第7話 夫婦
「お、おい姉ちゃん...! 急にどうしたんだよ..いきなり全速力で走りだすとかっ、殺す気かよっ!」
「死なないくせに何言ってるのかなリリィちゃん?」
「それは、そうだけどっ...! そういう話じゃないだろーが、バカ姉!」
突然レストランの入り口の扉が勢いよく開き、二人の少女が入ってくると、その場でこの喧嘩のようなものが始まる。
「ん? リリィって言ってなかったか?今」
俺は確かにその名前を聞いた。
俺の隣に座るルリルとアイザは怪しげな笑みを浮かべながら、
「来ちゃったねールリルちゃーん」
「そだね、来たねーついにー」
「何笑ってんだお前らは」
「ほらほら、早く行くよ、レン」
「い、行くってなんで俺が...ちょっ...」
二人は立ち上がって俺の手を引いて店の入り口――リリィとその隣に居る謎の少女のところに連れていく。
「おやおや?」
「あ? はっ! お前はっ――」
桃髪の少女とケモ耳のフードを被った少女が俺に気づいてそう反応する。
「やっぱりお前だったか、リリィ」
「えーとなんだっけお前、レン、だっけか?」
「そだよ」
「きっしょ」
「なんでぇ!?」
やはり俺はリリィに嫌われているのかもしれない。
「ね、姉ちゃんもしかしてこんな奴に会いに来たってのか? やめてくれよ気持ち悪い...」
「まぁまぁリリィちゃん、レンはそんな悪いやつじゃないから大丈夫だよー」
「お前はこいつの何を知ってんだ!?」
「まぁ、リリィのことはいいんだが...それで、お前は何者なんだ? 服からして白聖騎士団ってことは分かるが...」
ケモ耳のフードのついた白いローブにだぼっとしたズボンに身を包んでいて、首に俺と似たような首飾り...いやほぼ同じ首飾りをぶらさげる少女が、俺の質問にその場で一回転してから答える。
「アルルちゃーん私はねぇー! 白聖騎士団の団長の、シャナ・メルディス・ロジェスタだよー! 十数年ぶりだね!」
「だーかーら! 天界に居た時の話されても分かんねぇから初対面ってことにしてくんないかな? いい加減!」
何人にも久しぶりと言われて、俺は相手を知らない状況の気まずさは消えるものじゃない。
「もぉー排他的なんだからーアルルちゃんったらぁ! じゃぁ私のこのフード、取ってみてよー!」
「はぁ? フード?」
シャナと自称する彼女は自分のフードの先を持って揺らす。
「髪色で何かわかっちゃうかもー? ほれほれーい」
「あぁもう分かったっての! 取りゃいいんだろ? 取れ.....ば......?」
俺はしつこい彼女の命令に従いそのフードをばっとめくって。
そこから見えたものは――ケモ耳の生えていない、少女の髪。
しかもそれは俺と同じく蒼髪で――
「...俺と...同じ?」
眼の色といい、髪の色といい、よくみれば同じだったのだ。
「アルル」
その少女の無邪気な笑顔が、俺の名を呼んだ途端、消えた。
シャナの笑みが凍りつくと声が――まるで別人のように重く、低くなった。
「アルル・レンヴェル」
その名を、俺は知らなかった。だが、心の奥がざわめいた。
「....はぁ...?」
「これが君だよ、アルル。そんな姿なんか捨てて、早く戻って来い。レンとしてのお前を捨てろ」
「ちょ....お前さっきから何言って....!?」
彼女はぐんと俺の目の前にまで近づいてくる。そして胸ぐらを強く掴まれてそのまま、
「――!?」
ドン、と少女に強く突き飛ばされた。
彼女はバランスを崩した俺の体を馬乗りして押し倒す。
その少女は何も言わぬまま、俺の胸に手を当て始める。
「な、なにやってんだお前...!!」
「.....」
少しして、シャナの胸元にある首飾りが淡い光を放ち始めた。
すると、俺のつけている同じ首飾りが、その現象に共鳴するように光を放ち始める。
その様子を見ていたリリィが俺の上に乗るシャナを思いっ切り蹴飛ばした。
「おいバカ姉! 何してんだ!!」
シャナがレストランの窓ガラスを突き破り、外にまで吹き飛んだ。
「いててて。あれれー? リリィちゃん、どうして私の邪魔するのー?」
空中で態勢を整え、浮きながらシャナが言う。
「なんでって、お前....今自分が何しようとしてたか分かってんのか!?」
リリィが彼女を追って外に出た。
俺らや白聖騎士団の数名も彼女に続いて外の様子を伺いに出た。
「何? 何って、ただ全てを忘れちゃったアルルの記憶を全部蘇らせようとしてただけだよ?」
シャナがそう言いつつゆっくり降下して芝生に足をつくと、手で空を切る。
