第2話:弟に頭を撫でてもらいたい
【SIDE:久谷真綾】
私の携帯電話の待ち受け画面はもちろん弟。
彼が高校に入学した時の写真を設定している。
にっこりと穏やかな微笑みを見ていると心が和む。
「ふにゃぁ……ホントにどうして私の弟はこんなに可愛いの?」
昔から彼は私のモノ、誰にも譲るわけにいかない。
待ち受け画面の弟の笑顔に癒されて、今日も1日を頑張っている。
「ここまで来るとブラコンっていうより、恋人じゃない?」
私の隣で携帯電話の画面を覗いていた美鳥。
彼女は心底どーでもよさそうに私に忠告する。
「危険な事になる前にマーヤは自分の性格を治した方がいいかも」
「……危険なことって何よ?」
「いつか、マーヤは響君を襲っちゃいそうで怖いわ」
口元に手を当てて笑う彼女。
私は平然としたままで美鳥に言い返す。
「……それがどうしたの?」
「は?え、あの、まさか……マーヤ、アンタって人間は既に襲っちゃったの?」
「お、襲うわけないじゃない。そんな性欲にムラムラしてるわけじゃないし。でも、時々、襲っちゃいたくなるくらいに無防備な時があるの。寝顔とか超がつくくらい可愛くて。そう言う時は女の本能が疼くっていうか……」
時々、たまらないくらいに心を突き動かされる時がある。
普段、我慢していてもどうしてもダメな場合だって。
「あぁ、こんなにも私の胸を焦がすなんて……響ちゃんは何て罪な男の子なのかしら」
響ちゃんに恋をしてから数年、私の心は彼のことで胸いっぱいだ。
そんな私の顔を美鳥は溜息をついて見ながら一言。
「……ごめん。私、マーヤの友達でいる自信をなくした」
友人に素で言われるとものすごく傷つくわ。
「ひどいっ。美鳥、これくらいで私の友達をやめないでよ」
「だって、いくらなんでもそれはないでしょう。いい、マーヤと響君は姉弟でしょ。踏み越えちゃいけない一線っていうのはあるじゃない。それが守れないと姉弟でいられなくなるんだよ?」
真面目に説教されてしまう、美鳥は意外に頭が固い。
恋愛事には私も不慣れな分、何とかしないと。
「だって、私達は義理の姉弟だもの……。何か間違いが起きても大丈夫だし、むしろ起きて欲しいと思うのはいけない事なの?」
「あのねぇ、義理って言うのは免罪符じゃないの。倫理ぐらいは持ちなさい」
「むぅ、何よ。弟と結ばれたいお姉ちゃんの妄想ぐらいしてもいいでしょ!」
世のお姉ちゃんは弟が好きでたまらないんだよ!
美鳥のいう事も分かるけど、私は自分の欲望に素直になりたい。
休憩時間と言えど、クラスに残る人々の視線がこちらに集中している。
いけない、少し、ヒートアップしすぎた。
「……ホント、羨ましいくらいに女の顔をしてるわね」
「ふぇ?美鳥?」
「恋してるマーヤの顔、嫌いじゃないよ。私にはそんなに強く誰かを思うのは無理」
「美鳥にだって大切な誰かが出来た時、私の気持ちが分かるわ」
だって、恋をするのは本当に楽しい事なんだから。
毎日が輝いて見える、それを幸せと呼ぶのなら私は今が幸せだ。
「そうだといいけど。……でも、マーヤみたいに屈折した愛情は抱きたくないな」
「ぐすっ……私の愛は歪んでないもんっ!」
美鳥にいじめられながら、休憩時間は過ぎていく。
でも、何だかんだいって応援してくる美鳥は私の大事な親友なのです。
昼休憩、私は購買部でふたり分の食事を買うと屋上に向かう。
本当なら屋上は立ち入り禁止のはずだけど、使わなければもったいない。
鍵を生徒会が管理しているので、私なら容易に侵入できる。
なんていうか、実は先生にはここを使ってるのバレてるし。
屋上を使っちゃいけないという理由は管理が面倒なだけだから。
ゴミとか掃除とかちゃんとしていれば問題ないみたい。
「うーん、今日の太陽は暑いなぁ」
もうすぐ夏だから日光が眩しい。
私は日陰のベンチに座りながら響ちゃんが来るのを待っていた。
響ちゃんといえば……この間の相良っていう女の子。
よく見れば毎朝、一緒にご飯食べたりしている子だった。
前から仲良くしている子がいるなぁ程度に意識していた相手。
……響ちゃんもやっぱり、普通の女の子にも興味とかあるのかな?
