数学の空想
その日は真夜中のコーヒーショップで意味も無く夜ふかしをしていた。
読みかけだった文庫本は既にクライマックスを過ぎて、徐々にその価値を無くしつつある。
そんなさなか、一組の男女がやって来て、僕の前の席に座る。
どうやら喧嘩をしている様だ、男の顔は見えないが、
女の赤く充血した目には薄ら涙が見える。
2人共脱色した髪の毛を所々カラフルに染め、とても派手な服装をしている。
パッと見た感じでは2人は、とても前衛的な風貌だが、どこか60年代のパンクスに通じる物が有り、好感がもてた。
だか、目の前で言い合いをされるのはさすがに頂けない、
すっかり興を削がれた僕は、読書を諦めぼんやりする事にした。
窓の外に張り付いた夜は、その勢力をつよめてやまない。
店中に響く怒号のあと、男は席を立った。
泣き続ける彼女をぼんやり眺めていると、その真冬の星空のように澄みきった彼女の目が僕をとらえる。
その瞬間僕はインド人の事を思い出した。
古来から活用されている数字による計算の中で、初めて“0”という概念を創り出したのがインド人だそうだ。“0”とはつまり、何も存在しない状態を表す数字だ。
わかるかい?何も存在しないと言うことを君はちゃんと理解できるかい?
例えばここに角砂糖が三つある、だがこれを全部コーヒーに入れてしまえば、ここに角砂糖は“0”個ある、つまり一個もない、一以下、“0”だ。
まぁ物理学者や科学者は、「角砂糖は溶けただけであって質量的には変わりない」とか何とか御託を捏ねたがるだろうが、この際どうでもいいことだ。
こうして漠然と理解している“0”だが、本当に何もない状況を理解できるだろうか?
ある学者はこう言う
「宇宙空間には終わりがありその向こうは何もない空間が広がっていると」
何もないのに空間があるとはこれいかに?はたまた何もないという空間が存在すると言うことだろうか?
言葉のあやに真実が見え隠れする。
マスカラを溶かして流れる彼女の黒い涙は、僕を釘付けにした。
取り残された彼女は、相変わらず咲く季節を間違えた花のように弱々しくそこにいた。
再び彼女と目が合う、涙は既に元の純度を取り戻し、濡れた瞳は漆黒の宇宙を僕に見せてくれた。
そうか、僕はまた一つ真実に近づいた、彼女の眼の中が宇宙だったのだ!
そしてその向こう側、僕が居るこの場所こそ“0”の空間に他ならない。
「何もない」が「存在する」この“0”の空間にはなんとコーヒーショップが存在したのだった。
そう、宇宙という眼球は、“0”の空間を投影する水晶のようなものだ、きっと彼女の瞳の中の地球にもコーヒーショップが存在するはずだ。
ここで三度、彼女と眼が合う。
彼女はいい加減にしてといった感じで、その愛らしい眼を花柄のハンカチで隠してしまった。
僕は大嫌いなコーヒーを少し口にすると、チッっと舌打ちをして窓の外を見た。
夜明けを目前にもっとも暗い時間帯、漆黒の雨が街を包んでいた。
きっと“0”の空間でも雨が降っているのだろう。
夜が明けたら僕は、花柄の傘を差して帰ろうと思う。