するとそこから大剣が形成され、それを右手でがしっと掴む。
その小さな体に似つかぬ大きさの大剣を片手で持つ彼女にただモノではない力を感じた。
「....やる気か? 姉ちゃん」
リリィはそれに対抗するように、腰に納めている双剣を取り出し、彼女に向ける。
「死んだらどこに戻されるか、リリィちゃんなら分かるよねー?」
「からかうのも大概にしろ! わざと負けて元の姿に戻りたいだけだろうが! なら自分一人で、魔力でも暴走させて死んでくれよ! いちいち私を巻き込むんじゃねぇ!」
そう二人が会話しながら、剣闘をし始める。
剣同士が擦れ、弾き合う音が絶えず響く。
リリィがシャナの大剣に双剣を強く押し付けて、力勝負になったところで、
「バレてたかぁー...じゃあ仕方ないなー」
シャナはリリィを双剣ごと弾くと、持っていた大剣を地面に落とす。
それは一瞬で光の粒子に分解され、消えていった。
彼女は手を前に出すと、瞬時に手のひらサイズの大きめの黒い球を作り出す。
「マクトリア・フェルメ・ミズル」
「マ、マクトリア...!?」
シャナが詠唱したその言葉に聞き覚えのあった俺は記憶を辿って行った。
結果それは、カティが教えてくれた、珠玉大魔法のことだと思い出す。
シャナの方へ視線を戻すとそこには彼女の頭の大きさほどの黒い球が掌に浮いていた。
「うぅぅぅー....!」
シャナがそれを自分の胸元に力いっぱい押し当てると、彼女が痛みに喘ぐ。
その球は徐々に彼女の体内に入り込んでいくと、すぐにその全てが体内に吸い込まれるように入っていった。
「──レピシア」
ルリルがふとそう呟いて手の平をシャナの方へ突き立てると俺らとシャナを区切るように半円状の赤い結界のようなものが出来上がった。
その次の瞬間まばゆい閃光が俺らの視界を隠し、遅れて爆発音が耳をつんざく。
俺らはルリルがとっさに張っていた結界によってアルトリアにも、周囲に居た人たちも無傷だったが、シャナの居た場には下に大きく穴が開いて、地中がえぐれ見えていた。
「...すげぇ威力...だな」
突然の出来事に俺は何を言うこともなかったが、
「ったく、もっと被害少ねぇ死に方できねぇのかよ...」
リリィがそうシャナに愚痴ると、ルリルの方を見る。
「ルリル様も大丈夫か?」
「うん、ボクは大丈夫だよー」
「流石女王様だぜ、あの爆発をこれだけに治めるなんて、アタシにはできそうにないぜ...」
「女王様を舐めるなってことだね」
確かに。
これだけの大穴の開くほどの爆発。
ルリルが防いでなければきっと俺ら全員消し炭だったろう。
「まぁ、あの人のことだよ。ボクが防ぐことまで先読みされてた」
「どこまでも迷惑な姉ですまねぇな」
そういって、リリィが穴の方に体を翻す。
「そろそろだな。はぁーあ、めんどくせ...」
そうめんどくさがりつつ穴の端で前かがみになってしゃがむ。
すると、背中に紫色の光が集まりだすと、徐々に黒紫色の翼が形作られる。
「お、お前それって――!?」
「んあ? どうかしたか?アルル」
「いきなりその呼び方に変わるのかよ...」
「いい加減、他人のフリも疲れたからな」
リリィの翼は、今まで見た翼とは違っていて。
「お、おい、リリィ...」
「んぁー?」
白翼ではなく──黒翼で。
「なんでお前の翼は黒いんだ?」
「...アタシはこう見えて堕天使だってことだけ伝えておくぞ」
「堕天使...?」
「あぁ...ちっと前にゼウスと戦争起こして負けちまったからな~」
「ゼウスと戦争....なんで勝てると思ったんだよ」
全知全能の神と称される最強に等しい神相手に戦争を引き起こしたって、勝てるわけないだろ。
そんなことを思っていた俺にアイザが言う。
「勝つことがすべてじゃないんだよ、アルルー」
「そうなの、か?」
「...まぁ、そんなことは後でもいいとして。とにかくルリルちゃん、私たちもなろっか」
「そうだね、アイザ」
二人は完璧に意思疎通ができたようで頷き合う。
「は? 何する気なんだ? お前ら」
俺がそう彼女らに尋ねようとするとリリィから、
「アルル、黙って見ていろ」
と制止される。
「あ、はい」
堕天使といえども、魔力らしきものが彼女にあることを感覚で感じれていた俺はそれ以上彼女に背くことなく、彼女らの行動を静観する。
その魔力らしきものが天力とルリルが呼んだものなのかは分からないが。
「アイザ」
「ルリちゃん」
アイザとルリルが互いを向きながら両手を胸元で繋ぐ。
