2章
一節
転生者ギルドの中。
魔力の光に照らされたホールの一角、情報掲示板の前に、カズナとブレイドは肩を並べて立っていた。
木製の掲示板には、ぎっしりと依頼の紙が張られている。
ほとんどが討伐や護衛、トレード仲介。だが、その中にひときわ目を引くものがあった。
【前衛職募集中】
ダンジョン防衛戦/魔物逃走阻止
目的:洞窟内より逃げ出そうとする個体を撃破
報酬:1体につき300G(ギルド保証)
場所:ロマーリア北東・断崖の洞穴(出発時刻指定あり)
依頼主:パーティーリーダー/ゼイン
「……これ、面白そうじゃないか?」
ブレイドが小さく呟く。
後衛支援ではなく“前衛”募集というのは、自信のある相手か、もしくは危険を伴う案件。
けれど、ブレイドはやれる気がした。
「ギルド保証ってのも悪くないな。取りっぱぐれないってことだ」
カズナも同意するように頷き、掲示板を一度見上げたあと、受付へと向かう。
チン、と軽くベルを鳴らすと、さっと受付嬢が顔を上げた。
「こちら、ゼイン様のパーティー参加希望ですね?転生者の方は、召喚器の照合をお願いします。」
カズナが懐中電灯型の召喚器をかざすと、淡い魔法の光が走る。
それを確認した受付嬢は、慣れた手つきで台帳を記しながらにこやかに言った。
「では、ゼイン様にお繋ぎいたします。こちらへ。」
導かれるままにギルドの奥のテーブル席へと足を踏み入れたとき、カズナは自然と足を止めた。
そこにいたのは、青年ひとりと、その後ろに立つ二人の降臨者。
一人は赤と青のコートを翻し、まるで剣と魔を両方操るかのような雰囲気を持つ男。
短く切り揃えた銀髪に、軽く口角を上げた余裕の笑み。背中には、背丈に迫る刀を背負っている。
彼の立ち姿そのものが、戦いの中で研ぎ澄まされた力と、異世界の美学をまとっていた。
もう一人は、綺麗に切り揃えられた艶やかな茶髪を持つ、気品のある女性。
白と蒼の刺繍が施された、聖職者の装い。
優しげな瞳の奥に、どこか深い哀しみを湛えているその姿は、まるで祈りを捧げ続ける少女のよう。
だが彼女の目は、何故か生きている気力そのものが感じられず、まるで人形の様な印象を受けた。
ブレイドが 一瞬 視線を外したのは 、無意識のうちに、その痛ましさに気付いたからかも知れない。
「……ゼインだ。パーティーに加わってくれるなら、歓迎する」
静かに立ち上がった青年は、飾り気のない言葉でそう告げる。
黒い髪、そして優しそうな目元には少し影。だが、その奥に一瞬きらりと理知的な光が走った。
「俺が転生者だ。あとは見ての通り、強力な降臨者がいる。……で、君たちは?」
名乗りの前に、ブレイドが一歩前に出た。
その背中を見て、カズナも静かに頷いた。
「俺は転生者のカズナ。こっちは、降臨者のブレイド。前衛、戦士だ。」
「よろしくな、ゼイン!……ていうか、後ろの二人、スゲェ強そうだな!」
ブレイドの素直な言葉に、カズナが思わず苦笑い。
だがゼインの口元には、僅かな笑みが浮かんだ。
「ま、強いよ。信用していい。ただ、油断はしないことだな。ダンジョンってのは、いつだって“想定外”がある」
彼が聖職者の女性の髪を愛でるように撫でると、彼女は少し震えながら微笑んで黙礼した。
それが、この世界における初めての邂逅。
戦う理由も、旅の行き先も違う者たち。
けれど今、同じ目的もとに集った。
それだけで、確かに運命は動き始めていた。
二節
ギルドの奥、木製のテーブルを囲むように五人が座る。 軽く打ち合わせを済ませた頃だった。ふと、ゼインの視線が、ブレイドの首元に止まった。
その場所には、降臨者である証。
小さく刻まれた黒い刻印が浮かんでいる。
ゼインの瞳がわずかに細まり、声のトーンがわずかに変わったのを、カズナは聞き逃さなかった。
「……その印、君は“コモン”か。」
さらりと、しかしはっきりと、区別するように告げられた言葉。
ブレイドの背筋が、一瞬ぴくりと震えた。
「コモン?」
カズナは首を傾げる。だが、ブレイドは俯いたまま、口を閉ざした。
