第3話 なくしたもの
「いったたた....」
ソルハに首をぶたれたためか、痛む首を押さえながらベッドから体を起こす。
隣を見るとカティが椅子に腰掛けて俺を見つめていた。
「...おはようございます、レン様」
「んーおはよ、ってどうかした?」
カティはいつもなら微笑みながら言って来るのだが、今朝はそうではなく、暗い顔をしていた。カティは下を向いて黙る。
朝一番に微笑みを向けてくれるカティがここまで暗い顔を俺に見せるのは初めてのことで少し戸惑う。
...まぁ何かあったんだろう。
「俺でよければ、何があったか聞くだけでもしてやれるぞ?」
ばっと顔を上げたカティだったが、すぐに下を再び向いてしまった。
「はぁ...ったく」
俺は立ち上がって、ベッドのすぐそばにある椅子に座るカティの赤髪を撫でる。
「何があったか俺にはわかんねぇが、カティが━━ッ!?」
「......レン様」
カティがバタッと立ち上がり、椅子が後ろに音を立てて倒れる。
「....ちょっ...か、カティ...?」
カティは俺の胸に両手を添え、額を押し当てると、そのまま体重をかけてくる。
「ちょ、か、カティ、それは...っ!?」
俺はカティの体重による負荷のためにベッドに背中から落ちた。
俺の上に覆い被さるカティの熱が肌を伝って感じられる。
「うぅ....」
「...カティ...?」
「うわぁぁぁぁん! うっ...うっ...うぅぅぁ....うわぁぁぁ...!!」
大声で泣き出すカティの黒と黄の瞳からぽつぽつと大粒の涙が零れる。
「ど、どうしたんだカティ! ほんと大丈夫か!?」
「ごめん...っぐ、なさい....! っ...レン様...でも...泣かせて欲しいのです....今だけは...。私はあなたが“レン様”でなくなるその時を、見たくないんです…!」
「は? どういうことだよそれは」
嗚咽混じりにそうカティが言う。
「...カティ...?」
「レン様が、レン様であるうちに、レン様としかできないことをどうかお許しください。恐らく貴方はあっちへ行ってしまうと、もう帰ってくることはないのでしょう...だから、私がこうしてレン様のメイドで居られる今のうちに、こうしてレン様の胸の中で、泣かせて欲しいのです...」
カティの熱のこもった吐息が生温かく胸を刺激する。俺の着ている白いTシャツには、カティの流し続ける涙が熱く滲んで濡れていく。
カティの発言にはいくつか訝しげに感じられる言葉があった。だが、今はそんなことを気にしている場合ではない。
そう感じた俺はカティの腰に手を回し、覆い被さる状態からベッドに互いに横になる状態にカティの体勢を変えた。
「カティ、俺にはきっとお前の抱えてるその大きな何かを理解してやれはしない。だってそれは、俺が思う以上に辛かったり悲しいことだと思う。だからせめてもの気休めになるなら、好きなだけ泣いてもいいよ。気が済むまででもいい、心が落ち着くまででもいいから泣けばいい。俺はずっとこうしてお前を抱きしめながら、そばにいてやるからさ」
俺はカティの腰に回した手に少し力を込める。
「レン様....ありがとぅ...ございます.....」
そうしてカティは数分のうち泣きじゃくった末に、俺の腕の中で眠りに落ちてしまった。
「....寝たか」
すぅ、すぅ、と寝息のようなものが聞こえ始め、離れてみるとカティはいよいよ寝ていた。
その寝顔は安心しきった表情で。
「俺が抱いてるだけで安心してきてそのまま寝ちゃったってかぁ? ほんと、可愛いなお前」
俺はカティのほっぺをむにぃと引っ張ってみるが、起きる気配はなかった。
「爆睡してんじゃん」
俺はベッドから立ち上がると、カティに布団をかぶせ、倒れた椅子を元に戻す。その椅子に座ってベッドに眠るカティを見守りつつ、俺は考える。
さっきのカティの言葉の意味について。
「俺が俺であるうちに俺としかできないこと...」
まるで、俺の人格が、意識が、消え去るかのような言い回し。
そしてもう一つ。
俺があっちへ行くともう帰ってくることは無い。
あっちとは、どこのことを指しているのだろうか?
