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花の精霊はいじわる皇帝に溺愛される  作者: アルケミスト


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 朱音がいつもの頑張る宣言をすると、ちょっとためらうように黄黄が眼を泳がせた。


『あのさ……』


「何?」


『いや、なんでもない。

 朱音はほんと、龍仁にだけきついのな』


「当然でしょう?

 私があの人に優しくできる理由が一つでもある?」


 捕えられた当時の朱音には、四歳年上の龍仁がずっと大きな男の人に見えて怖かった。


 怯えて泣いてばかりいた。


 なのに龍仁は家に帰してくれなかった。


 その一つをとっても自分が彼になつく理由などない。


 そのうえこんな後宮にほうりこまれて連絡もないのだ。


 なけなしの好意も空の彼方に飛んでいった。


「それにあの人、私のことなんかなんとも思っていないもの。

 今だって絶対、気にくわない女端がいなくなってせいせいしたとか思ってるわよ。

 ちょっととぐらい寂しがってくれるかなとか思った私が馬鹿だったわ」


『そっか、寂しがってほしかったんだ、朱音。

 かわいそうな奴』


「何か言った、黄黄?」


『いえ、なんでもありません。

 ごめんなさい。

 だから髪かき混ぜるのやめてくれよ』


 朱音の手から逃れた黄黄が宙に舞いあがりながら、くしゃくしゃになった髪をととのえる。


『でもさあ、朱音を捕まえたころの龍仁ってまだ十六の餓鬼だったんだろ?

 んな大人な対応なんかできないと思うぜ』


「今の龍仁様は二十歳の大人よ。

 だけど大人な対応、できてる?」


『う。

 そ、それは……。

 で、でも朱音が捕まってるの黙認してるって意味じゃ同類の佑鷹のことは嫌ってないじやないか。

 佑鷹だと衣とか贈られても素直に、うけとるのに』


「だって、佑鷹様は龍仁様とは違うもの」


『どう違うんだよ』


 朱音はくちごもった。


 全然違う、だけどうまい言葉が見つからない。


 黄黄が、うわー、理由もなく毛嫌いかよ、龍仁可哀想、俺、はじめて同情したくなった、とか嫌味を言っている。


 反論しかけて口を閉じる。


 本当は自分でもわかってる。


 龍仁は本気で朱音が傷つくようなことはしない。


 理不尽なことをする人だけど、ここからは駄目という一線は守ってくれていた。


 茶を頭からかけられた時も茶は冷めていた。


 それに朱音の反応に心配になったのか、滴の温度を確かめていた。


 贅沢な個室にあふれんばかりの衣装、女嬬とはいえ自分はかなり恵まれた生活をしていた。


 なのに嫌うなんておかしい。


「で、でもやっぱり無理よ。

 だってあの時のこと、私、忘れられないもの……」


 自分に言い訳をするように思いだす。


 あれは龍仁の邸第へ連れていかれた翌朝のこと。


 まだ十二歳の箱入り娘だった朱音は、いきなり自分の身を襲った急変に頭も心もついていかず、怖くて寂しくて、家に帰してと豪華すぎて落ちつかない寝台で泣いていた。


 龍仁の身分も名も知らされていなかったから、いきなり悪漢にさらわれたような恐怖の中にいた。


 とにかく一人で閉じこめられているのが怖くて怖くて、このまま忘れられたら自分はどうなるのかと、誰でもいいから顔を見せてと心細くてたまらなかった。


 あの時の自分は、体が霞のように薄れかけていたと思う。


 幼い朱音がどうしていいかわからずに大きくしゃくりあげた時、閉ざされていた扉が開いた。


 父か母が迎えにきてくれたのかと、朱音はいそいで顔をあげた。


 すると寝台に何か芳しい香のするものを大量に投げ入れられて、乱暴な少年の声がしたのだ。


『これをやるから、いい加減に泣きやめ』


『え?』


 真摯な声には言霊が宿っていた。


 強い言葉の力に涙をのみこんだ朱音が寝台に眼を落とすと、無残にちぎりとられた花々があったのだ。


 折れた茎や花びらが、飛び散る血のように広がっていて……。


『き、きゃああああっ』


 朱音は思わず悲鳴をあげていた。


 花仙である朱音にとって花は同類。


 丁寧に庭師が愛をもってつんだ切り花でさえ胸がつぶれる心もちがするのに、このずたずたにちぎられ、折り曲げられた花はなんだろう。


 ばらばら惨殺死体をほうりこまれたのと変わらない。


(こ、これは泣くのをやめないと、この花みたいに私の首も刎ねてやるって強迫なの!?)