二人は目を閉じながら徐々に顔を近づけていく。
「んな!?」
俺は二人の唇同士が触れ合うことを危惧しそう声を発した。
「...黙ってろって...」
「あ、すいません...」
案の定二人の唇は触れ合い、目を開けて微笑むと、その場で身を翻し空へ舞った。
そこからは自重落下しつつ、手を再び繋ぐとそれを思いっきりお互いが押し出し手を放す。
そのまま空中で前かがみになり力む様子を見せると、二人の背中からも翼──とは言ってもリリィと違い白翼だが──が生えた。
翼の生えた二人が一度大きく羽ばたくと、急降下し、地面すれすれでふわっと浮いて着地する。
いまだに穴からは砂埃が立っている。
二人は穴の方を向き、さっきのリリィと同じようにひざまずく。
リリィもそれを見届けて、再びその穴に向き、ルリルとアイザの間に跪く。
穴に向き、静かにそれを見続ける不気味な三人の大天使──否、二人の大天使と一人の堕天使が前に向いていた目線の先を同時に真下に変える。
と。
「ッ──!?」
突如その穴から立つ砂埃が一気に空中へ放出される。
その空に漂い始めた砂埃の中にうっすらと浮かび上がってきた人影。
その人影がふと動くと、それを取り囲っていた砂埃が四方八方に霧散し、その身をあらわにした。
それと同時に、三人が彼に向かって叫ぶ。
「「「おかえりなさいませシャルル様」」」
「ただいま。聖皇都」
リリィ、アイザ、ルリルが崇拝するその人物に目を凝らしてみる。
白いスーツを着る青年の蒼と白の混じった髪が風によりなびいている。
彼の双眸は綺麗な蒼を反射する。
それに加え高身長で、顔がとても整っていて、どこか少し俺に似ているなと思いつつ、彼を見ていた。
いや、似ているのも当然か。
何せこの人は、元シャナであるこの男は。
「お前が――シャルル、か?」
俺は彼に問う。
「あぁ、俺はシャルルだよ。やっと会えたな、アルル....ざっと十三年ぶりってとこか?」
彼は静かにそう答える。
「俺は...お前の本当の父親の、シャルル――いや、シャリエルだ...。まだ、思い出せは...しないよな」
彼は俺の近くにまで飛んでくると、目の前に立つ。
すーっと、爽やかな香りが香った。
「思い出すって言っても、あの頃お前五歳だったもんな...思い出せることなんかあんまないか...」
「....まぁ、そうだな」
くすっと、小さく笑うシャリエルと名を改め名乗る俺の父は、俺の頭にその白い手の平を置くと、
「それにしても、大きくなったなーおぉい! こんな立派な男に育ちやがって、志保に感謝しねぇとな」
髪をぐしゃぐしゃと撫で始めた。
俺はその手を払いのけて、
「んあー! そんなに髪撫でんな!」
というと、彼は一瞬驚いた顔を見せると、
「ごめんな、アルル...本当は、俺とルシが育てるべきだったのに、結局連れ戻せずじまいで、お前に会うのすらこんな遅くなっちまった...」
「...お、俺は大丈夫だ――」
「もう俺のこと、親なんて思えないよな」
俺の言葉の後に懺悔のようなものを言う。
「本当に、ごめんな...」
記憶には残っていなくても、この人が俺の親であることは事実だ。
そんな親に育てられず、赤の他人に育ててもらった身だが、俺の父は目の前に居るこのシャルルのみだ。
だから、俺は彼を父さんと。
だから、彼を父親と認めているのなら、俺には父さんと呼ぶ権利はあるはず。
俺はそう思い、彼の謝罪に対して答えるように言う。
「やめてくれよ――父さん」
シャルルは俺に父さんと呼ばれたのを疑うかのような顔をしたが、すぐに認め、優しい微笑みを浮かべると、
「....お前....俺のことを父親と、認めてくれるのか...?」
「あぁ、もちろんだ。まだ、俺の記憶には父さんとの過去も、母さんとの過去もないけど、それでも俺は二人から生まれた息子、だろ?」
俺がそう言うとシャルルは目じりに雫を滴らせながら、思いいっぱいに俺を抱きしめる。
少し苦しかったが、それが父さんからの愛情と考えると気にならなかった。
「あぁ、そうだな...! お前は、アルルは、俺とルシだけの息子だ...! そうだ、そうなんだよ...!」
「そうだぞ、俺は父さんたちの息子だ」
俺を抱きしめる彼が俺から離れる。
すると、彼は堕天使化したリリィの方を向き、彼女を指して言った。
「お前を産んでくれた人にも、挨拶しときなよ、アルル」
「俺を...産んでくれた人?」
俺もシャルルの視線の先を追う。
俺とシャルルの目の先で、跪き、下を向いている堕天使。
