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龍仁につれていかれたのは、静かな邸街の中ほどにある、一軒の邸第だった。
外から見ると寂れた小さな邸なのに、門をくぐると奥行きがあって広かった。
内装もきちんと整えられていて、落ちついた感じの年輩の女人が一人、案内に現れた。
「ここは……」
「皇帝といえど忍びで外へ出たい時もある。
たまに使っている邸第だ。
佑鷹はさすがに知っているが、他の者には内緒だぞ、蒼夫人にもだ」
つまり佑鷹以外の側近にも内緒の隠れ家か。
何をやっているのだろう、この人は。
軽く片目をつむってみせる龍仁にあきれつつも見とれてかけて、朱音はあわてて眼をそむける。
最近まともに顔を見ていなかったからか、自分の気持を自覚したからか、どうも龍仁の存在感が増しているように感じる。
一緒にいると平常心をたもてない。
奥へ案内される。
途中で龍仁が、俺はこっちだと顎で示して、朱音を案内の女人に託した。
「世話を頼む。
着替えを用意してやってくれ」
「かしこまりました」
一礼した女人が、朱音を別房に案内する。
私のものですから地味ですけどと言って出してくれたのは、落ちついた秋の楓色の衣だった。
帯と裳の色は淡い黄色。
なるべく若い娘らしいものをと選んでくれたのがわかる、気配りが嬉しい取り合わせだった。
小菊の簪もそえられていたので、久しぶりに朱音は鏡の前に立ってみた。
黒く染めた髪を結おうとして、顔をしかめる。
何をしているのだろう。
朱音は結いかけた髪をほどくと、無造作に束ねた。
龍仁に叱られるから留守番しとく、と、自己申告した黄黄と簪を房に残して、外に出る。
さっきの女の人が待ってくれていた。
「あの、着替えをありがとうございます」
「まあ、そんな、このような古着をあなた様のような方に着ていただけるなんて、こちらこそ光栄ですわ。
陛下がお待ちの房へ案内いたします。
さ、どうぞこちらへ」
まるで身分の高い令嬢にするような恭しい態度に落ちつかない。
龍仁は朱音のことをこの人にどう話しているのだろう。
もじもじしながら歩廊を歩いて、ふと院子を見て驚いた。
一面の牡丹だ。
花の時季は終わっているが、まだ残った葉の形でわかる。
「あの、これは……」
「ああ、後宮から移植した牡丹ですわ。
ある日突然、陛下が庭師をよこされて。
ここは人の耳目を集めてはならないところですのに」
どこか蒼夫人に似た面影のある女人は、ほっこり笑みをこぼして言った。
「陛下にしては艶っぽいことをおっしゃっていましたよ。
大切な思い出の牡丹だから絶対に枯らさないでくれ。
花を手折るのもなしだ、また愛でにくる、とか」
(……牡丹が嫌いだから抜いたわけではなかったの?)
また心がゆれはじめる。
彼はもしかして牡丹を守るために植え替えたのではという考えがわきあがる。
後宮の苑では他の妃たちがいつ花を手折るかわからないから。
それはつまり牡丹を大切に思ってくれているということで。
さっき嶺家で見た龍仁の瞳が脳裏に浮かぶ。
はじめて会った時に見た、彼の熱を帯びた瞳と同じ、いや、もっと熱くて……。
朱音の顔に朱がのぼる。
期待しちゃ駄目と言い聞かせるのに頬の熱さが去らない。
少しも持ち主の言うことを聞いてくれない。
無造作に束ねただけの髪が気になってしまう。
龍仁がいるという房の前まできた。
この向こうに彼がいる。
扉越しに気配を感じる。
朱音の胸がきゅっとうずいた。
どんどん甘くうずいて、息苦しい。
彼に会いたいのに怖くなる。
このまま回れ右したくなる。
「では私はこれで失礼いたしますので、ごゆっくり」
温かい笑みを浮かべて女人がさがっていく。
朱音はそっと扉の向こうに声をかけた。
「あの、龍仁様?
朱音です……」
「ああ、乾いた衣に着替えたか?
なら、入れ」
低い彼の声が心地よく耳朶をくすぐる。
こんなやりとりも久しぶりだ。
体中がきゅっとちぢみあがるのを我慢して中に入る。




