プロローグ:僕の自慢のお姉ちゃん
【SIDE:久谷響】
それは僕らが幼い頃に初めて出会った時のお話。
僕、久谷響(ひさや ひびき)はまだ5歳だった。
両親の再婚とかありきたりな出会いで、僕らは姉弟になった。
ひとつ年上の姉になる女の子、彼女とその日は初めて会う日。
僕の目の前に現れたのは可愛らしい女の子。
誰が見ても将来有望、僕は5歳ながらも見惚れてしまうくらい。
綺麗な髪をそよ風に揺らして、僕を優しい瞳で見つめてる。
『初めまして、私は真綾(まあや)。今日から貴方のお姉ちゃんになるの』
『真綾お姉ちゃん。僕は響って言うんだ。よろしくね』
落ち着いた言葉遣い、まるで絵本の中のお姫様のような人だった印象がある。
あの頃から僕たちは義理の姉弟として付き合いを深めてきた。
今でも家族として仲のいい関係を続けている。
……少し、世間の姉弟よりは仲が良すぎるかもしれないが。
それはさておき、姉弟としての始まりの日から10年の月日が流れた。
高校1年生、16歳になった僕はとても満たされた日々を過ごしている。
楽しい学園生活、友人たちにも恵まれて何一つ文句などない。
……いや、たったひとつだけ贅沢な悩みは抱えていた。
それは……僕の平凡な1日を見てくれれば理解してくれるだろう。
「うーん、ふわぁ……もう朝なのか」
早朝の朝陽を窓から浴びながら、僕は鳴り響く目覚まし時計を消そうと手を伸ばした。
全寮制である私立綾瀬学園に入学して2ヶ月。
僕はようやく寮生活に慣れ始めていた。
朝は7時起床、7時半には朝食を食べて、8時には学園に登校。
そういう時間が決められているのでいつまでも寝ていられずにベッドから起き上がる。
「空は快晴、雲ひとつなし。今日もいい天気だな」
学生寮、4畳半程度の個室という狭い部屋での生活。
部屋の一角を占めるタンスから着替えを取り出して、僕はそれに着替えた。
「おーい、響。起きてるかぁ?」
部屋の扉の向こうからノックと共に男の声がする。
「ちょっと待ってくれ。すぐに出る」
相手は僕の友人、待たせては悪いと僕は急いで扉を開けた。
「おう、おはようさん。飯を食いに行くぞ」
欠伸をしながら片手をあげて挨拶するのは友人の中村郁也(なかむら いくや)。
僕の部屋の斜め向かいの部屋に住んでいる彼とは入学以来の友達。
気さくな性格から付き合いやすい相手だ。
中村と一緒に食堂に向かうと既に朝食がテーブルに並べられている。
「今日は和食か。僕は納豆が嫌いなんだ」
「納豆がダメなら食堂のおばちゃんに言って卵に変えてもらえばいいだろ」
そんな他愛のない事を言い合いながら僕らは決められた場所に座る。
この学園には男女2つずつ、全部で4つの学生寮があるのだが、ここの寮は隣の女子寮と並列されて立てられてる建物のために、女子たちとも食事を共にする。
「響クンとその他、おはよー」
明るい女の子の声に振り向くと、クラスメイトの相良絢子(さがら じゅんこ)がいた。
彼女の明るい性格は人を和やかにする魅力が溢れている。
「おい、相良。その他って言うな。俺にはちゃんと中村郁也って名前があるんだ」
「知ってるけど?今さら名乗り出なくても分かってるってば、その他クン」
「わざと俺だけその他扱いかよ。ちくしょうー」
文句を言う中村を見ながら意地悪く笑っている相良さん。
クラスメイト&食堂のテーブルが近いのでよく話をする。
この寮生活のいいところはこうして女子とも自然に接する事ができる所だろうか。
生活を共にするからこその一体感は他の何よりも距離を近づける。
「……あっ、来たわよ」
食堂にいる生徒の視線が一斉に一人の少女に向けられる。
一瞬で静寂になる食堂……毎度のことながらこの無音はすごい。
「皆さん、おはようございます。今日もいいお天気ですわね」
食堂に入ると皆に向かって挨拶をする彼女。
満面の微笑み、それはまさしく天使そのものだろう。
