第7話:弟の恋人います宣言!
【SIDE:久谷真綾】
7月7日、今日は七夕の日……特別な意味のある1日。
私はふと、子供の頃の七夕を思い出す。
それは私がまだ小学3年生の時の出来事だった。
響ちゃんと一緒に家のベランダに置いた竹に短冊をつるしていた。
願いを込めて紙に書いたのは『響ちゃんとずっといっしょにいられますように』。
その願いだけで十分……ではなく『大好きな人と結婚できますように』なんて言う子供のお願い事も混ぜていたのは秘密だったり。
「ねぇ、真綾。お願いごとは何にしたの?」
「ダメっ、他の人には見せちゃダメだって……」
「ママに見せてくれてもいいじゃない。真綾、ずるい~」
「ダメなの。大事な事は守らないといけないもんっ」
笑顔を浮かべる母親にぎゅうって抱きしめられる。
私は母に甘えてばかり、義父も私だけを可愛がってくれていた。
両親の愛情をたっぷり受けて私は育てられたから。
だけど……そんな家族にも問題はあったの。
「響、貴方も願い事はしないの?」
「……別に、僕はこんなのに興味ないから」
ふんっ、とつき返すような態度を母親にとる。
響ちゃんは昔から両親に対して態度は冷たい。
同じように両親も彼に対しての態度は私に比べて突き放すように冷たすぎる。
「ホント、響は可愛くない子ね。真綾はこんなつまらない子になっちゃダメ。素直なままでいてね。私の可愛い子供は真綾だけよ」
可愛くない、幼い子供にそう言える親は何て残酷なんだろう。
私の母と響ちゃんの父、ふたりの再婚から始まった私達の家族。
両親の仲は今でもかなりいい方だけど、響ちゃんにだけは関係が冷めている。
愛されて育てられた私は響ちゃんにとって、どんな存在なのか。
子供心に妬まれたりしないか、それが怖くて、彼と距離をおいた時期もあった。
昔の響ちゃんは感情を表に出すような子じゃなかったから、怖かったんだ……。
「先に戻ってるわね。真綾、風邪をひかないうちに戻ってきなさい」
両親がベランダから家に戻って、私と響ちゃんのふたりになった。
「……あ、あの、響ちゃん」
沈黙に耐えられなくて、私は彼に話しかける。
「何、真綾お姉ちゃん?僕に何か用なの?」
夜空を見上げている彼はこちらを向いた、うっ、いつも通り会話が続かない。
「えっと……響ちゃんもお願い事、書こうよ」
「こんなの、書いたところで誰も叶えてくれないよ。子供は悪い大人にすぐ騙される」
うぐっ、彼よりひとつ年上の姉としてそういう台詞はキツイ。
この子、まだ小学2年生なのに難しい言葉を知ってるなぁ。
「そんな事を言わずに書いて。願いが叶うかどうかじゃなくて、楽しまなきゃ……」
「……楽しむ?」
「そう。響ちゃん、私と一緒にいると楽しくない?」
少しでも彼に興味を持ってもらいたくて。
私はそう思いながら、彼にペンと紙を手渡した。
「ハッ……真綾お姉ちゃんはホントに子供だよね」
「何よぅ、響ちゃんだって子供じゃない」
むぅ、と頬を膨らませる私に彼は言う。
「あのさ、真綾お姉ちゃん。僕を放っておいてくれないかな?」
「嫌よ、放ってなんかおけないわよ。だって、響ちゃんは私の弟だもん」
きっとこの子は急な変化についていけなくて、寂しいだけだと思う。
いきなり、両親が再婚して家族が増えて……幼い心にどれだけの影響があったか。
「……僕がお姉ちゃんの弟だから?」
「そうよ。私は響ちゃんと一緒にいたいの。ずっと一緒にね」
彼は相変わらず、興味がないという雰囲気ながらも紙に文字を書き始めた。
「……はい、真綾お姉ちゃん。これでいい?」
「もう書いたの、響ちゃん早いね?お願い事は何にしたのかな?」
私はその紙を受け取ると、書かれた言葉に嬉しさを感じた。
『真綾お姉ちゃんが幸せでいられますように』
響ちゃんは綺麗な文字で短冊にそんな言葉を書いてくれていた。
