第15話:僕と姉、変わる関係
【SIDE:久谷響】
その連絡が僕に伝えられたのは夏休みも半ばになろうとした頃。
双葉から電話がかかってきた事に、僕は面倒ながらも電話に出る。
「……は?お前は何を言った?」
『響の脳みそはミカンサイズ?1度で話を理解しなさい』
双葉は電話越しにそう言って笑う。
……相変わらずだが、どうも様子がおかしい。
彼女が僕に提案してきたのは、僕と真綾お姉ちゃん、ふたりで旅行に行って来いというものだったからだ。
先日、花火大会にどちらが行くかという争いをした件は結局、双葉に真綾お姉ちゃんを譲った形で終着を迎えた。
しかし、その数日後にまさかの計画変更とはどういう事なんだ。
「……うるさいな。で、どういう心境の変化だ?」
『心境じゃないわ、状況の変化よ。私、その日は……お見合い相手の人とその花火大会を過ごすことになったの。真綾とは遊べそうにないわ……』
「お見合いって、マジでその話が進んでいるのか?」
『……まぁ、いい人そうだからね。会ってみて、性格的にもあってると思うからその話を軌道に乗せておきたいのよ。だから、アンタが私の代わりに旅行に行きなさい』
双葉は淡々と話すが、うーむ、なんていうか呆気なさすぎる。
いつもなら言い返すやらすると思うんだが、僕は彼女に尋ねる事にした。
「お前って男でもOKな奴だったんだな……?」
『響、私がまるで変態みたいな言い方ね。私は元々ノーマル、男にだって興味もあるわ。真綾を好きになったのは女だからじゃなくて、好きになったのが女の子だっただけ』
「ほぅ、それは初耳だ。……それでも夢は女のハーレムだろ」
『あくまで夢よ。現実なんてそんなものでしょ』
今日の彼女はいつもと違い、真面目な感じだ。
彼女なりに覚悟を決めているんだろうか、何だか調子が狂う。
「状況は理解した。でも、電車代やホテル代まで出してもらうっていいのか?」
『今回は私の責任だからね。既にホテルの部屋は取ってあるから、楽しみにしてる真綾を悲しませたくないの。その代わり、真綾を泣かせるんじゃないわよ。アンタがあの子にふさわしいかどうか、試してあげる……。そういうわけだから、後は任せるわ』
そんなわけで僕は双葉の代わりに真綾お姉ちゃんと1泊2日の夏の海に旅行へ出かける事になったんだ。
夏の海といえば海岸に打ち寄せる白い波、照りつける太陽、そして……。
「響ちゃん~」
こちらに気づいて手を振りながら、走ってくる真綾お姉ちゃん。
水着はビキニか、それよりも気になるのは……。
「……おおっ」
揺れる、揺れてるよ……さすが真綾お姉ちゃん、ボリュームがあります。
僕は恥ずかしくなり、胸から目を逸らす。
「……どうかしたの、響ちゃん?」
「ううん。それより、早く海に入らない?砂浜が暑くて大変だ」
足はすっかりと熱せられている。
お姉ちゃんと共に海に飛び込むとようやく涼しい気持ちになれた。
「海の水が冷たいなぁ……」
「真綾お姉ちゃんはもう浮き輪がなくても大丈夫なんだ?」
「もうって、私は別に泳げなかったわけじゃないもの」
そう言いながらも彼女は浅瀬で軽く泳ぐだけ。
深いところはまだ苦手らしい。
彼女は幼い頃から海が不得意だった。
泳げず、浮き輪にのってぷかぷかと浮かんでいたのを思い出す。
「そういえば、昔、真綾お姉ちゃんが高波に飲み込まれて大変な目にあったよね」
「そんな昔の事は思い出さなくていいのにっ」
「あはは、でも、大変だったじゃないか。浮き輪にのってた真綾お姉ちゃんが、波で浮き輪が転覆して溺れそうになった」
それはまだ小学生の頃の出来事だ。
浮き輪がひっくり返って真綾お姉ちゃんは溺れそうになり、それを僕が助けたんだ。
泣きそうになりながらも、必死に泣くのを我慢していたのを覚えている。
子供の頃から「響ちゃんのお姉ちゃんだもんっ」と言いながら、姉として接してきてくれた。
「昔から変わらないな。僕も真綾お姉ちゃんも……」
「そうかな?」
「そうだよ。どんなに成長しても、本質までは変わらない」
僕の言葉に彼女は微笑みながら手を伸ばす。
「響ちゃん……」
過去を懐かしみながら思う。
彼女が僕を姉として守ろうとする所も、その覚悟も変わっていない。
僕はそんな真綾お姉ちゃんに甘えてばかりいて。
どんなに月日が流れても、繋いだ手の温もりは同じだった。
揺れる波を感じながら僕らは少しだけ深いところに入る。
「……気をつけて、お姉ちゃん」
「大丈夫。子供の頃じゃないんだから」
そう言って足をすべらすのが彼女なのだが。
僕は心配になりながら繋いでいる手を握り締めて離さない。
「心配しすぎだよ、響ちゃん。もう少しお姉ちゃんを信頼してよぅ」
「……心配しすぎなくらいじゃないとダメだろ。油断すれば水に沈んでるかもしれないのに。真綾お姉ちゃんは僕が傍についてないといけない」
「あはは。そっか……」
彼女は楽しそうに笑顔を浮かべて、
「弟に守られる姉も悪くないね」
時々、痛烈に感じてしまう事がある。
姉は弟である僕を負担に思っていないかということを。
義理であるがゆえに、僕らは既に姉弟という認識以上に相手を思ってる。
確信があるわけではないけれど……真綾お姉ちゃんも僕を想ってくれている気がする。
一人の人間として、男女として、壁を踏み越えた時に僕らには何が待つのか。
苦しみ?それとも喜び?
