13
龍仁から宣告されてひと月後。
いよいよ朱音の後宮入りの日がきた。
晴れ渡った秋の青い空の下、朱音は白銀の髪を黒く染め、私物の包みを背にしょって、高い城壁を見あげていた。
「ここが、皇城……」
ぐるりと四方を黄に輝く石組みが囲んでいる。
(前に父様についてきた時は夜だったし、苑しか見なかったもの。
改めてみると大きい……)
正面にそびえる豪壮な宮殿の数々。
反り返った黄の甍に、林のようにどこまでも整然と並ぶ紅の柱。
まっすぐに伸びた石畳の道や瑞雲麒麟の彫刻を掘りこまれた階の欄干は、磨きぬかれてまばゆいばかりだ。
元の邸第も皇太子の宮だけあって大きく美しかったが、皇城は規模が違う。
そして広い路や歩廊のあちらこちらを、冠や大佩をつけた官吏や鎧に身を固めた武官たちが、忙しそうに行き来していた。
大人の世界だ。
子どもの居場所などどこにもない。
龍仁はここの主になったのか。
女嬬をつれていけないと言った意味がわかった気がする。
彼は皇帝に即位した。
公の人になってしまったのだ。
呼び方も〈殿下〉ではなく、〈陛下〉になってしまった。
竜や鳳凰、雲の彫刻に飾られた階のはるか上、皇城の頂点、文字通り雲の上の人になってしまったのだ。
一瞬、朱音の胸をかすめた感情は何だろう。
不安?
孤独?
急にあの大嫌いだった意地悪な表情さえもが、懐かしく思いだされてきた。
後宮での偽名に、〈白白〉などと、猫の子かとつっこみたくなるような名をつけた意地悪な主だというのに。
「朱音、あ、いえ、〈白白〉、本当に一人で大丈夫ですか?」
元の邸第で侍女の長をしていた蒼夫人が、心配そうに聞いてくれた。
「陛下にも困ったもの。
私たちは全員そのまま陛下の御座所に召しかかえられるのに、どうしてあなただけ。
……まあ、しかたないことかもしれませんけど」
しかたないことって何?
朱音は首をかしげたけれど、通路の真ん中で立ちどまって聞くわけにもいかない。
今日は他にも引っ越してくる者が大勢いる。
邪魔になってしまう。
蒼夫人に従って歩いていると、高い塀の向こうにそびえる宮殿群を指さされた。
「あなたがこれから暮らすのはあちらですよ、白白」
「え?」
さされた方向を見た瞬間、嫌な予感がした。
よくない気が渦巻いているような。
いや、予感ではない。
花仙である朱音の眼には、はっきりと見える。
指さされた方向の奥、高い塀に囲まれた一画の上空に、不気味な黒い影が漂っているのが。
陰の気だ。
陰陽で構成された人界で、負に属するおぞましい気。
普通の人の眼にはうつらない陰りが、花仙である朱音の眼にははっきりとうつる。
陽の気を好む花仙は陰の気が苦手だ。
というより大気を漂う気が凝って生まれる仙は、人より〈自分〉を認識する心が、うすくて、強い気の影響をうけやすい。
こんなどろどろした気にとりこまれたら、そのまま心を喰われて消滅してしまうかもしれない。
ごくりと息をのむ。
子どもの頃に来た時は気づかなかったのに。
「あの、まさかとは思いますが、あちらが後宮なんてことは……」
「まさかではなくあそこが後宮ですよ。
どうかしましたか?」
「あ、あの、なんだかどろどろ陰気な気配がするような気がして」
「ああ、あるかもしれませんね。
あそこは女の怨念が渦を巻いているところですから」
蒼夫人が、ほほほ、と、上品に笑うが、朱音はそれどころではない。
(あ、あるって何が)
しかも後宮を囲むこの高い塀と狭い門。
こんなところに閉じ込められては何かあっても逃げられない。
手放すつもりはない、一生飼い殺しだと言った龍仁の言葉を思いだした。
(だまされたの、私。
仕事なんか口実……!?)
ついでに書庫番の老人から借りた後宮について書かれた本のことも思いだす。
さがしておいてあげるよと言われて、後日届けられた〈実録・後宮夜話全十巻〉は悲惨だった。
紙をめくるたびに朱音は悲鳴をあげて、げっそりやつれた顔で朝を迎えた。
(確か一度も皇帝に会えないまま幽閉されて、心を壊してしまった妃の話があったわよね。
他にも主の機嫌を損ねて北牢に閉じ込められたまま忘れられて、誰に知られることもなく死んでいった老婆の怨念が人面の染みになって残ってるとか……)
ぞくりと背筋が粟立つ。
(嫌っ、こんなところ、入りたくないっ)
でも入るのは決定事項だ。
前へ進まない朱音を、後宮の門番がけげんそうに見ている。
(だ、駄目、前向きにならなきゃ。
後宮にだって無事、抜けだせた成功談がないわけじゃないんだからっ)
好いた男と引き離されて後宮に入れられたけど、すぐに皇帝が崩御して自由になった妃の話や、身分が低い女官の身で皇帝に見初められて国母になり、無事隠居して離宮にひっこんだ女人の話や……。
(……全部、皇帝しだいな話ばかりだったけど)
朱音の場合、龍仁に死なれるわけにはいかない。
へたに彼が死んで周囲の人に玉を捨てられでもしたら終わりだ。
そして朱音が彼の寵愛を受けるなどありえない。
他に心を勇気づけるものはないかと考えて、龍仁とはじめて会った牡丹の苑を思いだした。
一面に広がる牡丹の花。
幼い頃に一度見ただけど、あの美しさは忘れられない。
今はもう秋で花は咲いていないけど、あの場所が同じ後宮内にあると思えばなぐさめられる。