この瞬間に胸がキュンッてした、弟に萌えた初めての瞬間。
「真綾お姉ちゃんはいい人だね。僕なんかにも優しいから。だから、幸せになってよ」
「……だったら、響ちゃんも幸せになってくれないと困るな」
きょとんとした可愛い顔をする弟に私は言った。
「だって……私の幸せは響ちゃんと共にあるんだから」
私の言葉に響ちゃんは、私に“はにかんだ笑顔”を見せてくれたんだ。
その日から、私は義弟の幸せを願いながら生きてきたの。
彼がもう寂しい思いをしないように、私が一緒にいてあげるから。
響ちゃんは私に笑顔を見せて。
あの日から8年、巡りめぐる7月7日、特別な1日が始まる……。
8年後の7月7日、今日も屋上で彼と昼食を一緒に食べる約束をしていた。
「お待たせ、真綾お姉ちゃん」
「うん、今日は早かったね。今日のメニューは……」
いつもと同じ笑顔で彼を迎える。
それでも、響ちゃんの様子はいつもと違う。
真面目な表情をして、私に言うんだ。
「真綾お姉ちゃんには感謝しているよ。いつも、僕の傍にいてくれるから」
「当たり前じゃない。私は響ちゃんのお姉ちゃんだから」
「そうだよね、姉なんだよ。弟の僕は真綾お姉ちゃんに甘えてばかりいるんだ」
こんな風に改まって言われると照れるなぁ……。
それに、甘えてるのは私の方だと思うし。
「……ねぇ、真綾お姉ちゃん。話したい事があるんだけどいいかな?」
「話したいこと?……響ちゃん、どうしたの?」
お姉ちゃんに何か相談でもあるのかな?
私は彼に向き合うと、響ちゃんは複雑そうな顔をして言う。
「実は前から言おうと思っていたんだけど……僕には好きな人がいるんだ」
好きな人がいる、その台詞に私は数日前の事を思い出す。
ずっと好きな人がいるって響ちゃんは言っていた。
その相手が誰なのか、私だったらいいなぁっていう期待感。
私は顔が赤くなるのを感じつつ、手を胸に当ててその答えを待つ。
「へぇ、そうなんだ。一体誰なの?お姉ちゃんの知ってる人かな?」
だけど、響ちゃんの口から紡がれたのは……。
「うん。……僕、相良さんと付き合うことにしたから」
「……え?」
付き合うことにした、つまり、彼に恋人が出来たという事。
「響ちゃんに恋人ができたの……?」
「そうなるね。この後、真綾お姉ちゃんにも会ってもらいたいんだ。いいかな?」
「あ、うん……いいよ」
衝撃的な事実を知り、私はそう短く言葉にする。
そっか、響ちゃんに恋人ができたんだ。
私はショックを受けなかった、自然と冷静にその現実を受け止める。
しばらくすると連絡を受けた相良さんが屋上へとやってくる。
緊張しているのか以前会った時よりも、表情は固いように見える。
「こんにちは、相良さん。弟の響ちゃんがお世話になってるね」
「どうも……えっと、“響”から話は聞いていますか?」
響と呼ぶ彼女、自然な形で恋人みたいに見える。
「ええ。恋人になるって聞いたわ。本当なの?」
「はい、彼とお付き合いさせてもらう事になりました」
私に頭を下げる彼女、この子が響が好きな女の子なんだ。
私は響ちゃんに視線を向けて言う。
「響ちゃんは相良さんのことが好きなのね?」
「ああ……そういう事になる。僕は相良さんを愛してるから」
「……そう。よかったわ、響ちゃんに好きな女の子が出来て」
愛してる、響ちゃんの口から出る初めての言葉。
ふたりが顔を見合わせるのに、私はくすっと微笑する。
「何よ、ふたりしてそんな顔をして。私は反対なんてしないわよ?」
「真綾お姉ちゃん……認めてくれるのか?いつもなら、慌てて騒ぐのに?」
「何を言ってるの。響ちゃんが私の前に好きな女の子を連れてきたのは初めてでしょ。……姉として弟の恋愛を邪魔するワケない。なんてね、少しだけ嘘。嫌な感じな人なら反対しようと思ったけれど、いい人そうだから」
私だって理解のない子供じゃないの。
涼しげな風に包まれながら、私は相良さんに手を差し出した。
