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辺境の村

「ヤルナッハ男爵様、お迎えに上がりました。」


 真っ暗な中、焚き火を数人が囲んでいる。少し離れた所からクヌートが声をかけた。


「誰だっ!」


「私です。クヌートです。男爵様をお迎えに上がりました。」


 クヌートの顔が明かりに照らしだされると、座り込んで奴隷に足を揉ませていた男爵が一瞬ほっとした様な顔を見せた。他の者達も同様に安堵の表情を浮かべる。クヌートは自分の判断が正しかったと改めて思った。


「遅い、今まで何をしていたっ!」


 そんなクヌートの思いは男爵の一言に裏切られた。後ろに控える護衛の兵士が気色ばんで、腰の剣に手をかけた。クヌートが後ろを見ずに右手でそれを制する。剣の柄から手が離れた。


「申し訳ありません。男爵様を探すのに手こずりまして誠に申し訳ございませんでした。」


「はっ、どうだか。お前も本当は私を嘲笑っていたのだろう。ここに来たのも、私が死んでいるかどうか、確かめに来たのではないか!」


 男爵の罵声にクヌートが息を飲む。


「今の私は誰であれ人の死を望むものではありません。ここに来たのは男爵様を安全な場所に送り届けるためです。」


「ふん、口先だけなら何とでも言えるわっ。見たところ馬も馬車もない。やはり私を殺す気だな。お前達、私を守れ。」


 男爵の命令に奴隷達が盾になろうとクヌートの前に出た。その動きは疲れのせいか緩慢で、その気になれば護衛の兵士二人で駆逐することも可能に見えた。


「男爵様、お聞きください。馬も馬車も持って来なかったのには理由があります。決して他意はございません。」


「ではどうするつもりだ。お前達がいても何の役にも立つまい。ああ、魔物が出てきたら囮ぐらいにはなるかもしれんなっ!」


 感情剥き出しのまま男爵の罵倒が続く。クヌートの後ろに立つ兵士二人が再び剣に手を伸ばす。ガチャリと立った音に男爵の顔が恐怖に歪んだ。


「魔法でグランゼまで送り届けて差し上げます。それが私にできる精一杯のことにございます。」


「魔法?お前が魔法だと・・・ふざけるな、お前のような奴隷風情に魔法が使えるわけあるかっ!」


 男爵の言うことは尤もである。魔法を習得するには誰かに魔法を習うしかない。それも習うならできるだけ若い方がよいとされている。男爵の下にクヌートがいたのは10年程前、その時30代半ばであったクヌートには魔法は使えなかった。それに奴隷に魔法を教える者などいない。見えない武器を与える様なものだからだ。常識的に考えてもクヌートに魔法が使える道理はない。


「では私の提案は却下なさいますか?それが男爵様の本意なら私にできることはもうありません。ここを失礼することにしましょう。」


「待てっ、待ってくれ。」


 グランローズの方角に一歩踏み出したクヌートを男爵が引き止めた。


「まだ何かございますか?」


「本当に私を送り届けることができるのか?偽りではなかろうな。」


「偽りではございません。今すぐにグランゼに送り届けて差し上げましょう。」


「う、うむ、そうであるか。ではすぐに送ってくれ。グランゼでは不満だがここよりはましであろう。」


 男爵が折れたおかげで随行する者達が安堵の表情を浮かべた。しばらくして一条の光がグランゼへと跳んだ。


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 開拓の村グランゼ、少し前まで2千人しかいなかったこの村も今はかなり増えて、5千の人口を数えることができるようになっていた。近くでは魔物が出ることもあって、村全体が2m以上ある高さの木の柵で囲まれていて、夜は門扉を閉めることで誰も出入りすることはできない。クヌートは見張りの兵士に男爵を預けると速やかにグランローズへと戻った。


「何をしておる、早く宿を用意せぬか。」


 引き渡された兵士達が露骨に迷惑そうな顔をしている。事の顛末は昼すぎに聞いていて、一週間から二週間後に来るだろうと言われていた。それがなぜか半日も経たぬうちに来ている。話の内容と合わせても迷惑極まりないだけでなく、その傲慢な態度に余計腹が立っていた。


「はい、只今用意しております。しばしお待ちを。」


「うむ、できるだけ大きな部屋をだぞ。それと馳走も用意させよ。私は今腹が減っておる。」


 男爵が勝手な要求を言っている。聞けば聞くだけ腹が立つので兵士達は途中から聞くのを止めた。


「まともな宿屋なんかあるかっ、ここは本国じゃねえっての。それにてめえに食わしてやる飯なんかねえ、俺達だって腹いっぱい食えないんだぞ。」


「まあ確かにそうなんだが、相手が相手だ。ここはサイモン隊長に任せておこう。」


「隊長もかわいそうになあ。」


 男爵に負けずと劣らず勝手なことを言う。しばらくして現れたサイモンとホフマンスが姿を現した。


「これはヤルナッハ男爵、急な訪いですがいかが致しましたか?」


「おお、これは先の国務大臣殿ではありませんか。僻地に飛ばされたとは聞いていましたが元気そうでなによりです。」


 先の国務大臣であるだけにホフマンスの顔はすぐに男爵の知れるところになった。ホフマンスも同様である。しかしながらサイモンには男爵の顔に見覚えがなかった。


「これはお口の悪いことを仰られる。確かにここは僻地ですがそれなりに良い所もあります。それより、その僻地に何用でしたかな?」


「それだがな、ローザラインの若造に恥をかかされたのだ。聞いてくれるか。」


「・・・恥ですか?それは大変な目に合われましたな。夕餉を用意させますので、その時にお話を伺うことにしましょう。」


「おお、そうであった。今日は長いこと歩かされたせいでずいぶんと腹が減っていたのだった。ここでは何が名物であったかな?」


「さて男爵殿のお口に合いますとよろしいのですが・・・。では案内致します。ついて来て下され。」


 ホフマンスは男爵を元カウフマン公爵の屋敷へと案内する。他に男爵を案内できる様な建物はない。


「おい、何を食わせるつもりだ。この村には豆と芋、それと野獣の肉ぐらいしかないぞ。」


「それで十分だ。サイモン、お前も話を聞いて腹を立てているのだろう。何処に行っても本国と同じ待遇が得られると思うなよ。それをここでも思い知らせてやろう。」


「おい、ホフマンス。お前、ずいぶんと人が悪くなったみたいだな。何処かの誰かにそっくりだぞ。」


「何を今更・・・そんなことより詰まらんことで爆発するなよ。まだ本国には睨まれたくない。」


「分かってるよ。顔を見るとむかついてくるからできるだけ見ないようにする。後はお前に任せた。」


 先導するホフマンスとサイモンが男爵に聞こえないように小声で話している。男爵の目にサイモンはただの護衛にしか見えていないのか、二人の会話は気にも留めていないようであった。

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