考えられる答えは二つ。
聖界か、俺の元いた世界──下界。
だが、帰ってくることはないのであれば、聖魔界間を行き来できることを知った今、聖界のことを指してるとは考えにくい。
としたら、俺が日本に戻ると、ここには帰れないということか...?
俺は日本に帰りたいのか?
ふと、そんな疑問を自分にぶつける。
いや、恐らく帰る気は起きない。
そもそも、この先に何が起こるかは分からない。故にこうして考えを巡らせても大して何も変わることはないのかもしれない。
ならば俺は━━━━
***
「....二度目のおはよう」
「おはようございます! 椅子に座ったまま寝るなんて、器用なことが出来ますね、レン様」
「...どのくらいの間寝ていた? 俺は」
俺はあの後、寝てしまっていたらしく、起きて時計を見ると針は四時を指していた。
「えーと、合計すると半日ほど寝ておられますかね」
苦笑いをするカティ。確かに半日も寝ているのはやばいな。
「ごめんな、色々考え事してるうちに寝落ちたみたいだ」
「いえいえ、私の方こそ眠ってしまってすみません...少し、落ち着きすぎちゃいました」
「全然気にしてないし、むしろ可愛い寝顔を拝めて最高だったよ」
「....ッ...」
カティは俺の言葉に赤面して俯く。
「え、どしたの?」
「...ず、ずるいですよレン様...」
「...えーと、よくわかんないけどとりあえずすまん」
「....もう...」
適当な謝罪をすると、額に手を当て呆れた表情をされてしまった。
「と、とりあえず可愛いって思っても口に出しちゃうのはなしですからね!」
「可愛いやつに可愛いって言って何が悪いのか分からない」
「それ以上変なこと言ったら許しませんよ、レン様! これ以上私を溺れさせないでください...抜け出せなくなっちゃいます...」
「お前が溺れたら俺が助けに行くから心配すんな」
俺がそう言うとカティは突然、
「もう喋らないでください!?」
と叫んだ。
「あ、え、...んーと、はい」
「ふぅ...本当に仕方の無い人ですね」
カティはそう言うと、はっと何かを思い出したような顔をする。
「あ、言い忘れるとこでした! あなたさえ良ければなんですけど、私と外を散策しませんか? まだ一度も外に出たことがないとアイザ様から聞いてます。外がどんななのか、知ってみたいのではないのでしょうか?」
「.......」
俺はさきほどカティにもう喋るなと言われたために、答えるべきか迷って黙っていた。カティはそれに気づいて。
「確かに喋らないでくださいと言いましたが本当に喋らないなんて...素直ですね」
「褒め言葉として受け取っておくよ。まぁ、さっきの質問の答えはもちろんイェスだ。お前の言う通りここの外についても知りたいからな。っしゃ、行くか」
「はい! ありがとうございます!」
カティは前髪に生やした触覚を二本指ですーっと撫で下ろすと。
「まずは、アストロレギラという広大な草原地帯に行ってはみませんか?」
「どこでもいいよ、俺にはここの土地勘なんかないから」
「分かりました、では魔皇都を離れますね! レン様、耳など、まだ不慣れでしたらお塞ぎください」
「あぁ、分かった」
あの感覚に慣れることはまだ先のことだろうな。そんなことを考えながら耳を塞ぐ。
「徐々に慣れる方が良いので賢明な判断ですね、レン様、流石です」
両手を合わせてにっこり笑みを浮かべるカティ。
「あぁ、こうも広い世界を歩くのは御免だ。だから今はこれに慣れるのが最優先かもしれない」
「そうですね。では飛びます」
「おう」
俺は前から少し気になっていた。このレグレートという魔法が動作する時、現在地から目的地に移動するまでのほんの一瞬の間に何が目に映るのかを。だから今回は目を開けることにしたのだが。
「では」
「えっ...?」
瞬間する感じられぬほどの早さで場が切り替わったのだ。
「もう着いたの?」
「はい! それでは歩きましょうか」
「あ、えと、うん、そうだな」
俺は先を歩くカティについて行く。
目はぱっちりと開けていた。瞬きをしたとかでもないはずだ。なのに俺には何も見えなかった。いや、見えなかったと言うより見れなかったの方が正しいのかもしれない。
「こんなに早く切り替わるのか...」