ゼインはため息混じりに椅子にもたれ、表情を崩すことなく、冷静に続けた。
「誤解しないでくれ。責めているわけじゃない。ただ……俺は今回の依頼、確実に成功させたいんだ。戦力には自信がある。だが、万が一というのもある。」
淡々とした口調に、悪意はなかった。だがそこに宿っていたのは、明確な“選別”だった。
「戦闘経験のない転生者と、コモンの降臨者。申し訳ないが……今回は、別の人を探させてくれないか。」
その言葉に、カズナはしばし口を開いたまま、何も言えずにいた。
だが隣では、ブレイドがゆっくりと立ち上がっていた。
「……もう、いい。分かってたよ。あたしが“そういうの”ってこと、最初から。」
俯いたまま、ブレイドはかすかに笑った。けれどそれは、笑顔にはほど遠い表情だった。
「ブレイド……?」
「ごめん、マスター。……耳、塞いでたくなったんだ。」
ぽつりと呟いた彼女は、逃げるようにその場を後にする。
カズナもすぐに椅子を引いた。
「……ゼイン。わかった、今回は縁がなかったってことで。ありがとな。」
ゼインは頷いただけで、止めることもしなかった。
その後ろで、ただ一人、何も言わずに立っていた聖職者風の女性。
茶髪の彼女、リアラ・ヘルは、黙ってその背中を見送っていた。
ぎゅっと指先を握りしめながら。
自分のことを“道具”としか見ないこの世界で、誰かの手に、あんな風に引かれていくブレイドの姿が、たまらなく眩しく、そして……。
「……羨ましい」
小さな、小さな声が、彼女の唇から零れた。
だがその声は、誰にも届かない。
届いてほしいと願う心さえ、すでに置き忘れてしまったような、壊れかけの祈りだった。
三節
ロマーリアの夜は、どこか冷たい静けさを纏っていた。
夕食の時間をとっくに過ぎた宿屋の一室。
部屋に戻ったカズナとブレイドは、食事もとらず、黙ったままベッドの端に座っていた。
カズナは何も言わず、ブレイドの隣に座り続けていた。
無理に聞こうとしなかった。ただ、待っていた。
やがて、ブレイドがぽつりと呟く。
「……あたしさ。黙ってたわけじゃないんだ。」
その声は、とても小さく、震えていた。
「レアリティのこと、だろ?」
カズナがやわらかく応じると、ブレイドは目を伏せて、微かに頷いた。
「降臨者って、全部で四段階あるんだ。一般、希少、伝説、神話ってね。」
どこか遠くを見るような目で、ブレイドは言葉を続けた。
「神話は、文字通り、最強格。現代の聖人とか、伝説の魔王とか。伝説は、軍を率いた将軍や王様。希少は、冒険譚に名を残した人物たち……。」
そこで、少し間を空けて。
「……一般。俗にコモンって呼ばれてる降臨者。本当に、ただの一般人。村娘とか、行方不明になった猟師の娘とか。つまり……物語にすらならなかった存在。」
そう言った彼女の顔には、悔しさと、恥じらいと、自己嫌悪が入り混じっていた。
「誰でも使える。だけど、誰にも選ばれない。価値がないわけじゃないけど……替えが効くって思われる。」
苦笑まじりに肩を落とすブレイドを、カズナは黙って見つめていた。
「……あたし、正直怖かった。カズナに知られて、幻滅されるのが。こんな降臨者で、いいのかって……。」
その瞬間、ぽろりと、ブレイドの瞳から涙が落ちた。
「ごめん……言うつもりだった。でも……でも、あたし、あんたのこと、好きだから……。」
言葉にならない感情が、声を震わせる。
唇を噛んで、肩を揺らして、泣くことを必死に堪えようとする彼女の手を、カズナはそっと取った。
「ブレイド。」
優しい声が、夜の静寂に溶けていく。
「そんなの、関係ない。レアリティがなんだ。俺にとって、お前は“最初に出会った、最高の相棒”だよ。」
その言葉に、ブレイドは息を呑んだ。
「……マスター……。」
「俺さ、最初はこの世界の事、どこか他人事みたいに感じてた。けど、今は違う。お前と出会って、泣いたり笑ったりして………やっと生きてるって思えるようになったんだ。だから。」
