第0話 Valferia Record
金髪の少女と白髪の少年が城の一室で話していた。
それはとても楽しそうで、幸せそうで、これからのここ、熾天世界の未来を語り合っていた。
熾天世界──略して聖界。
天界と我々の住む世界とを結ぶ世界。
その世界は我々の住む世界を下界と称す。
かつて、天界王によって滅びた世界。今はその文明の数々を復興させ、新たなスタートを切って間もない頃。
湖水に囲われた広大な王都の城の遥か奥。そこにある玉座に二人は座る。
そう、彼らこそがこの世界の女王と王。
長い金髪で、横髪を編んだ麗しく蒼い双眸を持つ彼女がこの世界の創造主であり、王として聖界を治世するウリル・ルヴァーヌ。
年はわずか15歳と若いが、元より天界で生まれ育った天使である。
そして隣で彼女の手を握る、ウリルと同じ蒼い双眸で、真っ白な髪をした背の小さな少年、シャルルもまた、見た目にそぐわないが一国の王なのだ。
その握り合う手には、ウリルからシャルルへと、何かが流れていくのが分かる。
そんな二人がこの場で仲睦まじい会話をしている──これからの明るい未来を思い描いて。
***
不意に、城の外から轟音が響き渡る。
「...なんの音?」
「さぁ...?」
二人は一度はあまり気に止めず、再び話し始めたが、続いて何度も響く。
ただ事でないと気づく二人は何やら真剣に話を進め始める。
音の出所を見てみると、黒衣に身を包む大衆が突如開いたゲートから次々とウリルの元へと攻め込んでいるのが見えた。大衆は一般市民なのだろうか、黒衣の下には私服を着ているのがわかる。
玉座からウリルとシャルルはその様子を部屋を出ずとも感じ取っていた。
ウリルらの一室の扉の前にまで奴らが押し寄せた時になって、ようやく二人は立ち上がる。
「王狩りのお出ましだよ、ウリル」
「そうね...でも今回、何かがおかしい気がするわ」
「確かにいつもとは一味違う輩が来てるみたいだな」
その会話が聞こえていたのか、扉が黒布を纏った一人の男に蹴破られる。
「一味どころか百味は違うぜ、聖女王様よォ」
そう言って、その男が腕を振り上げる。振り上げた腕を二人の方へ向けると、
「アグメル!? どうして貴方がここに!」
「ウリル! 危ない! 避けろ!」
シャルルが彼の行動を察してか、ウリルへそう忠告する。ウリルはそれに対して同じく腕を彼に向けたが。
「うっ──」
アグメルと呼ばれたその男が1発、魔弾をウリルへと放った。ウリルはそれを弾き返すために魔弾を放とうとしたが、シャルルがウリルの前に出て魔弾と彼女の間に入る。
その瞬間、赤い鮮血が宙に舞った。
その血はシャルルの腹の傷口から吹き出す。
「シャルル━━!」
自らを庇い、倒れ込むシャルルを目の当たりにして、ウリルは絶句する。そして彼の元へすかさず駆けて行く。
「シャルル...? どうして....どうしてあんな無茶なことを!!」
大衆に見下ろされるシャルルの動かない体。その体を胸元に抱き寄せ、息の有無を確認する。
その体は、その少年は、動かない。
動いたのはアグメルだった。
つり上がった黒眼に、黒衣に身を包む男。そして、少女を囲うように大衆が立つ。
男は少女に向け、一つの小さな光の玉を放つ。その光は弾となり少女の身を貫き、血を舞わせる。
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
少女が痛みに叫ぶが、すぐに絶え、少年の上に覆い被さった。
「聖王に相応しいのはこの俺だ。お前らのようなガキにこの世界が任せれるか」
アグメルがウリルの前にしゃがみこむと、髪を掴みあげ顔を合わせる。少女の表情は何一つ動かない。