「そうですね、シャルル様も大変驚かれたと聞いてます」
「まぁ驚くわな...ってかお前も俺の父さん知ってんのかよ」
「シャルル様を存じ上げない方は若い学生を除けばいらっしゃらないかと」
「...ほんとに何したのシャルル...」
俺がそう疑問を口にすると、カティが笑顔で言う。
「レン様のお父様━━シャルル様は、初代聖界女王様をお助けしようと自分の身を挺した、いわば聖界の英雄です! ただの下界の少年が女王様ですら使う事をためらうほどの魔力と体力を消耗する大魔法をお使いになり、女王様を守ろうとしたのですから、このように称されるのもお分かりいただけるでしょうか?」
「...確かにそれはすごいな」
俺にそんなに勇気は...ないかもしれない。自分の命と引き換えに救う、だとか...まだ思えない。
「ちなみにシャルルはその時何歳?」
「今のレン様の一つ下です。この世界にこられたのが十六歳の頃で、そこからちょうど一年後に起こった事件でしたので」
「年下かよ!?」
俺の父さん勇気ありすぎだろ...。父さんの遺伝子どこだよ。
「ってことは、母さんはシャルルと同い年って言ってたから今から二十年くらい前か?」
「そうなりますね。私はまだ生まれてなかったです」
「そうだろうな。俺も生まれてないぞ...いや、俺がその時生きてたら、何歳で俺を産んだんだって話になるよな」
十五歳で産めば世代被るのか...いやでも流石にそれは鬼畜すぎる。
「そういえば、救おうとした、とか、助けようとした、とか言ったよな?」
「あぁはい、言いました」
「それって結局は助けるに至らなかったってこと?」
「...まぁそうですね。王狩りの主犯となる人物を直接的には蹴散らせなかったらしいですが、それでもシャルル様は大勢を殺してくださったので、女王様がその後、崩れゆく聖皇都から逃げることも容易だったとおっしゃっていました」
「ほう、シャルルが追っ手を減らしてくれたおかげで、二人とも生還できたってことか」
「はい、ちなみに王狩りというのはそのままの意味ですが、聖魔両界の女王様に反旗を翻す者や王権を簒奪しようとする者たちの総称です」
「どの世界にもそんなヤツらは付き物だな。ついでにその事件以来そいつらはどうなったんだ? 消滅したのか?」
「...とは言われてますが、相手が相手ですし、どこかに潜んでるのかも知れませんね」
「その相手ってのはどんなやつなんだ?」
「...私から言ってはダメな決まりでして、すみません...」
カティは立ち止まって深く礼をする。
「いや、気にしなくていいよ。誰に口止めされてるかは分からないけど、この世界の決まりを破らせてまで知りたいわけじゃないからさ。どうせ、ここで生きてくうちに知ることになるだろうし」
「聖界女王様とお会い出来れば教えて頂けるかと?」
「...いつになることやら」
「そう遠くない日にお会いできますよ、きっと」
ふと、辺りを見渡すと、そこは横幅が五メートルほどの広い土の道だった。流石にアスファルトの舗装はされてないが、ガタガタな道ってわけでもなく、ちゃんと平たく整備されてる。
そんな土の道を歩く人はほぼほぼ居なかったが。でもまぁ。
「...あれやってみたいよな、やっぱ」
箒にまたがって、空を飛び交う人々。
なるほど、歩く必要が無いから道路も見栄えのために平らにはするが舗装までする必要が無いのか。
にしてもみんな、普通に私服なんだな。箒に乗って飛ぶ人っていえば、魔法少女みたいにとんがった帽子被ってるイメージがあるが。
「浮遊飛行のことですか?」
「浮遊飛行っていうのかあれ」
飛行だけでいいような気がしたが何か浮遊要素もあるんだろうか。
「そうですね。やってみたいですか? レン様」
「まぁそうだな。あと、箒乗ってる人と普通に何も乗らずに飛んでる人の差って何? 魔力とかの差?」
「おぉ...そうですよ、箒は補助用具のようなものです。慣れれば生身だけでも飛べます。まあ私は魔法があまり得意ではないのでお手本のような飛び方は出来ませんが...一応は」
「そうなのか。あ、ちなみにずっと気になってることあってさ」
「はい、なんでしょう?」
俺の言葉に首を傾げるカティ。
「俺って魔力持ってんの?」
「持ってますよ」
「あ、持ってんの!?」
