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奴隷の開放

「何をもたもたしているっ!さっさと来ないか。貴様等、私を殺す気かっ!」


 豪華客船から降りようとしているヤルナッハ男爵の機嫌は大変悪い。それもそのはずでなんとか他の船に搭乗するべく交渉を続けていたのだが、全て丁重に断られてしまった。


「あいにく満室にございます。是非とも次の機会には当船のご利用をお願い致します。」

「大変申し訳ありません。当船は石炭を運んでいまして、偉い貴族のお方を乗船頂くにはあまりに恐れ多いのでございます。まさか石炭と相部屋させることはできないことにございます。」

「当船の次の寄港地はローザラインにございます。残念ながら男爵のご希望には添えないかと・・・。」

「これは困りました。当方は善良な商人でございまして、禁止物資である奴隷を運ぶわけにはいかないのですよ。悪しからずご了承下さいませ。」


 彼らの言い訳は今思い出すだけでも腹が立ってしょうがない。それにこの港に居られる時間には限りがある。たくさんの荷物を抱えてもたもた歩く奴隷達の姿が、余計に男爵の機嫌を悪くする。感情のままに奴隷の持つ荷物を思いっきり蹴飛ばした。


「うわっ!」


 荷物に引っ張られる形で奴隷が大きく転んだ。さらに男爵の蹴りが転んだ奴隷に入ろうとする瞬間、声がかけられた。


「暴力行為はいけませんなあ、男爵。せっかく放免されたのです。余計な罪で再度裁かれたくないでしょう。」


 そこにいたのは鎧を着込んだ兵士4人、声をかけたのはローザライン近衛騎士副隊長ゲオルグその人である。


「うるさい、黙れ。貴様ごとき下賎な者に言われる筋合いなど無いわっ!それに私の奴隷をどうしようが私の勝手だろう。」


「あれっ、聞き間違いかな?我が国にいるはずのない奴隷がここにいるそうだ。もしそうだとしたら取り締まらなくてはならなくなる。お前達、聞こえたか?」


「はっ!副隊長。小官にもその様に聞こえました。」


 ゲオルグが白々しく並ぶ部下に質問すると、用意されていたような答えが返ってきた。男爵の顔色が青くなって、汗をだらだらと流し始めた。


「きっ、聞き間違えだ。この者達はただの随行員で、あまりにもたもたしているから叱責しただけだ。」


「ああ、なるほど、ではお急ぎ下さいませ。用意された船はあちらです。」


 これまたわざとらしくゲオルグが一艘の舟を指さす。小さな手漕ぎの舟でしかないそれに男爵の顔が青から赤に変わった。


「いちいち言われなくても分かっておる。おい、行くぞ。」


 足音を立てて先を歩く男爵の後を、死んだ魚のような目をした奴隷達が続く。


「なあ、お前があの男爵の随行員だったらこのままついていくか?」


 ゲオルグはそこにいる全てに聞こえるような声で隣にいる部下に話しかけた。男爵の奴隷達の足が止まった。


「小官ならついていきません。仲間を殺した相手についていくなど考えられないことです。」


「そうだよな、たとえ大金で雇われていてもお断りだ。で、ついていくのを止めたらどうすればいい?」


「ローザラインには亡命を受け入れる用意があります。このまま入国管理局に駆け込めばよいと思います。」


 ゲオルグの質問に棒読みの答えが返ってきた。振り返った男爵がゲオルグに向かって怒鳴る。


「そこっ、黙れっ!」


「はて、何かありましたか?ただの世間話ですよ。」


「何を白々しいことを・・・。お前達、こいつらの戯言に耳を貸すでないぞ。」


 男爵の怒りは頂点にあった。その怒りの表情に奴隷達の顔色が変わる。そのまま地面の荷物を持つと再び歩き出した。


「ああそうだ。男爵は10年はこの国に入ることはできない。二度と会うことの無い人の顔色を伺う必要なんかないぞ。」


「うるさい、うるさい、うるさい。もう喋るなっ!」


「おお、怖っ!」


「黙れと言っただろうっ!」


 つかつかとゲオルグに向かってきたヤルナッハ男爵が拳を振り上げる。振り下ろされた拳はあっさりと避けられ、みっともなく男爵がよろけた。


「そんなとろい拳、誰が当るか。俺はあんたの奴隷じゃない。この国であんたの権威に従う者なんかいないぞ。」


「副隊長、そこは当たらないと・・・?」


「あっ!」


「おのれっ、虚仮にしおって!もういい、行くぞ。」


 男爵はゲオルグをひと睨みしてから歩き出す。のろのろと歩き出す奴隷達、ゴトンと鈍い音がした。


「俺はここに残る。」


「貴様、何を言っている。奴隷の分際で勝手なことを言うな。」


 荷物を落としたのは若い奴隷の一人、死んだ魚のような目はもうしていない。