「何か言えよ、ウリル様よォ? あぁ、すまん、もう死んでたんだったな」
息の絶えた彼女の頭を床に叩きつけると、高らかな笑い声を響かせる。
「さてと、まずは記念に玉座に座ってやろうじゃねぇか」
倒れる二人を通り過ぎ、ついさっきまで二人の座っていた玉座へ向かったアグメル。
ふと、凄まじい光がその場を包みこんだ。一瞬、目が眩んだアグメルは一度は立ち止まるが、再び玉座へ向かった。その時、
「全く...」
そう、ウリルの声が聞こえた。
驚き振り返る男が見たのは普段のウリルには似ても似つかない、全くの別人で。
先程までの少女らしい顔立ちとは打って変わって、大人のような、落ち着いた顔をしたウリルだったその彼女は一直線にアグメルを見つめる。
背中には三対六枚の白い翼が生え、頭上には金の光輪が浮く。そして、すっかり大人びた声で。
「シャルルとのために聖界を作って、聖女王になった私に反逆した挙句、私を殺すだけならまだしも、シャルルまで殺そうだなんて...そんな貴方に聖王を名乗る資格なんてないよ」
翼で羽ばたき宙へ浮き上がったウリルがアグメルを指して言い放つ。
「貴方は堕天使でしょ。もう天界の力も使えないというのに、そんな貴方がこの熾天世界で何をできると言うの?」
「ど、どうして俺が堕天使だってことを知ってるんだ!?」
「まだ分からないのね、アグメル」
「は? 何を言ってるんだお前は...」
「神を殺めようとした愚か者。貴方に一度でもチャンスを与え、上界に堕とした私が馬鹿だったようね。はなから下界へ堕天させておくべきだったわ」
「俺を...堕とした?」
堕天使であることを明示されたアグメルははっとあることに気づいたようで。
「お、お前はもしかして...!」
「気づくのが遅すぎるのよ、アグメル。もう貴方にチャンスは与えないわ」
翼の生えたウリルは、アグメルに向けて手を突き出す。アグメルは数歩退くが、彼へ向かってひと羽ばたきし、更に詰め寄る。
「私が作った聖皇都アリスリを半壊までさせたことは褒めてあげる。でも貴方、天力は無いとは言え、魔力まで尽きかけてるんじゃない?」
「そ、そんなことはねぇ!」
そう2人が会話を続けている時。
不意に、ピクリと動いたシャルルが。
「ウリ...ル.....!」
そう少女の名を口ずさみながら立ち上がる。
「えっ!?」
「んなっ!」
その様子を見たアグメルらはもちろん驚いた。
「お前だけで、なんてことは...させないぞ...。熾天使様から力を分けて貰えたとはいえ、この数だ....慣れないその力で無茶して死なれたらこっちが困るんだよ...」
アグメルによって空いた腹穴を押さえながら立ち上がる。
「ぐっ....」
「シャルル!」
シャルルの傷口から再び血が吹き出す。ウリエルはそれを見て彼の腹を押さえる。
「もう動かないで! それ以上動いたら...死んじゃう.....」
「心配...すんな......俺は、そう簡単に...死なない、ぜっ」
シャルルはぐっと親指を立て、ウリエルに見せ、そう笑顔で答える。
一歩一歩、ゆっくりとアグメルに向かって歩いていくシャルル。
白髪で蒼い瞳の少年。その蒼い双眸は強欲な殺意に呑まれていた。
「アグメル!」
自らを瀕死に追いやったその男を名指す。
「なんでまだ動けるんだよ...?」
アグメルは彼の威圧にのけぞる。
「最後の力を振り絞るってやつ、かな...はは」
そのシャルルの視線はアグメルに対する宣戦布告とも言えた。
シャルルは瀕死、アグメルは無傷。
人間対堕天使───勝利の見えきった戦い。
「そんな状態で俺に勝てるとでも思ってんのかァ、 シャルル様ァ?」
「あぁ、勝てるさ」