その可愛らしい顔立ちに目を惹かれる男子生徒どもの気持ちは十分理解する。
「「おはようございます」」
全員が揃って彼女に挨拶をする姿はある意味、崇高の対象にも思える。
「ふふっ、今日も皆さん、いい1日になる事を祈っていますわ」
お嬢様的な雰囲気をかもし出して語る言葉。
この学園のアイドルと断言できる美少女。
僕は彼らの前に一歩足を踏み出して、控えめな声で彼女に声をかけた。
「おはよう、真綾お姉ちゃん」
少女はこちらに気づいてにこっと可愛くウインクする。
周りの生徒の目を気にしてか、その程度で僕らの朝の挨拶は終わる。
人気の美少女、彼女こそが僕の姉である真綾お姉ちゃんだ。
学園の生徒会副会長をしている事もあって、生徒たちの関心も人気も高い。
すぐに騒がしさが戻って、いつもの食堂の雰囲気へと変わる。
「……ふぅ、相変わらずの人気だな。あんな美女が姉だなんて響が羨ましい」
「だよねぇ。私もあんなお姉さんなら欲しいなぁ。響クン」
「僕も自慢の姉だと思うよ。いつもながらあの人気はすごい」
よく高嶺の花というけれど、弟の目から見てもそう感じるのだから。
「さてと、さっさと飯を食ってしまうとしよう。飯だ、飯っ!」
「はぁ、アンタは少しぐらい先輩を見習いなさい。行動と言動が下品よ」
「……相良、今、俺の全てを否定しただろ!覚えてろ、いつか俺の前に跪かせてやる」
「できるものならやってごらんなさい。ふふっ、アンタが私に跪く方だけどね」
ふたりのやり取りを眺めながら、僕も思わず笑う。
朝食を食べながら遠めながらに我が姉を眺めた。
真綾お姉ちゃんは今日も上品な笑顔を浮かべている。
周囲に対しての気配りのよさも彼女の性格の表れだろう。
「……人がいる時は本当のお嬢様みたいなんだけどなぁ」
それはいい意味か、悪い意味かは置いとくとしても僕を悩ますモノのひとつ。
「うーん……今日のは少し味が濃いな」
僕はお味噌汁を飲みながら、これから先に起こるであろう事を考えていた。
ちなみに僕は薄味の味噌汁が好きなんだ、完全な余談だけどね。
うちの学園は進学校のために授業のレベルが高い。
ハイペースで行われる授業に追いつくのは大変で、授業が終わるとクタクタに疲れる。
昼休憩になると僕はひとりで屋上へとあがる。
普段は鍵で施錠されているその屋上は僕と真綾お姉ちゃんの秘密の待ち合わせ場所だ。
彼女は生徒会の関係で鍵の管理を任されているらしい。
「……真綾お姉ちゃん」
いつものようにベンチに座る彼女に声をかけた。
こちらに振り向く学園のアイドルは満面の笑みで僕に飛びついてくる。
「うぅ~。響ちゃん、遅かったじゃない」
思わず後ろにこけそうになるのを耐える。
僕は姉に抱きつかれたままで言葉を放つ。
「ごめん、お姉ちゃん。授業が終わるのが遅くなって」
「遅いわよ、もう今日は来てくれないのかって心配したんだから」
口を可愛く膨らませて拗ねる彼女。
いけないと分かりつつも、僕はそのお姉ちゃんの態度が嬉しい。
「1年って授業が終わるのが遅いから。いつも待たせてごめんね、お姉ちゃん」
「ううんっ。響ちゃんが来てくれたから許すわ。ほら、昼食を食べましょう」
朝のお嬢様ぶりはどこへやら……目の前にいる姉はひとりの可愛い女の子だ。
彼女のファンが見たら卒倒しそうな豹変ぶり。
「今日の昼飯は何にしたんだ?おにぎり?それともお弁当?」
学園での昼食は主に2択、学食か購買で物を買うかのどちらかだ。
全寮制ながらも、うちの購買部はコンビニ扱いしてもいいくらいに物が揃ってるので不便は感じない。
僕とお姉ちゃんはいつも、購買のメニューを買ってきてここで食べる事が多い。
学食など人の多い所に行っても、人目を気にしなくちゃいけないから。
人気者の姉と一緒にいるだけで、周囲から羨望の眼差しは痛い。
「今日はサンドイッチにしたんだ。響ちゃんはトマトは好きよね?はい、あーん……」
トマトサンドを手にした真綾お姉ちゃんは僕の口へとそれを運ぶ。
