツを確保しないと・・・。」
非常識な出来事に凍りついていた時が動き出す。城壁の高さは5m、すぐ近くに階段はない。下に伏せて置いてある梯子を数人がかりで立てかけると、自ら登ってブリッツの所まで駆けつけた。抱き上げようとした我が子は、予想と異なり何故か嬉しそうに城壁の外に手を伸ばしていた。
「キャッキャッ、キャッキャッ!」
「なんだよ・・・お前、心配させてくれるな。」
あまりの緊張感のない光景に思わずへたり込む。泣いている乳母、血相を変えた護衛兵が次々と城壁の上に集まってきた。
「奴は外に逃げたようです。すぐに後を追わせます。」
「無用だ。野は彼等のテリトリー、余計なことをする必要はない。」
「そうですか・・・ではあの獣を手引きした者を捕え、何処の手の者が何を意図してやらせたのか調べます。」
警備担当の一人が詰め寄る。何処の誰かが、何を目的としたとしても中途半端すぎる。奴はブリッツの命だけでなく俺の命も奪えた。ならば何の為に・・・?
「宰相様、よろしいですか?」
「あ、ああ、君に任せる。ただ民間人相手だ、十分な配慮を頼む。」
「・・・はっ、承知しました。」
少し不満げに返事をすると警備兵達は城壁から降りていく。その間もブリッツはずっと下を指さして何かを訴えていたが、ここは城に戻ることを優先した。
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結局何事もなく城に戻っている。言うことを聞いてもらえないことを不満に思ったのか、ブリッツがギャンギャン泣き喚いたことを除けばだが・・・。言葉の通じない相手は難しいと改めて認識した。
夜になった今はブリッツの寝ている隣の部屋で一人でいる。護衛の兵士が部屋の外に控えているから、誰かが襲撃してくる恐れはないはずだがどこか落ち着かない。さっきから開いている書物の内容が全く入ってこないでいる。
「そこに誰かいるのか?」
ここは10mの高さにある部屋だが、バルコニーのある窓の外に気配を感じて声をかけた。無意識に左手が刀を引き寄せている。依然として外に気配はあるが反応はない。
「宰相様、何かございましたか?」
「何でもない。ただの独り言だ。」
俺の声に気付いた護衛兵の方から声がかかった。本来なら彼等を入れるべきだとは思ったが、何故かそうしない方がよいと判断した。窓に向かって歩く。静かに鍵を開けた。
「俺以外は誰もいないから、入っても問題ない。ただしおかしな真似をしたら斬る。」
「すまん。」
大きな窓が静かに開き、白銀の毛皮を持つ狼が入ってきた。敵意は感じない。しばらく無言の時が流れる。緊張した空気を和らげる意図でソファに深く腰をかけると、狼も同じく正面のソファの上に座った。
「昼の人狼だな。なぜこの町にいる?俺の命が目的か?それとも俺の家族が目的か?」
「どっちでもない。この町に来たのは、偶然で居着いたのは必然だ。」
「意味が分からないな。こんな人狼は始めてだ。」
「俺もあんたみたいな人間は始めてだ。人狼と分かっていてまともに話しかけてきた人間は今までにいない。」
狼の口から呆れたような言葉が漏れた。ノイエラントで戦った人狼は血に飢えたような目をしていた。まともな会話など期待できずマギーが戦った相手は、嬲り殺すことを好む発言をしていたと聞いていた。
「人狼の口から自らの生態を聞く数少ない機会だ。不意にするのは惜しい。何でもいいから君達について教えてくれ。」
「噂通りおかしな人だ。なら話すが、俺には血や肉以外に必要な糧がある。その為にこの町にいた。」
「糧?ブリッツを攫ったことと関係があるのか?もしそうならこの町に置いておくわけにはいかない。」
「話は最後まで聞け。俺は初めから人狼として生まれてきたわけではない。只の狼が人狼になるには必要な力がある。俺にとってはその力は瘴気で、7年前突然湧いた濃い瘴気で人狼に目覚めた。」
このメタルマやローザラインのある暗黒大陸は、ずっと昔から瘴気に覆われていたと聞いている。それが7年前となるとノイエラントで魔王が現れた時と一致する。
「お前、ノイエラントから来たのか?」
「そうだ。魔王の消滅と共に瘴気は失われ、必要な瘴気を得ることができなくなった。それで一縷の望みをかけて暗黒大陸に来て、ここメタルマに辿り着いた。」
「メタルマに瘴気はない。」
「ああ、初めはなかった。それが一年程前からかなりの量の瘴気が湧くようになった。かつてのノイエラント程ではないが俺一人分の糧には十分な量だった。」
一年程前?たしかその頃に魔物の出現が増えた報告があったが何故だ。どこか瘴気溜まりでも暴いてしまったのか。
「その瘴気は今も湧いているのか?」
「いや、出ていない。多くの瘴気が湧き出ていたのはおよそ二ヶ月で、その後は自然に消えるぐらいの量しか沸いていない。」
「ん?瘴気は常に湧くものなのか? 」
「ああ、あんた達が魔法を使った後に瘴気が残される。そんなことも知らなかったのか?」
狼の口から皮肉のような言葉が吐かれた。魔法を使用した後マナがどうなるか考えたことはあったが、まさか瘴気に変換されていたとは、この先魔法の使用を制限しなくてはならないかもしれない。
「いいことを聞いた、感謝する。しかし一つ疑問ができた。瘴気が湧かなくなった後もここにいるのは何故だ。」
「糧となるのは瘴気だけではない。瘴気になる前の力、こっちの方がずっと心地よい。俺はこれらを純粋な力と汚れた力と呼んでいる。」
なるほど多分この人狼が言う純粋な力とは万能たる力のことを差すのだろう。一時間に10分だけブリッツから溢れ出る魔力は全く変換することなく放置している。それを糧にしていたのか。
「そこまではよく分かった。だが今日は何故直接の行動に出た?力が必要とは言え、お前では赤子を育てることはできないだろう。」
「あれは不慮の事故だ。今までは誰が力の持ち主かは分からなかった。それが今日あの子に触られた瞬間にはっきり分かり、直接注ぎ込まれた力に酔ってしまった。あんたに声をかけられた瞬間、我に返った。済まないことをしたと思っている。」
狼の頭が伏せられる。どうやら謝意を示しているつもりのようだ。
「分かったよ。もうそのことは責めない。だがここに来た理由はまだ聞いていないのだが?」
大体予想は付くが本人の口から聞いてみたい。そう思ったので意地の悪い質問をしてみた。




