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龍仁の使いとして朱音のもとへきたのは黄黄だった。
細い紐のついた小さな袋を、朱音の掌にそっとおく。
「これ……」
『龍仁が返すって』
朱音の顔がこわばった。
中身は開けなくてもわかる。
これは〈玉〉だ。
龍仁と朱音をつなぐもの。
これを返すということは、二人の関係を断ち切るということ。
『仙界へ渡れって龍仁が言ってた。
それが一番安全だからって。
隣国の父母には連絡を入れておくからって』
真っ青になって動けずにいる朱音にかわって、黄黄が袋をあけた。
小さな玉がふわりと宙に浮かびあがって、朱音の胸に吸い込まれていく。
「あ……」
感じる。
自分の魂が戻ってきたのを。
これで満たされたはずなのに、胸にぽっかり穴が開いている。
彼に奪われていた時よりも心もとない。
呆然としていると、黄黄がそっと言つた。
『あのさ、今だから言うけど、あの文、代筆してたの龍仁だよ』
「え」
『俺、前に放りだされた後、また龍仁に見つかって捕まったんだ。
で、頼まれたんだ。
朱音を元気づけたいから協力しろって。
あいつ朱音の母さんの字、知ってたから。
朱音を捕まえてすぐの頃、嶺家に日参してたらしいぜ。
親に頭をさげに。
玉を奪ってしまった責任をとりたいって。
朱音のことは強く育てる。
朱音が望まない限りは妻になんかしない、各種技能は親代わりになって仕込む、だから傍に置くことを認めてくれって』
何それ、そんなの聞いてない。
『皇太子にそこまでされて、嶺家の親は折れたんだってよ。
位にじゃないぜ。
命じて召し上げることだってできる身分のあいつが、誠実に親の許しを求めた。
人柄に折れたんだ。
こいつになら娘を託せるって。
で、花仙の正体がばれて娘に迷惑がかからないように、嶺家の親は自分から国を離れることを決めたんだ』
混乱している朱音に、黄黄が追い打ちをかける。
『龍仁が黙ってたのは、言えば朱音が妙な恩義を感じるからだと思うぜ。
これ以上縛りたくないって。
俺、人間のことよくわかんねえけど、同じ男としてなら龍仁の奴のことちょっとわかる。
だからあんましあいつを恨まないでやれよ。
もう最後なんだし』
確かにあのまま父母の元へ帰されていたら、朱音は邸の奥にひきこもって人間不信になっていた。
優しい父母に甘えて外の世界から眼を背けて、そのうち一人で仙界へ戻っていたかもしれない。
負け犬のように劣等感を抱いたまま、逃げるようにして。
(だから龍仁様は自分が育てると言ったの……?)
憎まれている自分なら朱音の敵愾心を引きだせるから。
周囲に年輩の優しい侍女を配置して、完全な人間不信にならずにすむように配慮して。
罠にかかり傷ついた野生の獣を保護するのと同じだ。
優しく接することで獣が人の匂いを覚えてしまうと、また人里に迷い込んで悲劇が起こる。
それを避けるために龍仁は朱音にわざときつくあたった。
もう人に捕まることのないように。
最初から手元に残すつもりがなかったから。
野に放つつもりだったから。
(意地悪。
やっぱり私のこと、動物扱いじゃない……)
何様のつもり?
勝手にかばったり鍛えたりして。
そして最後まで格好をつけて、全部黙ったまま、憎まれ役のまま別れるというの?
朱音は袋をにぎりしめた。
胸の中が煮えくり返る。
(迎えにくるって言ったじゃない!
噓つき!
大っ嫌い!)
今までにされた意地悪で一番ひどい。
だってここまで世話をしておきながら、今になってどうして手放すの?
(しかも自分の口ではなく、黄黄から言わせるなんて!
これじゃ、面と向かって怒れないじゃないっ。
責任とってよっっ)
しかも今聞かされていることだって、彼の言葉ではない。
黄黄が多分こうだろうと語っているだけ、彼の本当の心はわからないままだ。
黄黄がおろおろしながら朱音の周りを飛んでいる。
『なあ、龍仁の奴が玉を返すのも、きっと朱音を守るためだよ。
だから朱音、泣くなって』
「私、泣いてる……?」
言われて気がついた。
自分は両目からぼろぼろと涙を流していた。
朱音があわてて袖で眼をこすった時、 急に房の外で悲鳴があがった。
何か物が倒れる音、陶器の砕ける音が続いて、あの女人の悲鳴のような声が聞こえた。
「お逃げください、朱音様!」
襲撃!?
朱音と黄黄は顔を見合わせた。
昼に嶺家で襲われた記憶はまだ新しい。
後続の男たちが龍仁の不在を知らずに踏み込んできたのか。
駆けつけようとして、朱音は自分を押しとどめた。
自分がいっても足手まといになるだけだ。
龍仁が賊に襲われた時にわかっている。
(で、でもどうしてこの邸第のことがばれたの!?)
ここを知る人間は、龍仁と佑鷹だけ。
この邸に来る道中は龍仁が注意していた。
蹄の跡は激しい雨が消してくれたし、つけられてはいない。
そこまで考えて朱音は、はっとした。
「佑鷹様だ」
後宮の密偵からの報告を、誰かがにぎりつぶしていたと龍仁は言っていた。
そんなことができる者は限られている。
そして佑鷹の母は、皇太后のもとにいる。
佑鷹は心配していたではないか、人質に取られたらどうしようと。
あの危惧が現実になったのでは。
このことに龍仁は気づいているだろうか。
いや、気づいている。
だからこそ朱音に抜け道とその後の潜伏場所を教えた。
何より玉を返してくれた。
いざとなれば仙界へ渡って身を守れるように。
佑鷹に疑惑を抱きながら朱音をここにおいたのは、佑鷹が皇太后と通じたことを確かめるためか、それとも彼を信じたいと思ったからか。




