プロローグ-半端者リセル-
乾いた爆音が訓練場に響いた。
「ッ、また暴発だ!」
焔の里、中央の訓練場。その一角に、魔力の焦げ跡が黒々と煙を上げていた。
魔法陣が歪み、照準から逸れた火球が地面を焼く。標的にしていた石柱は無傷のままだ。
「はぁ……っ」
杖を握る手が震える。火の粉に炙られた頬が赤い。リセル・フレアライトは荒い息を吐き、苦笑めいた顔で呟いた。
「……まあまあ、今のはさっきよりマシでしょ?」
「バカ言え!」
喝が飛んだ。訓練場の端に立つ老婆が、ぼさぼさの白髪を風に揺らして仁王立ちになっている。
セナ・カルドン――焔の里最長老の魔女であり、リセルの師匠だ。
「何度言やあ分かるんだ! 制御しろ、火力を絞れ、魔力をなだめて通せ!」
「……してるよ!」
「お前の“してる”がそれか!? 里を焼く気か馬鹿者!」
リセルは言い返そうとして、ぐっと唇を噛んだ。
わかってる。自分でも制御が甘いのは。毎日繰り返して、何十回も怒鳴られてきた。火の出し方、魔力の流し方、意識の集中のさせ方。頭では理解している。けれど、どうしても“感覚”が追いつかない。
火は応えてくれない。
理屈通りになんて、動いてくれない。
「……火柱なんて、また呼ばれそうだな」
周囲のざわめきに、リセルは背を向けた。
火柱――。制御できずに上空へ爆発的に火を噴くその魔法の様子から、陰でつけられたあだ名だ。威力はあるが役に立たない。派手なだけの失敗作。笑い者。
それを最初に呼んだのは誰だったか。今では里の訓練生の間で、密かな綽名として定着している。
「――今日はここまで!」
セナ婆の一喝に、訓練場は解散となった。
みな、それぞれの仲間と帰っていく。笑いながら。励ましながら。
リセルは、ひとりだった。
*
夕暮れが山々の輪郭を沈めていく。里の灯りがぽつりぽつりと灯り始めるころ、リセルは誰にも見つからぬよう、裏道を通って宿舎に戻った。
誰にも声をかけられたくなかった。
荷物は、すでにまとめてある。数日前から少しずつ、少しずつ準備していたのだ。
保存食、換えの服、巻物と小さな魔導書。何より、大切な杖――《フレマ》。
その紅水晶が、日が暮れるにつれ淡く光り始めていた。
リセルはその杖を手に取り、そっと撫でる。
「……ねえ、フレマ。今日も怒られた。もう何度目かな」
返事はない。ただ杖が静かに、手のひらの温もりを吸い込んでいく。
「わかってるんだよ。魔力が荒いのも、火の流れが暴れてるのも。……でも、なんかもう……無理かもって思っちゃう」
ひとつ、息を吐いた。熱が胸の奥に溜まっていく。
「わたし、火の才能ないのかな」
初めて、口にした。
ずっと、言いたくなかった言葉。
でも、本当はずっと心の中でうずいていた。
それでも。
それでも――
「変わるしかない」
顔を上げる。赤い瞳が闇にきらめいた。
やらなきゃ、変わらない。ずっとこのまま、“火柱”のまま終わるなんて――絶対に嫌だ。
なら、ここにいても仕方ない。
「行こう、フレマ」
リセルは鞄を背負い、音を立てぬよう宿舎を出た。
夜の焔の里。訓練場には火の名残が揺らめき、誰もが深い眠りに落ちている。
里の外れの見張り柵を越え、静かに坂を下る。
月が明るい。赤い髪が銀に染まり、杖の紅水晶が淡く輝く。
その姿を、誰かが見ていた。
*
焔の塔の上――すすけた帽子をかぶった老婆が、煙草をふかして空を見上げていた。
「馬鹿弟子が……ようやく、飛び出したか。まったく……おせぇんだよ」
セナ・カルドンは呟く。
火の出来損ない。魔力の暴れん坊。燃費の悪い厄介者。
そう笑われてきた少女が、それでも懸命に魔法と向き合い、自分の火を手に入れようともがいてきた姿を、彼女はずっと見ていた。
「道は遠いぞ。……でも、燃え尽きさえしなけりゃ、お前の火は――どこまでも行ける」
煙草の火が落ちた。
その煙の向こうで、小さな灯火がゆっくりと、闇の中を歩いていく。
それはまだ頼りない、けれど確かに輝く、“意志”の火だった。