言葉の終わりを待たずに、ブレイドは抱きついた。
カズナの胸に顔を埋めて、泣きながら、震えながら。
「ありがとう……ごめんね……でも、ありがとう……!」
カズナは黙って彼女の手を握った。小さなその手は、震えていた。
ブレイドは、ぎゅっと目を閉じたあと。
ゆっくりと、カズナの胸元に身を寄せた。
「……ねえ、マスター。今夜も……あたしを、抱いてくれる?」
それは、震える声だった。けれど、確かな意志が宿っていた。
カズナの手が、彼女の髪をそっと撫でる。
「……もちろんだよ。今夜も、これからも。君が望むなら、何度だって」
その言葉に、ブレイドは微かに笑った。涙がこぼれる寸前だった。
指先が、肌をなぞる。
唇が、重なる。
再び訪れるふたりだけの静寂。
それは、ひとつひとつが丁寧で、そしてやさしい。
服の隙間から触れるぬくもり。
耳元でささやかれる、愛のことば。
ひとつひとつ、確かめ合うように、ふたりは繋がっていく。
「カズナ……っ、すき……だいすき……っ。」
揺れるベッドのきしみさえ、波音に溶けて、遠く霞んでいく。
重なるたびに、確かめるたびに。
想いは深く、そして、甘く、熱を帯びてゆく。
まるで、お互いの不安も、過去も、痛みも、すべてを抱きしめるように。
そして、やがて夜が深まり。
静かに呼吸を整えるブレイド。
彼女は、眠るカズナの胸の中で目を閉じ、そっと囁いた。
「さようなら、私の大好きなマスター。本当に。愛してたよ。」
四節
朝日が、木の窓枠から差し込んでいた。
カズナは、まどろみの中で微かな暖かさを感じながら、目を覚ました。
……けれど、そのぬくもりは、すでに隣になかった。
「……ブレイド?」
掛け布団の片側が、わずかに沈んだまま。
ぬくもりが、まだそこに残っている気がして、カズナは手を伸ばした。
が、そこには誰もいなかった。
静かな朝の空気。
鳥のさえずりが、遠くから聞こえてくる。
……しかし、部屋の中にはそれ以外の気配が、なかった。
ベッドの端に、何かが置かれている。
白い、封をしていない手紙。
震える手でそれを取り、そっと開く。
『カズナへ。
おはよう。ごめんね、勝手にいなくなって。
でも、どうしても、ちゃんと伝えたかった。
あたし、幸せだった。
こんなあたしを、好きって言ってくれたこと。
何度も抱きしめてくれたこと。
一緒に笑って、歩いてくれたこと。
ひとつひとつが、宝物みたいだった。
でも、コモンのあたしじゃ、きっといつか邪魔になる。
あなたが強くなって、仲間が増えたら……その時、あたしがいたら、あなたの足を引っ張るだけだと思った。
だから、先に行くね。
心から、心から……ありがとう。
今も、これからも、ずっとカズナを愛してます。
ブレイドより。』
「……なん、で……」
喉の奥から、声がこぼれた。
鼓動が荒ぶ。呼吸が浅くなる。
「ブレイド……!」
一言叫び、カズナは飛び起きた。
裸足のまま、上着を引っつかみ、ドアを蹴るように開け放つ。
宿の一階へと、転がるように階段を降りる。
「すみませんっ!今朝、ここから出ていった女の子!茶色い髪で……っ!」
女将が、ゆっくりと顔を上げて答えた。
「……ああ。あの子なら、ついさっき、港の方に向かってたわよ。荷物は何も持たずにね」
その言葉を聞くなり、カズナは礼もそこそこに飛び出していた。
朝の光を切り裂くように、路地を駆ける。
お願いだ、間に合ってくれ。
まだ、言ってないことが、たくさんあるんだ……!
風が、カズナの頬を叩いた。
心臓が、痛いほど高鳴っていた。
港はすぐそこだ。
カズナはブレイドを探し、朝焼けの中を、ひたすら走っていた。
五節
そして、絶望が追いついた
港は静かだった。
波の音、かもめの鳴き声、人々のざわめき……そのどれにも、ブレイドの姿はなかった。
「くそっ……!」
カズナは、何人もの船乗りに声をかけ、顔写真のない記憶の中のブレイドの特徴を必死に伝えた。だが、誰も彼女を見ていないという。
焦りと不安が、心を締めつける。
(どこだ……どこに行ったんだ……!)