「弟の事をよろしくね、相良さん。この子、すぐに寂しがるから一緒にいてあげないとダメよ?あと、しないと思うけれど浮気とか絶対にダメだからね!」
「あ、はい……」
差し出した手を彼女は震えながら握り締めてくれる。
響ちゃんに私は過去を思い出すように伝えた。
「覚えてる?今日は七夕なの。8年前に約束したよね。私は響ちゃんの幸せを願うって……やっぱり、願いは叶うのよ。本当におめでとう」
「真綾お姉ちゃん……あ、あのさ!」
響ちゃんが何かを言う前に頬に優しく触れた。
彼の体温を手で直接感じながら、私はその台詞を囁く。
「響ちゃん、今、幸せかな?」
「……幸せだよ」
「新しい幸せを見つけたんだから、大切にしてあげて。響ちゃん。あと、お姉ちゃんとしてこれからもよろしく……」
そして、私はにっこりと彼らに笑いかけた。
彼に好きな女の子が出来たんだ、これは姉として喜ぶべき事だと思う。
幸せになってね、響ちゃん。
お姉ちゃんは貴方の笑顔が見られればそれでいいんだ。
誰よりも貴方の幸せを祈っているから。
響ちゃんのためにもこれでいいんだよね……。
その夜、私の部屋に慌てた様子で美鳥が入ってくる。
彼女にしては珍しく、動揺した様子を見せていた。
「ちょっと、マーヤ。さっき、響君に聞いたんだけど、恋人ができたんだって!?」
「そうみたいね。昼間に紹介されたけど、それがどうしたの……?」
「どうかしたのって、マーヤはそれでいいわけ?あんなに夢中になっていたじゃない」
「私は決めていたの。もしも響ちゃんが他の女の子を好きだって私に伝えてきたら、私はそれを応援しようって。だって、私はお姉ちゃんだから」
淡々と言う私に美鳥は眉をひそめる。
「意外に冷静じゃない。何を納得した顔をしてるのよ。そんなにあっさりしていいの?マーヤだって、響君が好きだったんじゃないの?」
「あはは、そうだね。だけど、弟の幸せを見守るのがお姉ちゃんの役目だもん」
この現実は悲しくなんてない、寂しくもない……。
何度も言える、響ちゃんが幸せならそれでいいんだ。
「――この……バカ姉ッ!」
ひゃんっと私は身体をびくつかせる、なぜかいきなり美鳥に怒られた。
「な、何で怒るのよぅ。びっくりするじゃない。美鳥、私は……」
「その台詞、自分の顔を鏡で見て言いなさい。マーヤ……泣いてるじゃない」
「……え?私が泣いてるって……あ、あれ?」
私は美鳥に言われて、初めて自分の瞳から涙が流れているのに気づいた。
「な、何で?え?……私、悲しくなんてないのに」
「嘘つきッ!自分の気持ちを偽るのもいい加減にしなさい。響君を他の子にとられて悔しいんでしょ、寂しいんでしょ!……泣きたいなら泣けばいいじゃない。私しかいないんだから」
ポタリ、と頬を伝う冷たい涙の雫は本物だった。
美鳥の言葉にそれまで、“無理”に抑え込んでたモノが溢れていく。
「……ひくっ……私っ……私は……響ちゃんの幸せが大事で……」
「彼が幸せならそれでいいの?自分があの子を幸せにしてあげたかったんでしょう」
「……ち、違う……くぅっ……響ちゃん、ひびきぃ……」
嗚咽をあげる私は、我慢できなくて美鳥に抱きつきながら私は泣いてしまった。
彼の事を思うからこそ、我慢しようとしていたのに。
「これくらい、覚悟してたのにっ……それなのに……ぃやぁっ……」
泣かないって決めていたのに、彼の幸せを応援するって決めていたのに。
「胸が痛いの……ぐすっ……響ちゃんが私の傍にいないのが……悲しいよぅ」
心の底から込み上げてくる涙が溢れだして止められない。
「それが当然なの。マーヤにとって彼がそれだけ大きかった証拠なんだから」
「みどり、私……私はどうすればいいの?……うぁっ……私、お姉ちゃんなのに――」
神様は残酷です、私の願いを叶えてくれたけど、大事なモノも一緒に持っていったから。