あ、ダメだ……変な事を考えてしまうと胸がきゅーって締め付けられる。
「真綾お姉ちゃん、お待たせ……って、どうしたの?」
「ぐすっ……」
「な、何で涙目なんだ?誰かにいじめられたの?」
「うんっ、響ちゃんにいじめられたの。うわぁーん」
私は彼の胸に飛びこむとそのまま膝の上に乗る。
響ちゃんは身長が高いから私の身体はすっぽりとその腕の間に挟まってしまう。
トクンッて彼の心臓の音が聞こえるとドキドキするの。
「……どうしたの、お姉ちゃん?僕がいじめたって?」
「響ちゃんはお姉ちゃんが好き?」
「え?あ、うん……好きだよ」
彼は意図した事が理解できずに答えている。
私が望んだ意味じゃないけど、今はそれでいいや。
「頭を撫でて。響ちゃん、撫でてくれないと拗ねる」
「今も十分拗ねてるんだけど」
「むぅ……愛が足りてない。最近の響ちゃんには姉を愛する気持ちがないよぅ」
私は彼の身体に背中を当てている状態で唇を尖らせる。
響ちゃんからは顔が見えてないと思うけど。
「真綾お姉ちゃんって本当に可愛いよね」
私の耳元でクスッと微笑する響ちゃん。
彼は私の頭を優しく子供のように撫でてくれた。
髪を流れにそって触れられると気持ちいい。
撫で撫で……ああっ、もう和むっていうか萌える。
お姉ちゃんは幸せすぎて弟に萌えちゃいます。
姉にこんな幸せを与えてくれる弟は他にいないもの。
「……僕は真綾お姉ちゃんのそういう所が可愛いと思うな」
「ホントに可愛いと思う?」
「当然でしょ。真綾お姉ちゃんは昔から甘えたがりだよね。こうして素直に甘えられると、僕も妹がいるみたいで楽しいから……」
「い、妹みたい?……その返答はお姉ちゃん的に少し残念」
でも、いいんだ。
響ちゃんにとって私が特別な存在であるという事の確認はできたから。
私は瞳を瞑って彼に身体を委ねた。
午後の穏やかな気候、そよ風が私の頬を撫でていく。
「……響ちゃん」
彼は私のような姉を弟としてどう思ってるのかな。
しばらくそうしていたかったけれど、彼のお腹のグーって音に現実に戻される。
「ごめん。あのさ、お腹すいたからご飯食べてもいい」
「うん。今日はお弁当にしたの。響ちゃんはたくさん食べるからこっちの大きい方ね」
私は買ってきていたお弁当を彼に手渡した。
邪魔にならないようにと、私は彼の横に座りなおす。
「……真綾お姉ちゃんはいつも小食だけど、それで足りるの?」
私の手元には小さなおにぎりが詰めあわされているお弁当がある。
女の子向けのお弁当、私はこれでも十分すぎる。
「お腹いっぱいになるまで食べたら動けなくなるじゃない」
「真綾お姉ちゃんはダイエットとかは無縁そうだな」
「そうでもないよ。これでも努力はしてるのです」
身体が小さい方というわけでもないから、バランスのいい体型を維持するのは結構大変。
その辺、男の子は楽そうでいいなぁと思うんだ。
「不思議だよ、そんなに小食なのにしっかりと栄養は行ってるみたいだ」
彼の視線が私の胸へと向けられる。
私の胸は身長に比べれば、大きな方だ。
だけど、こういうあらかさまなのはお姉ちゃんでも恥ずかしいのでパス。
「教育的指導!お姉ちゃんをそんなやらしい目で見ちゃダメよ」
「あははっ、ごめん。それだけ真綾お姉ちゃんが魅力的って事だよ」
軽く笑いながら言う彼に私は顔を赤くさせられた。
ストレートに言われると照れちゃう。
「……もうっ、そうやって誤魔化すのはずるい」
まるで恋人同士のように触れあい、言葉を交し合う。
付き合いの長さも、居心地のよさも、多分、恋人になっても今と大きな違いはない。
でも、小さな違いはいくつもあって……それが重なると致命的にも思えてくる。
仲のいい姉弟と恋人……どちらがいいかなんて決められない。
私は今の関係のままがいい。
「ねぇ、響ちゃん。今度の日曜日に私とデートしない?」
「真綾お姉ちゃんとデート?」
「そう。お姉ちゃんとじゃ嫌かな?」
美鳥は彼が私といる事はあまりいいとは言わない。
姉と弟、義理でもダメなものはある。
だけど、そんな言葉でこの気持ちを抑えられるものですか。
「……いいよ。真綾お姉ちゃんとなら喜んで」
彼はあっさりとデートの誘いを引き受けてくれる。
はぅ、やっぱり私の弟は姉を幸せにする才能がある。
「ホント!?やった、響ちゃんとのデートって久しぶりだよね」
大好きな弟に甘えたり、からかわれたりする毎日。
デートの約束に浮かれていた私は知らない。
私の顔を複雑そうな表情で響ちゃんが見ていてた事を……。
何やら一波乱ありそうな予感?