こればかりは開けてみないと分からない。
それはまるで禁じられたパンドラのように。
世界に多くの絶望が溢れ出すが、最後にひとつだけ希望を残すパンドラの箱。
それは本物の希望ではなく、その希望こそが真の絶望だと知る。
なぜなら、そのたったひとつの希望が絶望をより深いものへとするからだ。
「……真綾お姉ちゃん」
「え?あ、響ちゃん?」
僕は海の中で彼女の身体を抱き寄せた。
遠くで海鳥の鳴き声と波の音だけが聞こえる。
僕の方を見上げてくる彼女は不思議そうな顔をしている。
本当に罪な人だ、僕の胸をこんなにも恋焦がす存在。
欲しい……僕は真綾お姉ちゃんが欲しくてしょうがない。
好きな人を自分のモノにしてしまいたい。
それは衝動、本能から湧いて出る感情だ。
「……ひ、響ちゃん。こんな所で、抱きしめられると……恥ずかしいよ」
「ごめんね。そうだ、そろそろ海から上がってカキ氷でも食べない?」
「カキ氷……うんっ」
姉は弟に愛される事をどう思ってるんだろう。
僕は知りたい、“久谷真綾”という女性の全てを……。
僕らは海を出て、浜辺のお店でカキ氷を注文する。
真綾お姉ちゃんはブルーハワイ、あの青い色をしている微妙な味のものだ。
僕は定番のイチゴ味にしておいた。
ふたりで砂浜を歩きながら、適当な日陰に座る。
「……ふぅ、美味しい。やっぱり暑いときにはカキ氷が1番美味しいよ」
本当に美味そうに食べる姿を見せる。
僕は青く透き通る海を眺めて、彼女に語る。
「あのさ、真綾お姉ちゃん。……僕は」
「……ん?」
「ううん。今日の夜の花火、楽しみだね。この辺りじゃ大きな花火大会らしいから」
結局……言いたい事を言えずに僕は誤魔化した。
こちらを見つめる姉の眼差しが純粋すぎた。
恋しているとか、想いを抱くとかそんな言葉は必要とも思えない。
僕は大切な言葉さえ、何も言えない。
カキ氷を頭が痛くならないようにゆっくりと落ち着いて食べる。
「楽しみにしてるよ。前から行きたかった大会だもん。響ちゃんは花火は好き?」
「……好きだよ」
意味が違うとしても、僕はその言葉を告げるのに心が躍る。
いつか本当の意味で言えるのか分からないけどさ。
大好きな姉を前にして、僕は告白ができない……それなのに。
「私も好き……大好きっ」
だけど、彼女から返ってきた言葉にドキッとする。
分かってる、花火の事を話してるんだ。
僕が好きだって意味ではない、けれど――。
「響ちゃんと一緒なら、私は何でも好きなんだ。ホントだよ?」
僕は真綾お姉ちゃんに振り向いた。
彼女はいつもと変わらず人を和ませる優しい顔をしている。
例え、真綾お姉ちゃんの気持ちが姉が弟を想う気持ちであり、僕に対して恋愛感情ではないとしても……僕は彼女に自分の気持ちを正直に告げよう。
踏み越える勇気、それを僕はこの瞬間に手に入れた。
「僕も……真綾お姉ちゃんが一緒にいれば何でも好きだ」
夏のそよ風が僕らを包み込むように吹き抜けていく。
快晴の青空に太陽が眩しく輝いて、夏らしさを演出する。
僕は真綾お姉ちゃんを心の底から愛している。
その気持ちに偽りはなく、だから、これからも僕はこの世界を一緒に触れていきたい。