 真っ青になって見あげると、彼がにっと笑った。


 その恐ろしい笑み。


 戸口のところで逃がさないというように立ちふさがっていた龍仁の、口の端をひきつらせたこわばった顔は忘れられない。


 そして、また泣きそうになって喉をひくつかせたときに襲った、体の痛み。


 魂が引き裂かれるような劇痛に悲鳴をあげた。


 苦しみもだえる視界に入ったのは龍仁のあわてたような顔と、駆けつける人々の足音。


 そして龍仁が発した、心に強く響いた一つの言葉。


『っ!……っ!』


 それからのことはよく覚えていない。


 気がつくと朱音は寝台に寝ていて、心配そうにのぞき込んでいた蒼夫人に、失神して熱をだしたと聞いたのだった。


(……嫌な思い出だわ)


 というより嫌な思い出は今も継続中だ。


 彼との暮らしに楽しみを見出していたかもと、自分の気持ちに気づいたところだからよけいにむかむかする。


 新たな心の傷になりそうだ。


 顔をしかめて外を見た朱音は、陽光の角度が変わっていることに気がついた。


「あ、大変、着替えるだけなのにずいぶん時間かけちゃった、早く行かないと」


『……それだけ痛めつけられてもまだ仕事に行くんだ』


「だって。

 私、端女としてここにいるんだもの」


『別に朱音がなりたくてなったわけじゃないだろ。

 どうしてそこまで一生懸命になるんだよ』


 ちょっと考えて朱音は眼をまたたかせる。


 本当、どうしてだろう。


 龍仁にも似たことを聞かれた。


 自分でもよくわからない。


 妙な焦りが胸をせっつくのだ。


 はやく何かしろと、息苦しくなるほどに。


 この焦りが何かわからない。


 わからないけど、とりあえずの答えをだす。


「衣も食事にも不自由はないわ。

 なのになまけたらいけないから、じゃないかな……」


 ここですねてなまけては本気で役立たずの飼い猫になってしまう。


 それは嫌だ。


 きっちり働いて衣食主の分を返して、それから龍仁に逆らいたい、そう思っているからだと思う……多分。


 やっぱり自分でもよくわからない。


 朱音は首をかしげながら、外へでた。


 外は陽が傾いて、もう黄昏時だった。


 まだ手元が見えるうちに清掃を終えてしまわなくては。


 床をふくのに灯をつかうなんてはさすがの皇城でも許されない。


 それに夜は陰の気がのさばる時刻だ。


 朱音は急ぎ足で、端女の皆が先に向かっている殿舎近くの苑に向かう。


 夕方のこの時間は三々五々に苑に散って、いたるところにある瀟洒な四阿や楼の清掃をすることになっている。


 朱音が半ば駆けるように歩廊の角を曲がった時、殿舎の陰になった池の畔でさわぎがおこった。


「しっかりなさってくださいませ!」


「誰か、医官をっ」


 侍女たちがさわぐ声が聞こえる。


 どうやら散策をしていた妃候補の令嬢が倒れたらしい。


 貧血でもおこしたのだろうか。


 侍女たちに抱えられるようにして運ばれてくる。


 朱音はあわてて歩廊から降りて平伏した。


 その前を、令嬢を抱えた一団が通りすぎていく。


 その時、ぞわりと朱音の背筋に冷たいものが走った。


 反射的に顔をあげる。


 ちょうど意識を失った令嬢の体が通りすぎるところだった。


 抱きかかえた侍女たちの隙間から、令嬢のぐったりと垂れた顔が見える。


 硬く眼を閉じ、真っ青になった顔。


 そしてその細い首筋には、うねる黒髪がまとわりついていた。


 いや、違う。


 髪ではない、糸だ。


 蜘蛛がつむぎだしたような細い、あえかな糸。


 でも黒い。


 闇が凝ったような糸は、令嬢の折れそうに細い首に巻きついて、ゆらゆらとゆれていた。


 ぞわりと肌の上を何かが這いまわるような感覚に、眼が離せなくなる。


 その時、糸が風になびいたかのように朱音の頬にふれた。


 とたんにびりっと痛みが走る。


「きゃっ」


 思わず悲鳴をあげて身を崩す。


 手でおさえた頬から伝わるのは、痛みではなく感情だった。


 ふれたのは一瞬なのに、深い絶望と焦りの念が朱音の胸に流れこんでくる。


 嫌、このままだと私はっ。


 なんとか、なんとかしないと……!


 あまりの激しい焦りと恐怖に、朱音の自我が押し流される。


 意識と姿勢をたもっていられない。


 そして見開いた朱音の眼に、ここではない、どこか違う光景がうつった。


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