日本人でも魔法使えるのか....ってよくよく考えてみると、父さんも魔法使えてたらしいしな。しかも大魔法。
それなら俺だって少しくらいは使えるのか。
「使いこなされたら私なんか瞬殺されちゃうよぉ〜、とアイザ様がおっしゃってました」
「え!? いやいや...それはさすがに」
「本当ですよ?」
「いや...え、俺がそんな強い魔力持ってるのか?」
「そうですね、シャルル様は魔力を持っておらず全て女王様の魔力へ依存していたので、その際、シャルル様の体内に蓄積された女王様譲りの絶大な魔力をそのまま息子であるレン様が受け継いだのではないかと聞いてはおりますが、本当のとこは分かっていません。もしかしたら天性の力なのかも知れませんし」
「ほう...」
俺の持つ絶大な魔力とやらは元を辿れば前代聖界女王の力ってことか。そんな力があることを知ったら、ますます魔法を使いたくなってしまう。
「なんか今使える魔法とかある?」
「服従魔法とかどうです?」
「誰がそんなもん使うかよ!?」
そんな悪趣味じゃない。一応そう断言してみるとカティは言う。
「冗談ですよ。どんな魔法が使いたいのですか?」
「日常的に活用できるものがいいかな」
「浮遊飛行とかレグレートとかのことですか?」
「そうだな」
「飛びすぎて別世界まで行っちゃいそうですね...」
「それは困る」
「私も困ります」
カティはふふっと小さく笑う。
「では一度、感覚だけでもどうですか?」
「飛べるのか?」
「ペアリングします」
「ペアリングって言葉、魔法世界にもあるのか」
「あれ、下界にもあるのですか?」
「一応あるっちゃある。機器と機器を繋ぐみたいな」
「似たような意味合いですね。魔界では魔法効果を周囲の人と共有することです。では早速やりましょう。目をつむっていただけますか?」
「あぁ分かった」
カティに言われるがまま目を閉じると、額に指の感触を感じる。カティが人差し指を俺の額に軽く押し付けていたのだ。
額からその指が離れることを感じると、
「目を開けていいですよ。それでは飛びます」
目を開けた瞬間、俺の体はカティと共に空へ舞った。その感覚はすーっと、体が勝手に持ちあげられてるかのように軽くなめやかで風を感じれた。地上から数メートルほどの高さまで浮上したところでカティが停止する。
「あ、あれが魔皇都か」
飛んだ所から後ろに見える大きな城、否、都市の姿がそこにあった。
一つの城を中心に放射状に広がる市場、住宅街。
「そうですね、あれが魔皇都アヴェルヴォです」
「相応でかいよな...誰が作ったんだ?」
「アイザ様のお父様がお作りになられました。確か五日ほどかかったとか...」
「五日!?」
「はい、ヴァイエル様でもあれほどの時間かかったので、今の私が同じものを作ろうとすれば半年はかかってしまいそうです...」
「いやそうじゃないそうじゃない」
五日でも遅い。そんな言い回し。
日本では家一軒建てるのに半年はともかく五日だとか考えられない。その上にこの広さ、この規模だ。
正確な広さなど俺には測れないが、少なくとも中心部にあるアイザらが住む建物だけでも端から端まで五百メートルだ。増してはその周りに住宅街のような都市が拡がっている。
「五日とか早すぎだろ!?俺の居た世界じゃ一軒家でも五日とか無理だと思うんだが!?」
「へぇ...そうなんですね...」
魔法って凄いんだな...。
空中で停止しながら駄弁ってた俺らだったが。
「レン様、その状態から動けませんか?」
「....と言いますと?」
「少し飛ぶ練習をしてみましょう。落ちる心配はないですよ。ペアリングは続けてますので」
「あ、前に進めってことか?」
「そうです」
「え、どうやって?」
「前屈みになってみてください」
「前屈み...こうか?うわっ!?」
カティに言われた通り前屈みになるように体重を前にかけると俺はすーっと前方に平行移動した。カティも俺に従って動く。
「体が軽い…違う、浮いてるんじゃない。地面の感覚が、足元から消えていくような…」
そこで俺ははっと閃く。
「あ、もしかしてこれって」
「...はい?」
俺は天才かもしれない。そう思ってしまった。
なぜなら俺は分かってしまったからだ、この原理を。
前屈みになれば前に進む。この条件の元、俺は前かがみになったが、少し左に重心がズレていたのか左前に進んだ。
