30
つくづくゆがんだ親子関係だと思いつつ、龍仁はふと眼を後宮の苑へ移す。
さっき朱音とすれ違った場所だ。
声もかけずに通り過ぎた自分を彼女はどう思っただろう。
遠目にもすぐに彼女とわかった。
地味な衣をまとった端女たちにまじって床に膝をついて懸命に何かをふきとっていた。
だが、いじらしいと思った次の瞬間には、彼女は堂々と腕を振りあげて、『せいせいした』などと逞しく叫んでいた。
そんなに俺がうっとうしかったのかと、平伏する朱音を抱きあげて連れ帰りたくなった。
二人だけの房に連れ込んで、もうあんなことは言いませんと彼女があの紅い唇で誓うまで、徹底的にかまいたおしてやりたくなった。
(だが、口で誓ったところで、手を離せばまた反抗するのだろうな……)
ため息がでる。
彼女に嫌われるように仕向けたわけではない。
ただ自分は彼女に本音を言うわけにはいかなかった。
だから突き放した。
そのつけが今まわってきている。
思いだす。
あれは朱音を連れ帰った翌朝のこと。
朱音が目覚めたと聞いて、生まれて初めて自分の手で花を摘んだ。
両腕いっぱいの花を持って、勇んで臥所の扉を開けた。
なのに喜ぶかと思った少女は、真っ青になった。
後から考えれば花の精である朱音からすれば、切り取った花など仲間の生首の束と同じに思えたとわかる。
だがあの時はそこまで思いいたらず、拒絶されたことに呆然とした。
すぐに誤解を正す言葉をかければよかったのだと思う。
だがあの時の自分はまだ若僧で、はじめて心を動かされた相手を失うまいと必死で、こわばった笑みしかうかべられなかった。
さらにはその後もまずかった。
自分は知らなかったのだ、花仙の伴侶の玉をえるのがどういうことか。
花仙は玉をもつ者が口にする言葉には逆らえない。
だから傍にいろと言えばいてくれる。
単純にそう考えていた。
それが違うと思い知ったのは、もだえ苦しむ朱音を見てからだ。
何も知らずに、『泣くな』と願いを告げてしまった。
言霊をのせて命じられた朱音は、身と心が求めているのに泣くこともできず、心を引き裂かれて床に倒れた。
無垢な箱入り娘だった彼女は自分の心に折り合いをつけられなかったのだ。
あの時の朱音の真っ青な顔を思いだし自分を殴りつけたくなる。
もう少しで自分は大切な少女を殺してしまうところだった。
そしてそのことに気づいた自分は、愚かにも新たなる言葉を発していた。
『泣きたければ泣いていい、苦しまなくていいんだ!』
結果、朱音は新たな言霊にしばられてしまった。
泣いていい、という命令と、苦しまなくていいという命令に。
朱音が苦痛を嫌うのはそのせいだ。
結局、自分は泣いている彼女に、泣くなと言ってなぐさめることもできなくなった。
どうとりつくろっても、願いという名の強制力は彼女の心に負荷をかける。
単純な、座れ、といった一時的な言葉ならいい。
だが心に関わる何かを口にしてしまったら。
わかっているのに自分は彼女に多くのことを願ってしまう。
惚れた相手だからこそ、言葉に心かからの想いをのせそうになる。
だから願いを口にできなくなった。
後悔した。
彼女の玉を奪ったことを。
だが後悔はしても玉を返せなかった。
返せば彼女は去ってしまう。
心に傷を負ったまま。
泣いてばかりの彼女をどう扱っていいかわからず、とほうにくれつつ傍に置いていた。
そんなある日、言霊でしばっていないのに、彼女が泣くのをやめて怒ってくれたのだ。
はじめて真っ向から眼をあわせてくれた彼女にどれだけほっとしたか。
あんなにも怒った顔が可愛らしく思えたことや、怒ってもらえてうれしかったことはない。
愛してほしいとは口が裂けても言えない。
それは自分の本心だから、どうしても言霊をのせてしまう。
彼女に強制してしまう。
だが言霊をのせなくてもこうして向かいあえる道がある。
それがうれしかった。
そして決心した。
不用意に玉を奪い、彼女の心に傷を負わせた責任をとろうと。
愛を求める言葉の代わりに、心の傷を乗り越えられる強さを彼女に贈ろうと思った。
捕えた自分が言うのもなんだが、彼女がもう二度と他の人間の手に捕まらないように警戒心をもたせようと、並の言葉では傷つかないように鍛えようと思った。
そして強くなった彼女が自由になる道を選んだら、あるいは他の男の伴侶になると言ったら。
その時はしょうがない、潮時だ。
玉を返してやろうと自分に誓った。
はっきり言って自由になどしたくないし、自分以外の男を選ぶなど、相手をぶち殺してやりたいくらいしゃくだが、彼女にまたあの蒼白な顔をさせるよりはましだ。
それからは周囲の者に眉をひそめられながらも、朱音にわざときつくあたった。
揶揄する言葉をはき、人とは意地悪な存在なのだと身をもって彼女に教えた。
彼女がおそるおそるこちらを気づかってくると、きつくつっぱねた。
わざと意地悪をするのは正直苦痛ではなかつた。
ぷうとふくれた朱音は花の蕾のように可愛かったから。
新鮮だった。
媚びへつらう者にばかりかこまれてきた身には、真っ向から、嫌、といって逆らってくる小さな彼女がひたすら愛しかった。
強制されない真っ直ぐな言葉も、彼女の眼が自分を映すのも心地よくてたまらなかった。
それに嫌われていたほうがいい。
なまじなつかれでもしたら、男としての自分を抑えていられない。
まだ子どもの朱音にどんな願いを抱いてしまうか自信がない。
囚われたのは自分のほうだ。
嫌われている。
優しくできない。
それでもなんとかして彼女を守れないかと、柄にもなく必死になっている。