そんなときだった。
ふと顔を上げたカズナの視線の先、街の中心にそびえる大図書館の白亜の建物。
その扉の向こうに、すっと入っていく見覚えのある後ろ姿。
「ブレイド……!」
その瞬間、カズナは何も考えずに駆け出していた。
心臓が、痛いほど脈を打つ。
足は震えていたが、止まる理由などどこにもなかった。
扉を開け放ち、冷たい石畳の床を駆け抜ける。
彼女の姿を追って、大広間を走る。
そして、見つけた。
白く清潔なカウンターの前。
整然と並ぶ列の中、ひときわ目立つ青い上着。
その先頭に、ブレイドが立っていた。
その列の上部には、鮮やかな金色の文字が光る。
《職能変換・種化処理 窓口》
「……っ!」
理解が、胸を突き刺した。
降臨者は、それぞれが出自に見合った、独自の職能を持つ存在。
そしてその培ってきたものを「種」《エクスペリエンスシード》へと変える装置が、ここにはある。
種は、他の降臨者に飲ませることで、能力のの成長を促進させる。
つまり。
それは、《死》に他ならない。
カズナは、息を呑んだ。
なぜだ。
なぜそんな場所に、彼女が?
そして、その手に握られていたもの。
それは、カズナ自身の、召喚器だった。
目の前が、ぐらりと揺れる。
走れ、と叫ぶ脳。
叫べ、と吠える心臓。
けれど。
「次の方、どうぞ」
淡々とした係官の声が響いた。
目の前のブレイドが、そっと歩み出る。
「待って……! ブレイド!!」
叫んだ。
喉が裂けそうなほどに、叫んだ。
けれど。
届かなかった。
ブレイドの手が、召喚器を静かに掲げる。
そして、その銀の器具が光に包まれた刹那。
《個体認証:完了》
《対象降臨者:ブレイド》
《変換処理:開始》
光が弾けた。
風が、吹き抜けた。
そしてそこに、彼女の姿はもうなかった。
六節
知らなかった。
召喚器が、願えば手元に戻ってくるものだということを、カズナはその後に知った。
この世界には、彼の知らないことが、まだ山ほどある。
けれど、その時の彼にとって、そんな知識は何の意味もなかった。
大図書館の天井に声が反響するほど叫んでも、あの温もりは、もう戻ってこなかった。
目の前に立つ《世界樹の使徒》は、感情というものを忘れたかのように淡々としていた。
顔も、声も、まるで機械のようだった。
「変換処理、完了しました。降臨者は、以下のシードに変換済みです」
使徒は、淡々とした所作でカズナに向かって、小さな銀の瓶を差し出した。
カズナは震える手で、それを受け取る。
重さは、ほとんどなかった。
だけど、指の先まで重かった。
そして、すぐに使徒は向き直った。
「次の転生者の方、どうぞ」
あっけない。
あまりに、あっけなかった。
これが、終わりなのか。
崩れそうになる膝を無理やり支え、カズナは瓶を見つめた。
中に揺れる淡い光の粒が、彼女の魂の欠片のように見えた。
何度も泣いた。
何度も叫んだ。
けれど。
数十分の後、涙は枯れた。
いや。
泣いても、どうにもならないことなのだと、ようやく理解しただけだった。
彼女の笑顔。
夜の声。
手を伸ばしたときの、ぬくもり。
それらはすべて、この手の中の《種》に変わってしまった。
カズナは、それを握りしめる。
そして。
静かに、大図書館を後にした。
朝の陽射しが、やけにまぶしかった。
彼の影は、ひどく長く伸びていた。
七節
「へへ、マスター、あたしにドレス買ってくれるのか?」
船に乗る前、ブレイドが振り返って見せた、あの無邪気な笑顔。
ふざけた口調の裏に、どれだけの覚悟と優しさを隠していたのか。
それを、今さら噛みしめている自分が情けない。
もう、どれだけ時間が経ったのか。
宿の部屋には、カズナひとり。
壁にかかった古びたランプの灯りが、今にも消えそうに揺れていた。
ブレイドの声が、何度も何度も頭の中で響く。
耳を塞いでも、胸を叩いても、消えてはくれなかった。
思い出せば思い出すほど、そこに彼女がいないという現実が突きつけられる。
「……ブレイド……」
ぽろり、と音を立てることなく、涙が頬を伝う。
失った痛みは、こんなにも鋭く、鋼よりも深い。
初めてだった。心から人を愛したのは。
それを、自分の手で失ってしまったのだ。