そこで俺は体の重心を一回転させるように動く。すると案の定大きく広がる円を俺の体が描いた。つまりはそういうことか。
「重心移動で動けるんだな?」
「...どうしてそんなの分かったんですか?この短時間で」
「んーやっぱ俺って天才、だからぁ? おわっ!?」
そう言った瞬間、俺の浮いていた体が急降下する。が地表スレスレで再び浮上していく。
恐らくカティがペアリングを一時的に解除したためだ。
...カティもちゃんと人間なんだな。
「じー...」
「そんなにジト目で見ないでくれよ...ほんの冗談だ」
ふと上に浮かぶカティの表情を見ると、物凄い睨んできていた。
未だ睨み続けるカティに俺は謝る。
「ごめんって」
「まぁいいですけど、次なんか変なこと言ったらほんとに落としますから」
「ひぃ〜怖ぇ...大丈夫だ、もうしない。多分」
「多分」
「言いきれないから多分でお願いするよ」
「しょうがない人ですね...」
「しょうがなら食ったことあるぜ?」
「何か言いました?」
満点の笑みで俺を見つめてくるカティ。流石に身の危険を感じた俺は素直に従う。
「いえ、なんでもないです」
「なら良かったです」
カティはふふっと笑顔になると、続けて言う。
「それで、どうして理解出来たんですか? この原理」
「前屈みになった時、重心が少し左に偏ってたから移動するのも少し左斜め前だった。全方向に重心を動かしたら思った通り円を描くように動いたしな、大きく外に振られる感じで。だからこれは重心移動によるものなんじゃないかなって思った」
「疎い時はとことん疎いのに鋭い時はほんとに鋭いですよね...シャルル様の遺伝子はほんとにどこへ?」
「んー元から受け継いでなかったという線もあるぞ」
「確かにそうも考えれますね」
俺らは互いに笑い合うと、カティが補足する。
「ちなみに片足を突き出すと高速移動が出来ます」
「ん? こうか?」
俺はカティのその言葉を聞き、前に足を突き出した。すると俺は後ろにビュンッと吹き飛ぶように勢いよく飛んだ。
カティまでは数十メートルもの距離がある所まで移動してしまったようで、彼女の元へ前屈みになり前進していく。
「そうじゃないですけど一応そうです」
カティが苦笑いをうかべたのを見て俺は怪訝になる。
「あれ、違うのか?」
「えーとですね、普通は前に進むために後ろに足を突き出すんですよね」
カティは右足を後ろに突き出す。というより右足で後ろを蹴るような動きをすると、俺の体と一緒に物凄い速さで前進した。
彼女はすーっと俺の隣に戻って来ながら言う。
「こんな風に。にしても、後ろに高速移動使う人初めて見ましたよ」
「そうなんか」
「そうですよ」
「...他になんか使えるのあるんかな」
「そうですね...まぁひとまずアストロレギラに向いましょう」
「了解」
カティは魔皇都を背に、前進して行った。ペアリングの効果で少し遅れて俺も前進した。
「そういえばカティってさ」
「はいなんでしょう?」
飛びながら俺はカティに訊く。
「彼氏とか居るの?」
「っぎっ!?」
カティはギクッとしてその場で停止する。俺もカティに従い停止する。
「居たら貴方とこんな風に接していないでしょう?」
「ん? ってことはお前俺のこと好きなのか?」
「んなっ!??」
「....え?」
カティの顔は徐々に真っ赤に染まってしまった。そして、
「レ、レン様、可愛いとか好きとか...簡単に口に出さないでください...」
「前も言ったがお前みたいに可愛いやつに可愛いと言って何が悪いのか━━」
「その先言わなくていいですから!!」
と、叫んだ後すぐに。
「ってええええええ!?」
と驚いた。どうして驚いたのか俺には理解出来ずカティに訊く。
「え、どうした? もうしかして俺チャックでも開いてた?!」
あまりのカティの焦りように俺すら焦って変なことを言い出してしまった。慌てて社会の窓を確認するがしっかりと閉まっていて一安心した。
「違いますよ! いや、レン様...どうして...」
あたふたするカティ。
「....何を見たのお前?」
「いや...なんで飛べてるんですか!?」
「え?」
なんで飛べてる? 少し理解が追いつかない。
俺が飛べてるのはカティがペアリングしてくれてるからじゃないのか?
