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花の精霊はいじわる皇帝に溺愛される  作者: アルケミスト


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 いったいあれは何だったのだろう。


 清々しい陽ざしが降りそそぐ気持ちの良い後宮の苑で、朱音は雑巾をしぼりつつ、自分が見たものを思いだしていた。


(あの光景は何?

 それにあの糸も。

 どうしてあんなものが人の首に巻きついていたの……?)


 あれから三日がたっていた。


 朱音は瑞鳳宮近くの渡殿を清掃中だ。


 場所が場所なので手早くすませなくてはならない。


 何十人もの端女がうずくまり、せっせと働く姿は壮観だ。


 そんな端女たちにまじって、朱音は自分が見たもののことを考えていた。


 手を動かしながら眼を閉じると、あの時流れ込んできた光景がよみがえる。


 あの悲鳴をあげていた女は確かにここで生き、苦しんだ人だ。


 後宮に閉じ込められて一生を終える切なさ、やるせなさ。


 少しならわかる気がした。


 誰にもかえりみられず、自分がここにいないのではないかと疑う寂しさと恐怖は。


 それは今朱音が感じている孤独だから。


 でも何故あの女は朱音を見ることができたのか。


 あれは遠い昔の記憶ではないの?


 それにあの時に倒れた令嬢のことも気になる。


 あれから彼女の姿を一度も見ない。


 もしかしてあの首に巻きついていた陰の気のせいで、ふせっているのだろうか。


 陰の気の記憶の中の女も、ぐったりしていた令嬢も、どちらも苦しそうだった。


 朱音は苦しいのが嫌いだ。


 人が苦しんでいると思うだけで自分まで心が寒くなる。


 陰の気の記憶にあった女は過去のことだからどうしようもないにしても、令嬢のほうに何かできないだろうか。


 人の眼には陰の気はうつらない。


 原因もわからず苦しんでいるだろう。


 そもそも陰の気が絡んでいるなら他人ごとではない。


 朱音だって襲われた。


 意思などをもたず、宙を漂っているだけと思っていた陰の気が、意志をもったかのように動いていた。


 あんな濃い気にまた迫られたら、自分はどうなるか。


(私、勝手に後宮から出られないから逃げられないし。

 何かしたくても、できることって仙界への道を開けることくらい?)


 仙界には強い陽の気が満ちている。


 道を開けばこちらに流れ込んで陰の気を相殺できる。


 だが今の朱音は伴侶の玉を龍仁ににぎられている。


 龍仁の協力がないと道を開けられない。


 何の抵抗の手段ももたないのは、あの令嬢とかわらない。


 朱音だって危ないのだ。


 どうしよう。


 つい手を止めたら、すかさず叱責された。


「そこの端女、手が止まっているわよ!」


 端女を監督する長がこちらをにらんでいる。


 朱音はあわてて石床にかがみこんだ。


 いろいろ考えることがあっても、日々の仕事は待ってくれない。


 龍仁に命じられた密偵仕事も頓挫したままだ。


 頭が痛い。


 でもとりあえずは眼の前の清掃作業だ。


(でもこのくぼみの底、うまく拭けないのよね。

 皆、どうやってるのかしら)


 朱音が石畳の細かな凸凹を綺麗にできなくて困っていると、すっと影がさした。


 振り向くと一人の端女が水桶をかかえて立っている。


「ここはね、こうやるの」


 端女が水桶に手を入れて、床のくぼみに水をかける。


 そして帯の間から取りだした著に雑巾を巻きつけた。


 細い箸の先が綺麗にくぼみにおさまって、汚れをぐいぐい落としていく。


「ね、きれいにふけるでしょ?」


「本当、ありがとう!」


 しめされた職人技に朱音は眼を丸くする。


 教えてくれた端女は、そのまま立ち去らずに朱音の隣でもじもじしている。


 そのうち思いきったように口を開いた。


「この間はありがとう。

 それにごめんなさい」


 小さな声で言われて思いだした。


 彼女は水たまりをつくって妃候補に叱責されかけた端女だ。


「あの後いじめられたのに私、名乗りでれなくて。

 踏まれた手、血がでてたのに……」


「だ、大丈夫、妃候補の方々のすることを端女がとめられないもの、気にしないで。

 それに手のほうも、あれはあかぎれだから」


 一気に話して、話のたねがなくなる。


 会話が途切れて、なんとなく気まずい。


 無言のまま並んで床掃除をしていると、相手がそっと話しかけてきた。


「ちゃんと掃除もできるのね、あなた」


「え?」


「初めてここにきた時のあなた、すごく綺麗でいかにもお嬢様って感じだったから、警戒してたの。

 気位の高い上級女官で、何かの罰にここに落とされたのかなって。

 そんな人なら嫌な性格かもしれないし、近づかないほうがいいかなって。

 ごめんね、今まで声をかけなくて」


 あなたいい人なのにと笑いかけられて、朱音の胸が熱くなる。


「私は杏佳。

 あなたは?

 あの時名乗ってたけど、私怖くてそれどころじゃなくて」


「あ、白白っていうの」


「白白? 何それ。

 可愛いけど」


 杏佳がぷっと笑う。


 いつのまにか他の端女たちも距離を縮めていて、くすくす笑っている。


 名前だけで笑いをとれるなら、この偽名もいいかと思えてくる。


 お互い小声で話しながら、床を磨く。


 それだけのことがすごく楽しい。


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