Honey16 チキンステーキ屋にて
私の提案で庶民の世界を体験する事になった彼。しかし、まだお金持ちの感覚が残っているのか、どうも私を驚かせる行為ばかりする……。
チキンステーキ屋って……何!?
「ヘイっ! モモとハツ、それにつくねお待ち!」
ちょっと古びた木製のテーブルに勢いよく置かれた皿の上には、この店に来たら必ず最初に注文する三品があった。
「……」
「待っていました〜! それじゃあ、熱いうちに食べましょう」
いただきま〜す! 豪快に手を叩き合わせてから串を持って食べ始める私とは反対に、彼は目の前に置かれた未知なるモノと私の奇怪な行動に目を点にしながら唖然と眺めている。
串に刺された細かい肉の固まりを食べてはビールをクイッと飲む……会社帰りのオジサンみたいな私の行為は、社交界で生きてきた彼にとってはショックに近いものだろう。
「ほら、理事長もどんどん食べて下さい! ここのつくねは特に美味しいのですから」
「あの……チキンステーキは?」
「チキンステーキ? あぁ、コレ」
唖然としていた彼の口からやっと出た疑問に、私はバッサリと僅かに残っていたであろう彼の希望も切り捨てる。
私が言っていたチキンステーキが、今こうして目の前に置かれている鶏の串焼きである事を認識した彼は、更に驚愕の表情を浮かべていた。
「こ、これがチキンステーキ!? しかも……素手で頂くのですか?」
有り得ないといった表情で目の前の焼き鳥を凝視する彼は、どう見てもこの店の中では一人浮いていた。
周りの客はシャツの袖を軽く捲って焼きたての焼き鳥をビールと一緒に食べるサラリーマンや、私と同年代くらいのグループもいる。この店に浸透した彼らや私に対して、彼はまったく身嗜みを崩す事なく整ったまま。どう見ても、彼は浮いているでしょう。
「ほら。今日は、庶民の食事をしに来たのですから!」
「しかし……」
「いいから、食えや」
なかなか食べようとしない彼に思わず出た本音。その言葉に、彼の眉がピクッと動いたのを確認した私は、ただビールを飲んで誤魔化すしか出来なかった。
そんな私を見て、彼は覚悟を決めたのかモモ串を掴んで一口食べ始めた。
良かった……お箸で食べるとか言い出さないで。
「……美味い」
――えっ? 思わず聞き逃す所だった彼の小さな感想。彼自身も驚いているのか、それでもなお串に残っていたモモを上品に食べてしまう。
「おかしいな……やっぱり美味い」
確かめただけかよ! 庶民の味の意外性に、逆に自分の舌が馬鹿になったと思ったのだろうな。しかし、ぎこちないながらも一つずつ何かを知って頂けたら……
「こっちも扱いやすくなるってモノよ」
「それは、無いですね」
はっ! 無意識のうちに出てしまった声に、彼の間髪入れない答えが返ってくる。容赦ない彼の態度に、まだまだ太刀打ち出来ない私。
そんな私を無視しては、次なる串にチャレンジする彼。
「フム……これも、なかなか」
「あっ、それですか? それはハツというのですよ」
ハツを一口食べて感想を述べると、私の言葉など軽く無視しては食べ進めていた。その際、タレで僅かに汚れた指を、置いていたおしぼりを使わずに自分のハンカチで拭く……そういった所を見ると、やはりこういった環境に馴染みにくいと感じているのだろう。
「理事長。ハツって、鳥のどの部位か御存じですか?」
「知るわけ無いでしょう。こういったモノを口にするのも、今日が初めてなのですから」
そして最後にしたい……なんてぶつぶつ言っては、ビールを飲んでいる。そんな彼にちょっと意地悪したくなった私は、妖しい笑みを浮かべては彼に顔を近付ける。
「ソレ、鳥の心臓なのですよ」
「……」
固まってる、固まってる! 衝撃的な(?)私の告白に、彼は持っていたジョッキを下ろす事なく私を見ていた。
その表情が何だか面白くて、つい口が緩んで笑いが零れそうになる。
「……それが、何か?」
「へっ……?」
冷静かつ冷淡、そして呆れたような表情を浮かべては告げる彼に、今度は私が思わず固まってしまった。
彼が表情を固めては動きさえも止まったので、てっきり驚いたかと思っていたのに……
「そんな事で、私が驚くと思っていたのですか? まったく……くだらない。心臓や肝臓くらい食べれますよ」
思っていましたし、確かにくだらないですね。よく考えてみれば、立派な大人がそんな事で動じるわけが無いか。
「ヘイっ! ボンボチにシロだよ!」
沈黙と化してしまった私達の元に、オーダーした二品が置かれる。新たな異物の登場に、今度は私に勧められる事なくボンボチを手にしては口にしていた。そんな彼の様子をジッと眺めていたら、ふと目線を上げた彼と目が合う。
「……何ですか? 早く食べないと、冷めてしまいますよ?」
「はいっ」
何だか立場が逆転したような彼の言葉に、私は笑みを浮かべて返事をしてからボンボチとシロを食べ始めた。
彼が自分から進んで焼き鳥を食べているのは、少しでも距離は縮まったと考えてもいいのだろうか?
「ところで……」
「はい?」
「このボンボチとシロとは、一体どの部位を言うのでしょう?」
見事に完食した後、串を手にしたまま彼が尋ねてくる。さっきは“くだらない”と一蹴した質問を、今度は彼自らがしてきた事に私は何だかおかしくなる。
「浅倉先生?」
「あ、あぁ……すいません。ボンボチは鳥のお尻の肉で、シロは腸に当たります」
ポトッ……
さっきと同じように答えた私に対して、彼は持っていた串を落として再び表情を固めていた。
「いやいや、そこまでさっきの再現をされなくても……」
「尻の肉に……ち、腸? 私は、今それらを食べたと言うのですか?」
何て事……。さっき期待していた事が、こうして見れるなんて!
心臓や肝臓は口に出来ても、お尻の肉や腸はダメなの?
信じられないと口に手を当ててショックを受ける彼は、ただ呆然と食べ終わった後の串を凝視していた。
「すいませ〜ん! ボンボチとつくねと〜」
「私は……モモだけで結構です」
追加オーダーをする私に重ねて告げる彼は、相当ショックだったのかそれからモモしか口にしなかった。