「いえ、私は今ペアリングを解除してレン様を落とそうとしてたんですよ...」
「....へ?」
ペアリングが解除されている。
つまりは今俺は一人で飛んでいることになる。
そんなの全く気づかなかった...。
「...慣れるの早すぎませんかね? というか進み方は教えましたが、飛び方は教えてないんですけどどうして飛べてるんですか?」
「...えーと」
どうしてだろう。自分でも分からないが、ごく普通に立っている感覚なのだ。
「箒も使わずに、飛び方も教わらずに揺れることなくしっかり浮けている.....これがアイザ様をも越す魔力の持ち主の力なのですかね」
「そうなのかもな...無意識のうちにできるようになったし」
「末恐ろしい人ですね、ほんとに」
そんなことをカティに言われて俺は少し複雑な気分だが、とりあえず目的地へと向かう。
「あ、そろそろ着きますね」
「うわ、めっちゃ広いなこの草原!」
カティが前を指して言う。そこは辺り一面が芝生で、それが何キロも先まで続いていて、とても広い草原だった。
草原以外なんの建物もないのだが、ところどころに人が集って居た。
「え、何ここ、めっちゃ平地なのに人結構いるじゃん」
「ここがアストロレギラです。この芝生地帯は全てのアストロレギラなんですよ。ここはこの広大な地を有効活用するべく、魔法の練習や子供たちの遊び場などに使われてます」
なるほど、ならあの人溜まりは友達とかと魔法の練習に来ている子達だとか、そんな感じか。
「そういうことです。では私たちもしましょうか」
「ん? するって何を?」
「何って魔法の練習に決まってるじゃないですかー」
ぶー、と頬を膨らませ口をすぼませるカティ。
「あぁそうだったな、すまんすまん」
「まぁ、いいですけど、それでは早速...」
カティはすーっと下降し地面に足をつく。俺も力を抜いて降りる。
「私と戦いませんか? レン様」
突然の提案に、レンの目が点になる。
「いきなり戦うの!? え!?」
「嫌ですか?」
「いや、えと……ど、どう戦えば……っていうかなんで戦うの?」
「何かあった時のために、レン様のお力を十分に発揮できるようになってほしいからです」
言葉と同時に、カティは静かに距離を取る。
十メートル以上は離れただろうか。その立ち姿からは、先ほどまでの穏やかな雰囲気は消えている。
「え、これもしかしてガチなやつ?」
「ガチなやつですよ。本気で来てもらってかまいません。ここにはアイザ様の特殊な結界が張られてるので、攻撃を受けても肉体に損傷は与えませんので……私も遠慮なく、戦わせていただきますね」
「でもさすがに女の子は殴れねぇぜ...」
「そうですか...なら、これでいいですかね?」
そう言って、カティは指先を軽く鳴らした。
次の瞬間、彼女の全身が赤い光の粒子となって四散する。
「うわっ!? え、消え──」
──否、現れた。
「……お前、誰だよ!?」
「カティ・ムルジスト・フィリアです。これで性的妨害はないでしょう?」
「それは...そうだが...ッ!」
現れたのは、男の姿のカティだった。声までも落ち着いた青年の声に変化している。変わったのは肉体だけでなく、どこか漂う空気までもが鋭くなっている気がした。
「そっちから来ないなら、こちらから行きますよ、レン様」
「わッ!?」
カティが一気に詰め寄ってきたかと思った刹那、鋭い一撃。
視界が歪む。気づいた時には、自分の体が宙を舞っていた。
地面が遠ざかる。が、さっきまで数メートル先にいたカティ──いや、彼──はもう目の前にいた。足を軸に、回し蹴りが俺の胴を捉える。
空気が一気に肺から抜けた。
「……っぐ……!」
地面に転げ落ちた。草と土の匂いが鼻を突く。頭が揺れる。
