国外退去
「人を殺せば死刑、これは覆りません。」
「ちょっと待ってくれ。私を殺すと言うのか!?」
ヤルナッハ男爵が再び立ち上がり大声を上げた。顔が真っ青になっていて大汗をかいている。
「まあまあ、話は最後まで聞いて下さい。まだ私の提案は終わっていません。」
わざとらしく男爵を手で制して座らせる。男爵が座り直すのをゆっくりと待ってから話を続けた。
「今回の事件は泥酔状態の男爵による過失致死と判断しました。まあ普段の行いが悪いせいであるとも言えますが、それは今回は考慮しないでおきましょう。故意でない殺人の場合は賠償金を支払うことで罪を減じることができますが、被害者の遺族と呼べる者がいませんのでその方法を取ることは不可能です。」
「いい加減にしてくれっ!勿体ぶらずに早く結論を言え。ノイエブルクの貴族である私をこの国の法で裁くことはできない。そうであろうっ!」
「・・・・・・・そのとおりです。ご明察恐れ入ります。」
たっぷり間を置いてから答える。男爵の顔に安堵の表情が浮かんだ。
「ですが、何もお咎め無しでは今後の法の運用に差し支えがあります。そこで男爵には国外退去して頂きます。さらに10年間、ローザラインに立ち入ることを禁じます。もしその期間に立ち入ることがあった場合は本来の刑を執行させて頂きます。これでよろしいでしょうか?」
「・・・仕方なかろう。その条件を飲もう。」
「ご理解頂けて幸いです。なお、我が国の運営する施設も同様の扱いをしますのでお気を付けを。」
「ふん、頼まれても利用したりなどせん。こんな国、二度と来るものかっ!」
「結構です。ではこちらの要望はお伝えしました。この建物は一時間後までに、この港は明日の正午までに退去して下さい。もしそれまでに退去できない場合は然るべく対処させて頂きます。ではこれにて失礼。」
自分で言っていてその内容に嫌悪感が湧いてくる。これ以上不愉快になりたくない、そんな思いで男爵のいる部屋から逃げ出した。誰もいない廊下を早足で歩く。突然男爵の隣の部屋の扉が開いた。
「なんだ、二人とも聞いていたのか。」
開いた扉の向こうにゲオルグとクヌートが立っている。その顔は実に不満そうだ。
「ああ、聞いていた。甘い、甘すぎるぞ。あんな内容で満足できるか!」
「声が大きい。隣に聞こえるぞ。」
「聞こえるように言っているんだ。この際だから言っておくが、あの男は同じことを繰り返すぞ。貴族の立場を利用すれば何をしてもいい、そう思っているに違いない。」
顔を真っ赤にしてゲオルグが怒鳴った。隣に立っているクヌートも同じような表情で俺を睨んでいる。
「それは間違いないだろうね。ゲオルグ、だったらこんな所で文句を言っていないで、お前の職務を果たせ。」
「俺の職務?」
「なんだ何も分かっていないのか。ここを退去するまでの間に何をしでかすか、分からんのだ。二度と来ることのないこの国に置き土産を残していくとは考えないのか?」
「うっ、そんなこと考えもしなかった。分かった、すぐに手配する。」
ゲオルグはバタバタと音を立てて部屋の外へと出ていった。残ったのは俺とクヌートの二人だけ、何か言いたそうな顔をしている。
「クヌート、言いたいことがあるなら言えばいい。」
「少し失望しました。やはり宰相ともなると外交の方が大事なのでしょうか?」
「ああ、そうだ。今ローザラインは親和政策をしている。今ここで余計な摩擦は起こしたくない。」
クヌートが失望に顔を伏せた。そのままゆっくりと部屋の外へと歩き出す。その肩に手を伸ばして出ていくのを止めた。
「クヌート、お前はどうして欲しい?男爵を殺せば満足するのか?」
隣にいる男爵に聞こえないよう、小声で問いかけた。俺の思惑を理解しろ、そう目でも問いかける。
「・・・・・分かりません。ここで男爵を殺して宰相様や他の方々の足を引っ張るようは真似はしたくありません。それでもなにか納得できる答えが欲しいのです。」
「つまらん遠慮はしなくていい。できるかどうかは別として、お前の希望を言ってみろ。」
「・・・・・・では、男爵の連れている奴隷を開放してもらえませんか。無茶な望みであることは分かっています。すべての奴隷が開放されるわけでもなく、ただ単に私の自己満足にすぎませんが、そうなることを望みます。」
しぼり出すような声でクヌートが望みを口にした。殺せと言わないだけ俺よりずっと優しい。俺が彼の立場なら間違い無く殺してくれと言っただろう。
「分かった。では例のドックを使えるようにしておいてくれ。明日の午前、緊急の修理が入るはずだ。」
「はっ?乾ドックのことですか?それに緊急の修理とは一体・・・。」
「細かいことは気にするな。では頼んだぞ。」
表向きの話は終わった。ここからは裏の顔、この男に見せる必要はない。
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翌早朝、世界一周の豪華客船の旅を謳ったエグザイル船籍の客室に篭っているヤルナッハ男爵の部屋に船長が訪れていた。
「お客様、大変申し訳ありませんが一旦退船して頂かなくてはならなくなりました。お連れの方共々、船を降りて頂けないでしょうか?」
「無理だ。訳あってこの港に降りることはできぬ。」
「それは承知しております。そこを曲げてなんとか・・・・。」
頭を下げつつ、ちらっと男爵の顔色を伺う。言うことを聞いてもらえる様子はない。
「これは困りましたな。実はこの港に入るときに船底をどこかで擦ったようで、すぐに修理に入る必要があるのです。」
「修理など勝手にすればよかろう。」
「無理でございます。修理の為に入渠させるには総員を退船させる必要があります。正午までにはまだ時間があります。他の船を探すか、対岸に渡ればよろしいではないですか。この港の向こう岸はローザライン領ではないはずです。」
船長は穏やかだが有無を言わせぬ口調で男爵に詰め寄った。
「・・・いっ、嫌だ。私はこの部屋から動かんぞ。」
「そうですか・・・ではこの船と一緒に海に沈んで下さい。私どもは男爵の屋敷に行ってこの船を失う事によって被った損失を払ってもらうことにします。では失礼。」
船長は踵を返した。その背中に声がかけられる。
「まっ、待て。なら退船する。だから手配を頼む。」
「・・・手配ですか?」
「他の船の手配だ。それぐらいしてもよかろう。」
「これは困りましたな。急な修理が入って大変忙しいのです。男爵の望みを叶えるほどの労力を払う余裕がありません。まあ、向こう岸まで送ることならなんとかなりますが・・・それでどうでしょう?」
「仕方ない。それでよい。すぐに手配してくれ。」
「承知しました。では後ほど。」
船長が部屋を出ていく。男爵に見えない所で馬鹿にした様に舌を出した。




