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「その額の瘤、どうなさったのです?
ま、まさか香凜に……?」
瑞鳳宮に戻った龍仁を出迎えるなり、佑鷹が眼を丸くして聞いてきた。
「違う、妙な想像をするな。
それより後宮で妙な病が流行っているのを知っていたか。
俺を支持する者の娘ばかりが罹患している」
「え?
あ、それですか、官たちの寝返りの原因は!?
令嬢たちが貧血をおこした、大事をとって外に出ず琴を奏でているといった報告はありましたが、もしや偽装で」
「皆、病もちでは階位選定にさわりがでると隠していたらしい。
実家からついてきた侍女たちの手並みだろうが、密偵顔負けだ。
さすがは各家、えりすぐりだな」
「騙されました。
さきほども令嬢方のお顔は拝見しましたが、病中とは思えない肌色で。
素晴らしい化粧術です」
真面目な顔に戻った佑鷹が、妙なところで感心している。
「狙った者を病にできるなら、次はお前、いや一族すべてだと言われればさすがに二の足を踏みます。
ですがそんなことが可能でしょうか。
我々が密偵を使って警護していますし、何か盛るにしても、侍女たちががっちり守って毒味ぐらいしているでしょうに。
人には不可能ですよ」
少し考えて、佑鷹がそっと言つた。
「ところでその情報、どこで仕入れてこられたのです。
朱音、ですか」
龍仁は顔を前に向けて歩きだす。
佑鷹がくいさがってきた。
「ということは朱音のところへ行かれたのですね?
目立っては朱音の身が危険と人には禁じておきながら。
いくらずっと会えなくて心配とはいえ、ばれたらどうなさるんです。
というか私の棚からいつの間にか軟膏の壺が消えていたのもあなた様の仕業ですか!」
「軟膏なら返してやる。
お前が使え」
朱音から投げ返された軟膏の壺を佑鷹の手に落とす。
まだまだ小言を言いたそうにしている佑鷹をうながして、衣についた葉くずを払わせて身なりを整える。
「はい、どうぞ。
お預かりしていた冠です。
これで宴の席に戻られて大丈夫ですよ」
「そのことだが。
やはり今夜しかけるぞ」
「陛下? や、やはりあれを?
おやめくださいっ……!」
必死に止めようとする佑鷹に、後はまかせたと言いおいて、龍仁は宴の席へ戻った。
心が高揚している。
朱音に会ったおかげか。
灯りのもとへ姿を現すと、さっそく皇太后の視線と、先帝のひやかす声が出迎えた。
(朱音は無事、宿房へ戻っただろうか)
龍仁は席につきながら考えた。
朱音の去った方角へ眼をやることはできない。
皇太后に気づかれる。
さぐるような眼がずっとこちらの様子をうかがっている。
何も気づいていない先帝が陽気に声をかけてきた。
「香凜はどうした、龍仁。
一緒に戻らなんだのか」
「散策の途中、つかれたと言われましたので、殿舎まで送ってきました」
「なんだ、ならもっとゆっくりしてきてもよかったのに。
なあ、皇太后」
「ええ、そうですわね。
ところで喉が渇いたのではない、龍仁?」
皇太后が背後に立つ女官に合図を送る。
「珍しい薬酒をとりよせたの。
試してみない?」
「そんなものがあるのか?
ではわしも飲もうかな」
「駄目ですわ、これは龍仁に用意したものですもの。
あなた様は別のをどうぞ」
先帝の手をやんわりとおし戻して、皇太后が杯をすすめる。
空気が緊張をはらむのを感じた。
「さあ、龍仁」
酒の香にまじって薬草の匂いがした。
人体にはきつすぎる薬の香が。
皇族のたしなみで耐性をつけるため、多くの毒を口にした経験と勘が、この酒は飲むなといっている。
皇太后が紅い唇をゆがめて、ふふっと笑った。
「どうしたの、飲まないの、龍仁?」
十中八九、何か入っている。
そしてそれに自分が気づいていると、この女は知っている。
それでも艶やかに微笑みながらすすめてくる。
致死性のものではないはずだ。
さすがにそれはない。
こちらが皇太后の最低限の名誉を守らねばならないように、皇太后もこちらの命を守らなくてはならない。
皇太后にとってもっとも扱いやすい駒は実子であり、弱みをにぎる龍仁なのだから。
『龍仁、いいことを教えてあげるわ。
あなたには私しかいないということを』