結界の効果か、痛みは感じない。
立ち上がってホコリを払っていると、カティが少しの間を取って対峙する。
「反撃しないんですか?レン様」
「……だって……」
「そんなことでは、もし私が本当は“悪い人”だったら、どうしますか?」
言葉に刺されるような感覚。俺は歯を食いしばる。
「シャルル様はこうして今の私たちみたいにラティ様に戦いを挑まれた際に、魔法を使えないというのに怖気付くことなくラティ様に殴りかかったそうです。私は、そんなシャルル様の遺伝子を信じていますよ」
「俺の中のどこにあるんだろうな、そんな勇気」
ラティ。シャルルの世代ということは、おそらくカティの母親なのだろう。
俺は力なく笑いながら、ようやく決心した。
シャルルの、親父のその話を聞いて、負けっぱなしでいられるか。
俺はふと拳を強く握りしめる。
その手に、薄く魔力なのか、不思議な感覚が集まりはじめる。手のひらから熱が伝わる。
「よし……やれるだけ、やってみる」
俺は手を広げ、どこで学んだか知れない光の球を形成する。それは小さく、微弱なものだった。
「その気持ちが大事です。もっと怒っていい。もっと恐れていい。戦うということは、自分を認めて、相手と向き合うことです!」
その言葉と同時に、カティは地面を蹴る。
速い。もはや残像しか見えない。
「くっ……!」
俺はその手に込めた魔力を使って光弾を放つ。
なんでそんことが出来てるのか、俺自身よくわかっていないが、少し楽しくなっている俺がいた。
軌道を読む暇もなく、それは真っ直ぐに飛んだ。
──が、すれ違いざま、カティは軽く避けていた。
「方向はいいですね、でもまだ攻撃に迷いがあります」
「そんなこと言ったって……!」
「本気で私を倒そうとしてください、レン様。そうでなければ、きっと誰も救えませんよ」
救う。
生まれてこれまでそんなことしてこなかったと思う。
でも俺は、ここで生きていく以上自分は自分で守りたい。そして、大切な人も守りたい。
だとしたらここで強くならなきゃ、いつなる?
俺はそんなことを考えながら、振り切れた気がした。
「っうおおおおおおおお!!」
俺は咆哮する。全身から、吹き出すように魔力があふれる。自分でも制御しきれない力が、その場に放たれた。
地面が軋み、空気が焼ける。
カティが目を細める。
それから少しの間カティと殴り合った。否、殴る拳を全てカティの殴りで防がれては蹴り飛ばされるの繰り返しだった。
そして一定の距離を保つとカティは赤い魔力の粒から一振の剣を生成して、横手に構えた。
物理攻撃ではなく、剣戟となると少し怖気付いた。それを見通してか、カティが言う。
「……その感情です。そこから始まるんですよ。畏怖というのは全ての始まりです。先程から人が変わったように私を殴ってきてて、少し焦りました。...まぁ私に攻撃をかすめることもまだできてないですが...」
「はあああああああああっ!!」
結界の中に居るせいなのだろうか。
本当にどこで学んだか知れないが、すっと構えると思った通りに炎を伴った魔法の剣を創り出し、俺は突撃する。自分の恐怖も、迷いも、すべて魔力に変えて。
一瞬、カティと刃が交差する。
二人の間に風が起き、周囲の草が震える。
「っわっ!? は、速っ──」
空中で体勢を崩した俺は、咄嗟に拳を突き出し風魔法を使って風圧で着地の勢いを殺し、数メートル後退──したはずが、
「……遅いですよ?」
もうカティは目の前にいた。
「っ──く!!」
カティの足がこちらに迫る。横薙ぎの蹴り──俺は反射的に腕で受け止めるも、衝撃だけで地面に押し倒される。
「まだ攻撃に迷いがあります、レン様」
「うるさい……ッ!」
