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灯火のリセル  作者: カジリーノ
本で知った世界
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第四話:見知らぬ誰かのために

四日目の昼下がり。

風は冷たく、曇りがちの空はどこか重たく見えた。


リセルは、湿った街道を歩きながら、疲労の色を隠さず顔に浮かべていた。

体は重く、足取りも鈍い。昨夜は冷え込みが強く、浅い眠りしかとれなかった。


「今日こそ……町の影くらい、見えてくれてもいいのに……」


誰にともなく、いや正確には、手にしたフレマにぼやくように呟いた。

紅水晶は鈍く光っている。いつもより応答がないような気がして、リセルは小さく眉を寄せた。


――と、そのときだった。


「やめろォ! うわああっ!!」


悲鳴。

風に乗って、森の方から人の声が届いた。慌てた足音、何かが地面を叩くような音。


「っ……!」


咄嗟に身体が動いた。疲れも重さも忘れ、リセルは街道を外れ、森の斜面を駆け下りる。

もし魔物なら。もし人が襲われているのなら。

考えるより早く、火のように飛び出していた。



森の中――。

倒れた荷車と、崩れ落ちた旅人。その前に立ちはだかるのは、灰色の毛皮を持つ魔物――二匹の森犬だった。

鋭い爪、裂けた口元。嗅覚と脚力に優れ、群れで狩る凶暴な魔物。

リセルはすぐに距離を取りながら杖を構えた。


――この状況、魔法を使うしかない。


けれど、頭の中に冷たい声が響く。


(魔法は、連続三回まで……それ以上は……)


セナ婆の言葉が、訓練中の怒声と共に思い出される。


――「その火は力じゃねぇ。無理して振り回せば、お前が先に焼け死ぬぞ」


けれど――それでも、今はやるしかない。


「……よし」


リセルは静かに詠唱を始めた。集中する。杖の先に魔力を集め、地面からの反応を読む。


「――燃え上がれっ!」


一回目。火の柱が魔物の背後に炸裂し、爆風が巻き起こる。驚いた森犬が吠えながら振り返る。

リセルは地面を蹴り、旅人との距離を詰めながら再び杖を構えた。


「まだ――いける!」


二回目。狙いすました火の奔流が一匹の胴体を巻き込み、炎が裂ける。森犬は地面に転がり、動かなくなった。


残る一匹が、今度はリセルに向かって突っ込んでくる。

飛びかかる寸前、リセルは必死に足を踏み込み、最後の魔力を搾り出す。


 ――三回目。


「っ、燃えて……沈めっ!!」


炎が爆ぜる。だが、それはどこか不安定で、威力も先の二発に劣っていた。

それでも、距離を詰めた魔物の足元に炸裂した火は、かろうじて相手の進行を止め、跳ね返すに足る力を持っていた。

森犬はうめき声を上げ、林の奥へと消えていった。



「は……ぁ……」


リセルは膝をついて、肩で息をした。

全身が火照っている。汗が止まらない。呼吸が浅い。額に手を当てると、脈が速くなっているのがわかる。


――魔力酔いの兆候だ。


頭がずきんと重く、足元がふらつく。


「っ……まだ、三回までしか使えないのに……これか……」


空気が揺れる。視界の端が少しだけ歪む。それでも、なんとか踏みとどまって、リセルは旅人のもとへ歩み寄った。

男は、土まみれの顔で、彼女を見上げた。


「お、俺……生きてる……?」


「うん。……多分、ギリギリ」


リセルは苦笑して、片手を差し出した。



旅人は、年若い商人だったらしい。

この辺りの森に時々現れるという魔物の噂を軽く見て、一人で荷車を運んでいたのだという。


「助けてくれて……ありがとう。本当に……」


何度も頭を下げる男に、リセルは恥ずかしげに肩をすくめた。


「通りがかっただけ。あんまり大したことしてないよ」


「でも、おかげで俺は生きてる。……これ、ほんの気持ちだけど」


そう言って、旅人は革袋から銀貨一枚と、銅貨数枚を差し出した。


「旅の途中だろ? あんたみたいな人にこそ、ちゃんと無事に行ってほしいからさ」


リセルは一瞬ためらったが、やがて静かにそれを受け取った。


「……ありがと。大事に使うね」



その夜。


焚き火の炎が落ち着いたころ、リセルはマントにくるまりながら、フレマをそっと抱いて座っていた。


「ねぇ、フレマ……やっぱり、三回が限界だよ。……まだ、無理だったね」


頭の奥がじんわりと重く、身体の芯がぐらぐらする感覚が残っている。

けれど――


「でも、今日の魔法は……ちゃんと“誰か”のために使えた気がする」


誰かを守るために火を使う。それは里で教わった通りの“正しい魔法の使い方”だった。

けれど、教科書よりもずっとずっと実感があった。

確かな重みと、達成感と、そして……ほんの少しだけ、誇らしさが。


杖の紅水晶が、焚き火の揺らめきを反射して優しく光った。

それはまるで、「よくやった」と言っているように見えた。

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