第十話:火柱、モップを握る
冒険者登録を無事に終えたあと、リセルは、ギルドの依頼掲示板の前で腕を組んでいた。
「……さて、問題はここから、だよね」
ギルド登録証は手に入れた。名簿にも名前が載った。
けれど、現実は変わらない。
――財布の中身はゼロ。
――今夜の宿代すらない。
「とりあえず、お金を稼がないと……!」
リセルは目をぎらつかせ、掲示板を舐めるように見つめる。
魔物討伐、素材採集、護衛、迷子探し……どれも「初心者歓迎」と書かれてはいるが、難易度や距離に不安がある。
ふと、その中でひとつの札が目に留まった。
【倉庫清掃の手伝い】
依頼主:王都中央冒険者ギルド
報酬:銅貨6枚
内容:ギルド裏手の旧倉庫内清掃
期間:本日中
条件:Eランク以上、力仕事が可能な方
「……これ、行けそうじゃない?力はないけど……」
魔法も武器も必要なさそう。
何より、ギルドからの直接依頼。報酬がきちんとしていそうな安心感があった。
少し悩んで、決意する。
「よし……火魔導士リセル、記念すべき初仕事は……モップだ!」
*
案内されたのは、ギルド本館の裏にある古い石造りの倉庫だった。
扉は固く閉ざされていたが、鍵を開けた瞬間、ぶわりと埃と湿気が吹き出した。
「うわっ、なにこれ……!」
中には使われていない木箱や古い棚が並び、天井の梁には蜘蛛の巣がびっしり。床も薄暗く、歩くだけで足元から白い煙が立つ。
あまりの光景に、リセルは思わず呟いた。
「……これ、専門の人雇った方がよくない?」
けれど、背に腹は代えられない。
ホウキとモップ、雑巾、たらいを渡され、リセルは黙々と掃除を始めた。
「……これ、火で一気に炙れたら楽なのにね……でも、そういうの使ったら絶対怒られる……」
魔法で爆発物でも炙ったら、今度は“火柱”どころか“放火魔”になってしまう。
「冒険者って、こんなに地味なんだっけ……」
ひとりぼやきながら、棚の裏を磨き、天井の埃を払っていく。
非力な身体にはモップを振るだけでも一苦労。階段の隅をこすり、床を磨き終わる頃には、背中も腕もじんじんと痛み始めていた。
気づけば、口数すら減っていた。
*
やがて、窓から差し込む光の角度が変わり、影が長くなる。
「……終わった、かな……」
リセルはモップを壁に立てかけて、腰を下ろした。
袖は埃まみれ、髪も少し乱れていた。けれど、倉庫は見違えるほど明るくなり、空気もすっきりしていた。
黙々と、誰も見ていない場所での仕事。それでも、手を動かせば確実に綺麗になるのは少し気持ち良かった。
「魔法じゃないけど……これも仕事、だよね」
*
依頼完了を伝えると、事務手続きの担当者が小袋を差し出してきた。
「お疲れ様でした。こちら、報酬の銅貨六枚になります」
「……!」
リセルは丁寧に頭を下げ、小袋を手に取った。
じゃらりと鳴る金属の音が、妙に重く響いた。
「……たった六枚だけど、これが……私の“初報酬”なんだよね」
拳にぎゅっと力が入る。
豪華な戦利品も、派手な討伐報告もない。
けれどこの銅貨は、間違いなく自分の手で稼いだものだった。
ほんのすこし前まで、魔法の暴走で“火柱”と呼ばれて笑われていた少女が、こうして王都で、小さな一歩を刻んでいる。
「ありがと、フレマ。……これで、今日はちゃんと泊まれるよ」
背中の杖にそっと話しかける。
紅水晶が、夕陽に照らされてほのかに輝いた。