俺は地面に転がりながら、手のひらに魔力を込める。
「──おらぁああっ!」
紅い光の粒子が俺の周囲に一瞬集まり、眩しい閃光となって爆ぜた。閃光に目を細めたカティの一瞬のスキを突いて、俺は距離を取る。
「……やればできるじゃないですか。ですが、本当に力加減するつもりは無いようですね」
「はぁ、はぁ…全力で攻撃しろって言ったのはそっちだろ!」
「えぇ、だからこそこちらも全力でいかせてもらいますね──!」
再び距離を詰めるカティ。俺はもう一つ、魔法を構える。
それがなんなのか、どこで知り得た物なのかは分からない。しかし何故かその魔法が脳裏を過ぎった。というか、最初からわかってたように、思い出したかのように、使う魔法一つ一つに懐かしい感覚がした。
「グラヴィレイ!」
重力魔法。足元の空間を歪め、強烈な下方向の圧力を発生させる。カティの体が一瞬重みに引っ張られた。
「……重力、ですか。面白い」
「喰らえ!!」
そのまま俺は地面を蹴り、風の加速魔法で一気に距離を詰め──初めて、拳をカティの頬に届かせた。カティは十数メートル吹き飛んだ。
拳が触れた瞬間の感触に、思わず体が震えた。
「当たった……! カティに──!」
「……お見事です、レン様」
拳を受けたカティは、くるりと後ろにバク転しながら着地し、にこりと笑った。
「やっと戦ってくださいましたね」
───そして。
「いい戦いでしたね、レン様」
ふわりと着地したカティは、笑っていた。元の女の子の姿に戻りながら、誇らしげに言う。
「ほんの少しだけ、見えましたよ。貴方の中の本当の強さが」
「……ありがとな、カティ。俺、少しでも、強くなれたかな」
「もちろんです。これからも、何度でもお手合わせいたしますね。ふふっ」
「ちなみにラティ様ってのは、あんたの母親か?」
「確かにそうですが、どうしてそれを?」
「だって俺は前居たシャルルの息子。今の聖界女王のルリル様ってのはは初代聖界女王の娘。つまり俺はシャルルの次の代の世界に来てるってことだろ?そう考えたら同じメイドのあんた達もそう考えるのが妥当だと思ってさ。ってかお前俺の心読めるんじゃないっけ?」
「あのですねぇ...おそらく無意識なのだとは思いますが、今レン様は私からの心内干渉を拒絶なさってますよ」
「つまりどゆこと?」
「レン様自身の魔力によって他人が自身の感情などを知ることを制限なさってる感じです」
「...マジ?」
「マジです。先程の戦いの時もそうですが、ほんとにどうやって無意識のうちに魔法が使えるようになってるんですか」
「俺自身無意識だからなんとも言えない」
なんでだろうと魔法が勝手に発動する前に何してたかを思い返すと、案外答えは単純だった。
「あ、そういえば魔法が使えるようになる直前に俺は願ったんだよね、あれしたいこれしたいって。飛ぶ前は一人で飛べるようになれたらなーっとか、今はどうにかして心読めなく出来ないのかなって考えてたらなんか出来てた」
「変な仕様ですね、レン様の魔法の発動条件」
「そのうち慣れて自分の意思も伴ってくれるといいんだけどな」
「何日かかることやらです」
「さぁな」
「そういえばもう」
「ん?」
カティは視線を上に、空に向けた。
オレンジに染まる空にはもう半分だけの太陽が覗いていた。
「日が沈んできましたね」
「そうだな、もう夕方か」
周りには俺ら以外誰も──いなければよかった。
ふと夕暮れる陽を見ていると、その先から歩んでくる人影が見えた。
尋常ではない何かを感じた俺は少し身じろぐ。
「こーんなとこでなーぁにしてるのかなぁ?お嬢ちゃーん! デヘヘへへへ」
「どんな笑い方してんだ!? 不審者どころの騒ぎじゃねぇぞ!」
その男の紫に煌めく瞳がこちらを見据えていた。