Honey5 不自然なあなた
思いがけない再会の後、私を待ち受けていたのは理事長室での貴方との挨拶だった。
――初めまして
そんな貴方は、私に笑みを向けて告げた。
――初めまして、一宮凛仁です。
……って、
な〜にが初めましてだよ!
笑みを浮かべて告げる彼=一宮凛仁に、そう思いながらも再び一礼をする。
「初めまして。本日よりお世話になります浅倉藍李です」
「同じく、お世話になります入江乃亜です」
私とイリの挨拶を聞いた後、彼は穏やかに笑みを見せていた。けど……
何だろう。その笑顔に何か違和感を覚えるのは、私だけだろうか。
目の前の彼は確かに笑みを見せていた。けど、何というか……
「不自然……?」
思わず声に出した私の本音に真っ先に反応したのは、校長でもイリでも無い……彼だった。固い表情へと変わる彼に思わず両手を口へ運ぶ。
そんな私の様子を、校長とイリは首を傾げながら眺めている。
「浅倉先生?」
「あっ、何でも無いです〜」
校長の呼び掛けに、私はただぎこちない笑みを浮かべながら手を振って答える。しかし、そんな私をじっと見つめる彼の視線が痛いくらい私を責めていた。
「あさ……」
「そ! それでは、失礼します〜!」
「えっ!?」
彼が確実に私の名前を呼ぼうとしたその時、咄嗟にイリの腕を掴んでそう叫んでは理事長室から逃げるように飛び出した。思いがけない私の行動に、腕を掴まれたイリも短い台詞を吐く。
通い慣れた校舎内を一気に走り抜ける。決して追いかけて来る訳では無いのに、それでも私はひたすら走っていた。
――不自然……
何で思っていた事を声に出したんだ、この口は。空いていた片手で口を押さえながら、私は特進科棟から向かいの普通科棟へと移り、そのまま屋上へと上がった。
ガチャッ
ギイィと音を立てながら開いた扉の向こうは、かつて私の安らぎの場所だった。
普通科棟の屋上……特進科だった私や奏、ナオトがよく授業をサボっては過ごしていた場所で、それは後に一宮に入学したルイくんやわっつんにも引き継がれた。
「も、もしも〜し……何か忘れてませんか?」
「あっ……」
忘れていましたと言わんばかりに、私は自分の足下で荒い息遣いをしながらこちらを恨めしそうに見上げるイリに視線を移す。そんな私にイリは立ち上がると
「ちょっと! 急に理事長室を飛び出したかと思えば、どうして私がこんな所まで引きずり回されなきゃいけないのよ!」
ギャオーっと猛獣の叫び声が聞こえて来そうな勢いで、イリは私を責め立てる。そんなイリに私は土下座をしては気を鎮めようと試みる。
「ごめん〜! つい、我を忘れて走り回っていました」
「突然どうしたのよ。理事長に“不自然”とか言っちゃってたし……」
叫んで気がすんだのか、猛獣……イリは屋上から私を連れて元来た道を引き返しながら尋ねてくる。心配して尋ねてくれたのだろうけど、まさか理事長と顔見知りと長〜い説明をする訳にもいかないし……。
「ちょっと……緊張のあまり訳が解らない事を口走っていました!」
「はあっ?」
くだらない理由に対して再び叫ぶイリに、私は更に謝りながら一緒に職員室へと戻った。
そんな私達を待ち受けているのは、今日から受け持つクラスの担任だった。イリは普通科の二年五組、私は特進科の二年二組。そんな私の前に居るのは、かつて私もお世話になった鳴神先生だった。
「本日よりお世話になります浅倉藍李です。よろしくお願い致します!」
「はい、よろしく! 浅倉〜、まさかお前が一宮の教師として戻って来るとは思わなかったぞ」
ええ、私もまさか鳴神先生がまだいらっしゃるとは思いもしませんでしたよ。ナオトも、ルイくんの保護者としてここに何度か来ているのだから、教えてくれたっていいのに……。
そして、私達は担任に案内されてそれぞれの校舎へと移動する。
教室までの道中、私と鳴神先生は昔の思い出話で盛り上がっていた。
「そうか〜。宇佐美兄弟や柴田も元気にしているか」
「って言うか、鳴神先生の担当クラスになったって聞いたら、アイツら絶対笑うよ〜」
職員室での堅苦しいやり取りはどこへ行ったのやら……私達は、軽い口調で会話を楽しんでいた。
そして到着した二年二組の教室前……今日から一年間ここで頑張るんだ。さっきまでの楽しい雰囲気から一変して、緊張感が張り詰めていく。そんな私の緊張を解く様、鳴神先生は私の背をポンポンと叩いた。
ガラガラッ
「よ〜! 全員座ってるな!」
教室の扉を開けてそう言いながら入る鳴神先生の後に続いて入る私。そんな先生に、生徒達は手を叩いたり声を掛けたりしては彼を迎える。
「なるやん、待ってました!」
「今年もよろしく〜!」
そんな生徒達に手を挙げて応える鳴神先生は、私が学生だった頃と全く変わっていなかった。
「よ〜し、とりあえず落ち着けお前ら。まずは自己紹介だ! 俺サマは、今日から二組の担任をしてやる鳴神だ」
「知ってま〜す!」
黒板に自分の名前を書いて自己紹介する先生に、声を揃えて答える生徒達。新たに決まったクラスなのに、その団結力に驚いてしまう。
そして、そんな私を鳴神先生は見ると自己紹介をするよう促す。私は緊張しながらも、教師として初めてチョークを握って黒板に名前を書く。
「浅倉藍李です。今日から二組の副担、並びに英語担当となります。どうぞ、よろ……」
「もちろん、知ってま〜す!」
挨拶が終わる前に再び一致団結して叫ぶ生徒達。その後にやって来たのは、大爆笑と拍手。
始めはキョトンとしていた私だったが、隣りで笑う鳴神先生を見てやっと始業式での出来事を思い出す。
「あっ!」
「ワハハハッ!」
緊張のあまり忘れていた出来事を思い出しては赤くなる私に、さらに爆笑は大きくなる。
ヤバい……私が描いていた教師像は、これで完全に崩れてしまった。
この回で出てきたなるやんこと鳴神先生は、『歪んだ愛情〜』にも出てきた琉依の高校の時の担任です。そして、わっつんとは……一ノ瀬渉の事です。