「仲間を殺されて黙って従うことはない。確かにこの人達の言う通りだ。なあ、あんた、俺はこの国に亡命する。受け入れてくれるか?」


「ああ、いいぜ。ローザラインは犯罪者以外如何なる者も受け入れることになっている。他に亡命を希望する者はいないか。」


「お、俺も。」

「・・・・私もっ!」


 次々に荷物から手が放れて、上に挙がる。結局12人いた奴隷のうち7人が亡命を表明した。男爵が真っ赤な顔で睨んでいるが、再三の忠告のせいで文句は言えずにいた。その目の前で7人が兵士達に何処かにつれられていった。


「あんたはいいのか?」


「私は男爵に仕えて30年になります。今更別の生き方はできません。それに屋敷に家族を残してきた者もいます。御察し下さいませ。」


 初老と言える年頃の一人はゲオルグにだけ聞こえる声でそう言った。


「そうか、なら何も言わない。達者でな。」


 言葉では返事をせず一礼するとそのまま他の者と一緒に舟に荷物を積み始めた。男爵はまだゲオルグを睨んでいるが全く気にしないでいる。その内に舟を出す準備ができた。ヤルナッハ男爵が舟に乗り込んだ。


「貴様、覚えていろ。国に帰ったら、昨日の若造と合わせて厳重に抗議させてやる。」


「昨日の若造?」


「ワイズマンとか言う若造のことだ。平民の分際で貴族たるこの私への暴言、許すわけにはいかぬ。」


「ああ・・・あんたが若造と言うその男な、実はこの国の宰相様だぞ。」


「なっ!?」


「さてそろそろ時間だな。ではごきげんよう。」


 あまりのことに絶句した男爵を無視してゲオルグが船出を促した。同乗している奴隷達が櫂を漕ぎ出すとゆっくりと陸地から離れていった。


 ----------------------------------


 目下の海で小さな舟が対岸へと向かっている。それをクヌートと高台から眺めていた。


「全員とはいかなかったみたいだな・・・これでよかったのか?」


「ええ、十分でございます。ありがとうございました。開放された奴隷に代わり、お礼申し上げます。」


「そっか、なら後のことは任せる。」


「はい、もちろんです。この港はまだまだ人手を必要としていますから。」


 クヌートが不器用な冗談を口にした。


「それよりもし国に帰れたとしても貴族としては終わったも同然だが、男爵のことはあれでいいのか?」


「貴族として終わり?どういう意味でしょうか?」


「二度と表舞台に出ることはない。男爵も気付いていないようだが、俺が下した裁決は結構辛辣だ。我が国の施設の利用禁止、これには各国に配した転移所も含まれている。他の者が転移の魔法で移動できる中、舟でしか移動できない男爵が重要視されることはなくなる。それに奴隷に逃げられたことも知れ渡る。どちらにしても男爵に未来はないな。」


「もしかして私が何か言うより前にそこまで考えていたのですか?」


「ん~、そこまでは考えてなかったかな。だけどどうにでもできる状況にはしておいた。生殺与奪はこちらの思うまま、それが一番だ。そんなことより、このまま行かせたら確実に死ぬぞ。それでもいいのか?」


「あっ!」


 男爵の舟は大分小さくなって向こう岸に着こうとしている。グランゼまでの陸路はまだ整備されていない。旅慣れた者でも一週間、男爵の足だと倍の二週間で辿り着けるかどうか分からない。


「距離だけでなくて途中で土着の魔物に襲われるかもしれない。結構強い魔物がいたと報告を受けている。」


「では助けないと・・・これでは実質死刑ではないですか。」


「結果的にそうなった。まさか全ての商人がこちらを忖度して男爵を放り出すとは思わなかったよ。だけど俺は男爵に何かしてやる義理はない。クヌート、後は君に任せる。」


「私に・・判断しろと・・・・。」


「ああそうだ。男爵が許せないならこのまま捨て置けばいい。」


「死ぬかもしれないのは男爵だけではありません。」


「そう思うのだったら後を追って魔法で送ればいい。君にはローザライン、メタルマ、ブランローズ、そしてグランゼへの魔法を教えてある。」


「しばらく考えさせて下さい。」


「後は任せると言った。好きにすればいい。俺はドックを視察しているから、もし留守にするなら連絡だけくれ。」


 まだ悩んでいるクヌートを置いてドックへと歩く。クヌートは男爵のことは憎くても、随行する者を見捨てることはできないだろう。結果、男爵は奴隷によって助けられることになるが、その意味を男爵は理解できるだろうか?もしそうなら10年の入国禁止処置を短縮してやってもいいかもしれない。

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