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朱音の主、龍仁は、今年二十歳になる。
巷での彼の評判は、
「美貌をうたわれた母后ゆずりの端正なお顔は、怜悧でいて品のおありでみとれるほどよ」
「そうそうお体も鍛えられてしなやか。
四肢の先にいたるまで無駄なく張りつめた筋肉が凛々しくて。
皇帝となるべくして生まれた公子とはあの方のことね」
「しかもひと月後には父帝の譲位をうけて、新皇帝に即位なさるのよね。
文武にすぐれ、民にも公平で誠実なお方だもの、きっといい世の中になるわ」
だ、そうだ。
近隣諸国の王も龍仁には一目おく。
表向きは完璧だ。
確かに彼は皆に寛大で理知的、噂どおりだ。
だが例外がある。
それが朱音だ。
朱音に対する時だけ、彼の態度は他とまったく違う。
いつも気まぐれで自分勝手。
朱音が一生懸命言いつけられたことをしても満足してくれたことがない。
というよりいじめる。
やることなすことすべてに嫌味を言う。
だからこの不機嫌も女嬬の不手際を見つけたというより、朱音への意地悪かもしれない。
龍仁が眉間にしわをよせたまま馬を降りる。
あまりの表情に何事かと恐れおののく供たちをおいて、彼は朱音のほうへつかつかと歩いてきた。
迫力におされて朱音はつい後ずさる。
壁に背がついて逃げ場がなくなったなと思ったら、龍仁が腕をだんっと朱音の頭上に打ちつけた。
「きゃっ」
朱音は盆を手にしたまま固まった。
軽く曲げた腕を背後の壁につけた龍仁が、朱音をのぞきこんでいる。
駄目、完全に捕まった。
おおー、壁どんだ、という羨望をはらんだ男の声が周りから聞こえたが、そちらを確認する余裕がない。
他の視線をさえぎるように、龍仁のもう片方の腕も朱音を囲い込んでいる。
こちらを見おろす男らしい顔が端整すぎて心臓に悪い。
(い、いきなりなんなのっ。
新手の嫌がらせ!?)
膝が砕けそうになりながらも、朱音は踏みとどまった。
これがいつもの意地悪なら負けられない朱音は龍仁に仕える女嬬だが、彼に屈服できないわけがある。
朱音は冬の山中ではぐれ熊と遭遇したような決死の心で龍仁に対峙した。
「お、お戻りなさいませ、龍仁様。
お茶の用意ができております」
「……この期に及んで出迎えの挨拶をする女嬬根性は褒めてやるが、何故お前が馬場にいる。
俺は内廷から出ることを許可した覚えはないぞ」
「え? でもお茶をもって真っ先に出迎えろと……」
「馬鹿かお前は。
こんな男だらけのところへ一人で出てこいと命じるわけなかろう!
だいたい茶だと?
この湯気も立っていない冷めた代物のことか?
俺の好みはもっと熱い茶だ、いい加減に覚えろ。
それにその趣味の悪い衣はなんだ、俺が与えたものではないな。
さっさと奥に戻って着替えてこい!」
言うだけ言って龍仁が背を向ける。
朱音は呆然とした。
「……つまり私の出迎えのすべてがお気に召さなかったということですか?」
なんだか物悲しい。
相手に良かれと思ってやったことが空回った時ほどむなしいことはない。
周囲の男たちからも妙な視線を感じる。
生温かく見守る、憐みを含んだ視線というか。
普段の龍仁の朱音への扱いを知らない彼らは、朱音が何か失敗をして叱責されたと思っているのだろう。
朱音の中で何かがぶちっと切れる音がした。
主の理不尽にもにっこり笑顔で耐えるのが女嬬の務めだ。
だけど、
(こんな扱い我慢できるわけないじゃないっ、衣やお茶だって本当に気に入らないのじゃなくて、難癖をつけてるとしか思えないもの!)
今着ている薄桃色の衣はとても可愛くて、趣味が悪いとは思えない。
お茶だって熱いものをもってくれば、俺はぬるいのを持ってこいと言ったはずだと怒っただろう。
どれだけ頑張っても彼は朱音を認めてくれないのだ。
悔しくて哀しくて泣きそうになる。
でも泣いてなんかやらない。
彼に女嬬として仕えて四年。
その間につちかった負けん気をだして、朱音は龍仁の広い背をにらみつけた。
手は盆でふさがっているから、蹴り真似を入れて報復しやろうと片足をあげたら、龍仁が振り返った。
はっ、まずい。
片足をあげたまま固まった朱音を、龍仁があきれた眼で見おろす。
「なんだ、その足は。
報復のつもりか?
もう十六になったというのに、子どもか、お前は。
だいたい何故まだここにいる。
俺は奥に戻れと命じたはずだぞ?
一人では戻れないのか?」
嫌味ったらしくため息をつくと、龍仁が朱音の持つ盆を奪った。
傍らにいた側近に渡す。
そして朱音のほうへ腕をのばした。
「きゃっ」




