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「ふふ、お前たちにも見えるわね?
そう私が調整したのだから」
勝ち誇ったように黎己が言う。
「この糸の先はここにいる衛士や娘たちだけではない。
瑞鳳宮中の女の首にからみついているわ。
全部綺麗に落としてあげようかしら?
男どもから見ればとるにたらない女の首かもしれないけれど、その家族は悲しみ恨むでしょうねえ。
見殺しにした新皇帝を」
黎己がくっくっ、と肩をふるわせて笑う。
一人では死なない。
周りの皆を道連れにしてやる。
そんな自暴自棄な気配を感じた。
「私たちだけがまた捨てられるのは嫌。
どうしてここで折れなくてはいけないの?」
黎己の心が悲鳴をあげているのが聞こえるような、きしんだ声だった。
そして彼女の激情に呼応するように、陰の気がうごめいた。
捕らえた獲物たちを締めあげる。
香凜や衛士たちが首をかきむしり、床に膝をついた。
苦し気な皆の姿を見ると、朱音まで息ができなくなる。
なんとか、なんとかできないか。
このままでは本当に皆、首を落とされてしまう。
龍仁と部下たちは剣をもっている。
だが陰の気でできた糸を斬るのは無理だ。
陽の気を消せるのは陽光だけ。
相殺できるのは陽の気だけ。
元を断つしかない。
黎己が人質の首を刎ねる、その前に彼女をたたく。
それができるのは、今ここで自分だけだ。
朱音は覚悟を決めた。
そして龍仁に言う。
「龍仁様、私の玉をもう一度、受けとってください」
眼を見開く龍仁に、黎己に聞かれないよう、小声で口早に言う。
「伝承をご存じでしょう?
花仙を妻とした男は、老いて後、共に仙界へと渡った。
私は自分のためだけでなく、伴侶となった人のためにも仙界への道を開くことができるんです」
一人が通る道は狭い。
だけど二人で通る道ならもう少しだけ広い。
そして多くの陽の気がこの場に流れ込む。
糸の中心である皇太后と、玉をにぎる黎己に焦点をあてれば。
辺りにうごめく陰の気の糸がどれほど多くあろうとも、その元をたどれば皇太后の体に巣くった陰の気の仙にたどりつく。
すべての糸は彼女から生まれているのだ。
蜘蛛の巣のように放射線状に伸びた糸がどんなに多くとも、中心をたたけばすべてが切れる。
仙界への道を開けば、朱音が花仙だとここにいる皆にばれてしまう。
だがそんなことを言っていられない。
大勢の命がかかつている。
朱音は懸命に龍仁に説いた。
だが龍仁はうなずかなかった。
それどころか、ぷいと眼を背けてしまう。
「しかたなく結ぶ契りなど、欲しくない」
「なっ、好き嫌いなど言っている場合じゃないでしょう?
このままだと皆さんが、それに龍仁様だって……!」
「だからといってお前が犠牲になる必要はない」
「え……?」
「手をこまねいて俺を慕う者たちを死なせるなど皇帝失格だ。
だが俺はお前を守るために皇帝であろうとした。
ここでお前を犠牲にすれば本末転倒だ。
この場は俺がなんとかする。
だからお前はひっこんでいろ」
乱暴な口調だ。
今までの朱音なら、引っこんでいろと言われたら、すぐに腹を立てていただろう。
だが今の朱音なら、彼の言葉の意味をしっかりと汲み取ることができる。
朱音の頬がこんな時なのに熱くなってくる。
まじまじと見つめる朱音に、龍仁がはっきりと言った。
「別にお前のためじゃない。
俺はお前に無理強いしないと自分に誓った。
俺は俺自身のためにその誓約を破る気はない」
なんて意地悪で俺様な言葉だろう。
朱音の唇に笑みが浮かんだ。
どんな時でも自分を失わない、強くて優しくて意地悪な人。
朱音の脳裏を、悲恋に終わった花仙の話がちらりとよぎった。
でももう迷わない。
心の底からこの人が好きだと思った。
この人がこの先どんな想いを返してきても、自分は強くあれる。
この人を選び、愛したのは自分。
自分で選んだ道だから。
そう、だから私は……。