それにふたりっきりだとこんな感じでデレまくりだから他人には見せられない。
……この歳で姉に“あーん”させられる僕も恥ずかしいのだが。
「あ、あーん」
口を開いてサンドイッチを彼女に食べさせてもらう。
僕が彼女のすることを拒む事は一切できない。
以前、似たような事をして、危うく全校生徒を敵にする所だった。
そんな命知らずな事は僕にはできない。
「……あんっ」
僕の口に少しだけ指が触れると彼女は照れながら言う。
「やだぁ。お姉ちゃんの指まで食べないでよ。もうっ、響ちゃんは欲張りねぇ」
その指を軽く舌で舐めて彼女は艶やかな微笑をこぼす。
その色っぽい唇に思わずドギマギさせられる。
「私も食べようっと。響ちゃん、私にも食べさせてくれない?」
「それは勘弁してくれ、真綾お姉ちゃん……」
真綾お姉ちゃんは僕が好きらしい、弟として。
僕の事を誰よりも大切に思ってくれるのは嬉しい。
こうしてベンチに隣同士で寄り添いながら昼食を食べたりするのも悪くない。
でも、姉弟である以上、物には限度があるものだ。
時々、彼女が僕に求めてくるのは姉弟以上のこと。
まるで恋人のように、僕に弟としてだけでなく異性としても求めてくる。
「……ごちそうさま。あ、響ちゃん。口元が汚れているわ」
僕の口元にハンカチを向ける彼女、僕はそれを止めて自分で拭う。
「それくらい、注意してくれるだけでいいよ」
「えぇー、どうして?私は響ちゃんのお世話がしたのに」
そして、僕もこんな風に可愛く姉に接せられると自分を抑えられなくなる。
いけない事だと自覚しているからこそ、僕は自分の気持ちを抑えた。
「真綾お姉ちゃんは僕を子供扱いしすぎだ。僕だって高校生なんだからさ」
「私にとってはいつまでも可愛い弟なんだから。お姉ちゃんの楽しみを奪わないで」
そう言って、僕の肩に彼女は身体をあずけてくる。
ふわっと香るのは真綾お姉ちゃんの香り、どうして女の子はいい匂いがするんだろう?
初夏の太陽の日差しも心地よく、僕らは時間を過ごす。
「……本当に私は幸せものね。響ちゃんがいてくれるだけで満たされるわ」
僕も真綾お姉ちゃんと同じ気持ちだった。
こんな時間がいつまでも続けばいいのに。
「ねぇ、響ちゃん……お願いがあるんだけど聞いてくれる?」
「ん、何だ?真綾お姉ちゃん?」
「私のお願い、恋人を作らないで。不順異性交遊なんてしちゃダメだから」
僕にそう囁きかける姉の顔はどこか不安そうに見えた。
シュンっとしてしまう彼女に僕は何か言葉をかけようとする。
「真綾お姉ちゃん……」
「絶対にダメ。もしも恋人なんて作ったら、校則で禁止するからね。そうなると、恋人として付き合ってる生徒から恨まれるような事になるんだよ。響ちゃんのせいで、多くの罪のない恋人が苦しんだりして……。響ちゃん、闇討ちされちゃうかも」
ちょっと待って、何でそんな大きなスケールで物事が動くわけ?
僕が恋人を作ると学園の皆が不幸せになるって……ある意味、地獄を見そうだ。
これが生徒会の権力という言葉の威力なのか?
「だから、恋人なんて作らずにお姉ちゃんの可愛い弟でいてね♪」
僕に抱きついて彼女は楽しそうに言う。
推定バストサイズ86センチの胸が僕の背中に押し付けられる。
あぁ、この何とも言えない柔らかな感触には男として逆らえない。
「私と響ちゃんが姉弟として巡り合わせた運命は素晴らしいと思うの。響ちゃんもそう思うでしょう?そう、思うよね?」
「……う、うん。僕もそう思うよ」
「やっぱり、私達は最高の星の下に生まれたのよ。響ちゃん、大好きっ」
えっと……贅沢な悩みだと分かって、あえて言わせてください。
うちのお姉ちゃんはちょっとブラコン気味だと思うんです。
まぁ、幸せそうに笑う彼女を見ているとそれもいいかと思ったり……。
僕の自慢のお姉ちゃん、学園のアイドルとしての一面も、姉としての姿も僕は好きだ。
でも、できれば大人しいままでいて欲しいと思うのは僕の我がままかな?