彼女はすっと、顔を上げると、俺と目を合わせながら立ち上がったのだが。
「!? お、お前、いつのまにそんな姿に!?」
ついさっきまで少女のリリィの姿だった彼女は――長い桃髪が腰下まで伸びていて、桃色の目が俺を見据える。
体つきも顔と合わせていっそう大人っぽくなり、リリィの時にはあまりなかった胸の膨らみも豊満に膨らんでいた。
シャルルとの話に集中していたためか全く気付かなかったが、いつのまにやらリリィも...。
「久しいね、アルル」
リリィとは全く似つかぬ優しく甘い声でそう彼女が言った。
俺の驚きには目もくれず、くすっと笑みを浮かべるその少女――いや、少女とはもう呼べない、大人なリリィの姿がそこにあった。
「俺を...産んだ人....?」
「ふふっ、そうだけど、覚えてないわよね~」
「うっ...ごめん...」
「いいのいいの。生きてくれてただけで...こうして会えただけでも、私は嬉しいわ、アルル。私の、可愛い....可愛い、子――」
「ルシフェル!!」
俺の謝罪に対して首を横に振り、彼女は立ち上がったが、その体が斜めに傾き倒れかけたのをシャルルが支える。
「あんま無理するな! ただでさえお前は...俺のせいで天力がないんだから...!」
「あなたのせいじゃないのよ。あれは私が勝手にしたことだもの...そんなに抱えこまなくていいわ、シャルル」
「ルシフェル...」
「ごめんなさい、シャルル。けど、アルルを抱きたいの...」
「......そうか」
ルシフェルと呼ばれる俺の本当の生みの親である彼女は、シャルルの支えをはね、自力で俺へと歩みを進めだした。
そして、俺の目の前にまで来ると、そのまま俺を抱きしめた。
いや、それは抱きしめたというよりは、俺に倒れこんだという方が正しいかもしれないが、俺に体重のほとんどをかけてくる母を抱き返し支える。
「ッ――」
俺が力む姿を見てか、ルシフェルは俺に言った。
「あら、重かったかしら...ごめんなさいね...」
「そんなわけない...むしろもっと太ってもいいくらいだ...」
彼女はさっきからの様子を見てからも、会話からしても、きっと天力がないためにこの世界では歩くことはおろか、存在するだけでも苦痛なのだろう...。
ルリルが言っていた上界での天使の姿は大量の天力を消耗しているのは本当だった。
そのためか、彼女の体はあまりに軽かった。
体感的に、小学生を抱き上げているほど。
そんな彼女にそう問われ、答えると、
「ふふっ、なに顔を赤らめてるのよ、アルル...もしかしてお母さんに抱かれてることに照れてるのかしら?」
「....ちげーよ」
「あらそう~?」
そう言うと彼女は俺を抱く力を強め、さらに密着する。
腰の上あたりに柔らかな何かの感覚が感じれたが気にする暇はなかった。
俺も、母さんである彼女を抱き返すのに集中していたからだ。
十数秒後、彼女はふと俺から離れる。
「もう、いいのか?」
「あら? もっとあぁして欲しかったの? 甘えん坊は今も変わってないのね~」
「別にそういうんじゃねぇ!」
「はいはい、わかってるわよ。でも、私はそろそろ限界かしら...」
ふふふと笑って、ルシフェルは夫であるシャリエルに身をゆだね、俺に向かって小さく手を振る。
「またね、アルル。次会うときは、私たちの故郷で会いましょう」
故郷、それはおそらく俺が天界に居た頃、両親とともに住んでいた場所。
俺はまだそれがどこなのかは知れないが、
「あぁ。絶対逢いに行くよ」
とそう答えた。
「さようなら、ありがとうね。あなたに会えて本当に嬉しかったわ。それじゃぁ、シャルル、行きましょうか...」
「あぁ、そうだな」
シャリエルとルシフェルはルリルとアイザを向くと、それぞれの名を呼んだ。
「「はい!」」
「アルルを頼んだぞ。俺はルシフェルの面倒を見ないといけないから....」
「「承知いたしました」」
天使化した二人はいつもとは違う調子でシャリエルとそう会話をする。
シャリエルとルシフェルは体を翻して白黒の翼をそれぞれ羽ばたかせた。
「「アディオス」」
そう別れの言葉を置いてバサァっと大きく羽ばたかせるみと、シャリエルが右手で空を切ると、そこにひし形の青黒いゲートのようなものが開いた。
二人がその中に消えると同時にそれは閉じた。
気が付けばもう夕日が雲を赤く透かして空を染めていた。
周りにいたはずの白聖騎士団の団員らももう自室に戻ったようで、アルトリアには誰もいなかった。