Honey2 ありがちな枠からはみ出た男
馬鹿みたいに騒いでいた私が出会ったのは……とても不思議な人だった。
少し酔って行ったトイレから戻った時、そこには居るべき親友達の姿は無く見ず知らずの男性が一人座って居た。
その時に思わず出てしまった私の一言に、彼は一瞬呆気に取られていたがやがて笑みを見せる。
「こんばんは。どなたかご友人といらしているのですか?」
「はっ! はい、そうです! すいません!」
慌てて答えた後に目の前の彼をよく見ると、ラフだが高級な雰囲気を匂わせる服を身に着けている。セットしたのに少し崩したヘアスタイルは、逆にその雰囲気をさらに際立たせていた。何だかこの店に場違いな彼の香りに誘われるよう目を一点に集中させていたが……
「あまり……凝視されるのは、好まないのですが」
「あっ、すいません!」
冷静……と言うか少し冷淡な声で告げる彼に、私は機嫌を悪くさせたのではないかと慌てて謝る。しかし、そんな私にも聞こえるよう彼はフッと笑みを零す。
「さっきから、謝ってばかりいますね」
そう言っては笑みを浮かべる彼だが、私はまだ彼の心情を把握できていなかったのでただ黙って作り笑いを返すだけだった。
「よく、この店にはいらっしゃるのですか?」
静かな空気に耐え切れず思わず出た言葉は、初対面の方との話にはありがちのものだった。しかし、そういうありがちのものの方が余計な気を遣わずに済むし話題も広がりやすい。
でも、それは“そういったありがちの人間”に対してのみ有効である事……それを私は気付かないでいたのだ。
「さぁ……秘密」
「秘密?」
「そう。秘密」
言われた言葉をそのまま返した私に、彼は更に重ねてくる。そして、私の願いも虚しく会話らしい会話もせずに、再び二人の間には沈黙という重苦しい空気が漂い始めた。
戻る席は間違う、会話は下手だわと居心地を悪くさせては落ち込む私。一方では、そんな空気などお構いなしにと飲み掛けのお酒に興味を移してしまっている彼。何だか戻るに戻れない状況が、徐々に自分を苦しくさせていた。
そんな私の前に、静かに置かれたグラス……明らかに彼が使った後だと思わせるそのグラスは、一体何を意味しているのだろうか。
怪訝そうに見ている私を余所に、彼は自分の傍にあったボトルを手にしてはグラスへと傾ける。なみなみと注がれた液体を見つめては、きりのいい所で手を止めて私へと視線を移して来た。
「使い回しのグラスで申し訳無いですが、よろしければ……」
どうぞと最後まで言い切らずにグラスに入ったお酒を勧めて来た。
飲んでもいいのか……何か試されていないだろうか……素直に受け取れず、つい彼の心情を読み取ろうと必死になっていた。
「心配しなくても、別に毒は入っていませんよ」
控え目に笑いながら言う彼の一言も正直まともに聞こえていなかった私は、それに対して何も答える事が出来なかった。
お酒を勧める彼と置かれたグラスを交互に見た後、頂こうと決心してグラスを手にした時だった。
「藍李! お前、こんな所で何をしているんだ!」
突然聞こえてきた自分を呼ぶ声に、思わず持っていたグラスを落としそうになる。
ゆっくりとグラスを置いて振り返ると、そこには驚いた表情を見せる弘樹が立っていた。
「弘樹……」
親友の登場にホッと安心した私に対して、弘樹はその視線を彼の方へと移す。
「知り合い?」
「違うの! 酔っていたから間違った席に着いちゃったのよ……」
つい正直に告げてしまった私の告白に、弘樹は一瞬目を丸くさせていた。
「お、お前はバカか! なかなか戻らないから、体調を悪くさせているんじゃないかって心配していたんだぞ」
「えっ! そうなの?」
弘樹の言葉に改めて自分の状況を把握した私は、慌てて席から立ち上がってしまう。しかし、そんなやり取りが真横で行われているのに、彼は我関せずと私にと注いでくれたお酒のグラスを取って飲んでいた。
心配しただの、ごめんだの言い合っていても自分は関係無いと、完全に無視……。
「ほら、行くぞ。もう、帰る支度もしているんだから」
「あ……」
弘樹に手を引かれた時にチラッと彼の方を見たが、彼にとって私はもう完全に無関係な人物なのかこちらを一切振り返る事も無かった。それでも私は、こちらを見る事のない彼の後ろ姿に向け軽く頭を下げた。
「もう! アンタって子は、他人様に迷惑を掛けてどうするのよ!」
「いやいや……倒れていなかったから、良かったじゃないか」
店からの帰り道、イリと奏が口々に話し出す。そんな彼らに笑いながら謝る私。
そこに加えてお酒の力もあったせいか、その時の私は既に彼の事など気にする事も少なくなっていた。
そう、その先に待ち受ける出来事も知らないで……