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龍仁の乳兄弟で、公私ともに龍仁のお気に入りの佑鷹だ。
龍仁が堂々たる楠だとしたら、佑鷹は池の畔にたたずむ青柳。
意地悪大王と違ってやわらかな佑鷹の言葉に、朱音はちょっと力をぬいた。
今、朱音が着ている衣も、気分転換にと佑鷹がくれたものだったりする。
佑鷹が胃のあたりを手でおさえながら、龍仁に聞こえないように朱音にそっとささやいた。
「朱音、気持ちはわかるけど、おさえて、おさえて。
殿下は君が可愛くてしょうがないんだよ。
うっかり贈った私も軽率だったけど、殿下は他の男があつらえた衣を着た君を見て怒ってらっしゃるだけだから、早く着替えてきて」
はあ?
この態度のどこが?
猜疑心たっぷりに佑鷹を見ると、彼は気まずそうに眼を泳がせた。
「君は本当に美しいから。
一目見て心を奪われた殿下が邸にさらってきてしまうのも納得だと、皆、噂しているよ。
片時も傍から離したくないお気に入りだって。
多分」
励ますつもりなら気弱げに最後の〈多分〉をつけないでほしい。
朱音は胸元に落ちかかる髪を見た。
朱音の母譲りの銀の髪や、透ける翡翠のような瞳は黒髪黒瞳がふつうの崔国ではういている。
(この色合いが龍仁のお気に入りだって、佑鷹様はいつもおっしゃるけど……)
大好きな母から受け継いだ色合いは朱音も好きだ。
だが、
「珍しい容姿が今の暮らしの原因なら、まったく嬉しくありません。
私、皆さんと同じような姿がよかったです」
そうすれば彼の眼にとまらなかったのなら。
「そもそも佑鷹様は勘違いをなさっています。
私、龍仁様からは侮蔑の眼しかうけたことありません。
お気に入りなんて嘘です」
「……いや、まあ、確かにわかりにくいけど。
その、それは君がいつもそうやって毛を逆立てた猫みたいに威嚇するからじゃないかな。
試しに笑顔を見せてごらんよ」
「そう言われましても笑顔を見せたくなる時がないです。
そもそも召し抱えられた当初に、女嬬の義務だとしぶしぶ愛想笑いをしましたら、何をへらへら笑っていると叱られました」
佑鷹がごほごほと咳きこんだ。
殿下も自業自得だけど気の毒に、とかいう声が聞こえたけど、気の毒なのはいつもいじめられているこちらだ。
「ま、まあ、無理につくり笑いはしないほうがいいけど。
これ以上は私の胃がもたない……あ、いや、各方面にさわりがあるから、気をつけてと言いたかったんだ。
人の多い馬場にも、もう出てこないで。
出迎えるのは殿下が邸内の内廷部分に戻られてからでいいから」
「でも真っ先に出迎えろと命じられたのは龍仁様です」
「そうなんだけど……。
そこは男心の複雑なところというか、そういうことだよ」
何がそういうことか理解できない。
こういう時はこうしろと、一覧にして渡してほしい。
佑鷹とぼそぼそ話していると、顔をしかめた龍仁がじれたように声をかけてきた。
「おい、いつまで佑鷹と話して主に空の碗をもたせておくつもりだ。
お前それでも俺の女嬬か?」
こればかりは言われることももっともなので、朱音はおとなしく手をさしだす。
朱音が椀をつかんだ瞬間、龍仁が手をひいた。
薄い高価な白磁の碗だ。
落とすまいとしっかりつかんでいたから、朱音の体は勢いあまって龍仁の懐に飛び込んでしまう。
彼の硬くて逞しい胸板に額がとんとあたって、揶揄する声がふってきた。
「まともに碗一つ受けとれないのか。
それに濡れた体でぶつかって、俺まで濡らす気か?」
あなたが碗をひっぱったからでしょう!
反論しようと顔をあげた朱音に、龍仁の手がのびる。
とっさに避けようとした朱音は、彼の鋭い瞳に射すくめられて動けなくなった。
彼は時々、本当に怖い眼をするのだ、朱音限定で。
体だけでなく、魂の奥底まで喰らいつくされそうな怖い眼を。
いつもの彼になら気安く噛みつけるけど、こういう眼の彼には逆らうことすらできない。
自分がすごく小さくて弱い存在に思えてしまう。
朱音が身をすくませたその隙に、龍仁の長い指が朱音の頬に流れる茶の滴を追う。
朱音の肌にはふれずに、滴にだけふれた龍仁の指は、そのまま彼の形の良い唇へと運ばれる。
ちらりと赤い舌先が見えた。
龍仁が温度を確かめるように、指についた滴を味わっている。
その仕草が妙に眼に焼きついて、背筋がぞくりとした。
龍仁が指ですくいとったのは滴だけなのに、まるで自分の心や魂までをも彼にさらわれて口づけられたかのようで、肌が粟立つ。
(これって玉をこの人に奪われているから?)
やっぱり早く取り戻さないと。
こうしている今も彼は肌にふれるほど近くに朱音の玉を抱いている。
玉を通じて彼の心臓の音が聞こえてきそうだ。
こんなのが続くとこちらの心臓がもたない。
「……ふん、やはりぬるい、な」
言って、龍仁が空の碗をさかさまにして朱音の頭にかぶせる。
にやりと笑う彼の眼からはあの恐ろしい光は消えていた。
かわりにいつものあざける表情がうかんでいる。
「おおげさに身をすくめて佑鷹の同情心をあおるな、これくらいなんでもないだろう。
そんなこともわからない頭、碗置きにでもしておけ、間抜けなお子様め」
「なっ」
ちぢこまっていた朱音の心が一気にもとに戻って煮えくりかえる。
別にわざと身をすくめたわけではない。
それに茶の温度なんて今確かめなくても碗を手にした時にわかったはず。
だから中身をぶちまけたのではないの?
「まともに女嬬の仕事もできない娘はさっさとさがって着替えてこい、目障りだ」
龍仁が邪魔だというように朱音を房のあるほうへ押しやる。
やっぱり腹が立つ、この男!
だが主の命令だ。
朱音はぷりぷり怒りながらも一礼して、自分の房へと踵を返した。




