第十四話:湿地の跳ね声、火の子の咆哮
王都の南東に広がる草地の丘を越え、さらに下った先に――その湿地はあった。
昼を回った頃、リセル・フレアライトとフィリスの二人は、目的地であるグリュード低湿地にたどり着いた。
地面は柔らかく、水を多く含んだ苔と草の匂いが立ち込めている。時折、ずるりと足を取られるほど泥濘んでいて、陽射しのない日なら本当に足場が悪いだろう。
「ふぅーん……湿ってるけど、風は通ってるね。空気は悪くない」
フィリスが周囲を見渡しながら言った。
一方のリセルは、靴の泥を気にして小刻みに足踏みしていた。
「うう……想像よりぐちゃぐちゃ……」
「大丈夫?火の子ちゃん。転ばないでよ?」
「転びませんよ!!」
ふたりの声は、湿地に響きながらも、やがて遠くから――バシャン!という水音にかき消されていった。
*
それは、間違いなく“跳ねる音”だった。
水たまりが揺れ、藪がざわめき、続いて聞こえてきたのは――ぬめった重い足音と、濁った「グゴォォ……」という低い鳴き声。
「……来るよ、火の子ちゃん」
「はい……!」
視線を凝らす。
藪をかき分けて現れたのは――子供ほどの体高を持つ、大きなカエルだった。
全身はぬめった緑に覆われ、腹は膨らんでいる。
目は左右に飛び出し、まばたきもせず、じっとこちらを見据えている。
その横から、もう一体――二体。
依頼通り、三体のカエルが跳ねるように迫ってきた。
「数、ちょうどだね。さーて、まずは一匹潰そっか」
「了解……! 正面、私が引き受けます!」
リセルはフレマを構えた。
足場は悪いが、敵は火に強くないはず。
いける――冒険者初めての、魔法戦。
両足を踏み締め、呼吸を整える。
魔力の流れを体に引き込み、腹の底に炎の種を宿すような感覚。
「……いける……!」
相手が跳ねた。
水しぶきをあげて、こちらへ一直線に跳躍してくるカエルの魔物。
リセルは詠唱を始めた。
「――灯せ、紅の螺旋」
杖の先端に火が集まり、渦を巻いていく。
「焼き尽くせ――!」
そして――
「《フレイム・ピラー》!!」
地面を抉るように上がった炎の柱が、跳ね上がるカエルの腹に直撃した。
爆ぜた火花と水しぶきが混じり、悲鳴のような鳴き声が響く。
――それは、確かに、“冒険者らしい一撃”だった。
「よっしゃ! 一撃で怯んだよ火の子ちゃん!」
「まだ来ます! 左、もう一体!」
咄嗟にフィリスが前へ出て、腰から粉をばらまく。
「《フラッシュパウダー》!」
閃光が走り、飛びかかってきたもう一体が足を滑らせて地面に激突する。
その隙に、リセルが火球を構える。
「いけっ!」
二撃目の魔法が炸裂し、敵の背を焼く。
残る一体が咆哮をあげて、真正面から突っ込んでくる。
だが、もう怯まない。
リセルは一歩も引かず、魔力を集中させた。
(これで……今日は限界。でも、決める!)
杖を突き出す。
火の奔流が直撃。跳ねかかった魔物の体を包み込み、焼き払う。
水音、叫び、爆ぜる音。
全てが消えたとき――そこには、倒れた三体の魔物と、肩で息をするリセルの姿があった。
*
泥だらけの靴。火照った額。魔力酔いの前兆のような頭の重さ。
けれど――
「……勝った……!」
小さくつぶやいたリセルに、フィリスが親指を立てた。
「やるじゃん、火の子ちゃん。派手にぶっ放して、カエル三体まとめてごちそうさまって感じ!」
「う……今、ほんとに魔力ギリギリです……」
「ははっ、その顔、完全に“使い切りました”って顔してる!」
笑いながら、フィリスは泥だらけのリセルの肩をぽんぽんと叩いた。
「それにしても、あんたの火――見栄え、すごいよ。あれ見たら、“火柱”って呼ばれてもおかしくないかもね」
「それ、広めないでくださいよ……!」
二人は泥の中で、しばらく笑い合っていた。