シャルルはアグメルの嘲りにはっきりそう断言して、目を閉じ押し黙る。ウリルは彼の行動を読めたのか、それを止めようと叫ぶ。
「シャルル! ダメだよその力を使っちゃ...! 今の体でそれを使うのは、貴方の体への負担が大きすぎる!!」
「....っ」
ウリエルの忠告も耳に入らなかったシャルルは一瞬身動ぐが、胸元で生成された青白い光の玉を手で包むようにして言う。
「マクトリア・リューティ・エクイル」
とある言葉を詠唱するシャルル。
「お願いシャルル! 止めて!!」
シャルルの胸元のその玉が一気に光り輝く。
それを押し潰すように両手で挟むと、無数の魔弾が撃ち放たれる。魔弾の一つ一つが意志を持ったようにアグメルだけでなくアグメルの後ろに居た者共まで散らしていく。
それから十数秒ほどで二十数名のアグメルの従者が倒れた。このまま行けば全滅、そう思われたが、大きな衝撃波と同時に、ふらっとシャルルが揺らぎそのまま床へ倒れ込む。
すると、シャルルの操作が無くなった球体から魔弾が乱射され始めた。それはこの城、聖皇都ごと次々と貫いていく。
激しい音を立てながら天井や壁が落ちて、建物が崩壊し始める。
シャルルは床に倒れたまま動かなかった。アグメルは体中を魔弾に貫かれ、満身創痍な状態で。
「ありがとうシャルル...最後まで無理させてごめんね....」
ウリルは血に塗れたシャルルを抱き抱えると、その白い翼を大きく広げ羽ばたく。
気づいた頃には上空のゲートは消えていて、
その更に上へ、上へと、ウリルは羽ばたきを続けやがて見えなくなっていった。
その様子をただ呆然と見届けていたアグメル。その表情はとても切なく、寂れていた。そして、にっこりと似つかぬ満面の笑みを見せると。
ぐしゃっと。
天井から降り注ぐ瓦礫に潰され、何度も血が噴いた。瓦礫の下敷きになった彼は、慌てて逃げ惑う従者らに踏まれる始末だった。
轟音を鳴らし続けた聖皇都の崩壊が止む。そこには既にアグメル一人しか生き残っていなかった。
「やってくれたな...ウリエル様よォ」
アグメルは瓦礫を弾き飛ばし、よろめきつつも立ち上がる。全身が血に塗れていたが、淡い光とともにその傷口が塞がっていく。
「天力がなくてもな、魔力でどうにでもできるんだよ」
ははっ、と先程のウリルの発言に嘲笑する。
「俺がこの程度で死ぬとでも思ってたのか、ウリエル様ァ? 王を連れて女王である自分まで天界へ逃げるとは、聖界を捨てたも同然! 俺の世界の、始まりだ──」
「そうはさせないよ、アグメル」
「──!?」
崩落し荒地と成れ果てた、かつての城だった瓦礫の上を歩き、アグメルに近寄る二対の白翼を持つ女の子。
彼女が歩いた場所は少しの時間を置いて凍りついている。白い服を着たその白髪の女の子は、頭上に浮あがる氷の結晶のような光輪にそっと手を触れる。
そしてそのまま彼女はアグメルの体に触れた。途端にアグメルが痛みにもがき始める。
「ぐあぁぁ....! だ、誰だお前は───氷の.....ッ!?」
そしてアグメルの弱っていた体にトドメを刺すように、その手に持った氷剣を胸へと突き刺す。
それで終わったかと思うと剣を抜き、腹へ刺す。そして腕、足、頭と迷いなく刺していく。
恐らく腹を刺された時点で息は絶えていたであろう、その時には既に痛みに叫ぶ声すら出していなかった。
されど彼女は恨みを晴らすかのように、溢れる殺意をおもむろにその氷剣へ込めていた。
「...リエラとアビアのため、これ以上この世界に変異因子を生むわけには、いかない」
そんな剣を生を失ったアグメルの頭から抜いて、腰元の鞘へ収めた彼女は最後に彼を睨みつけると、そこを去ってしまった。
アグメルはその後、シャルルらが再びこの世界へ戻るまで瓦礫の上で死を曝していた。