067. 黒咬病 (14)
※月の上から見る縁
静寂に満ちた白い空間。
そこは、神カグヤが世界を見下ろす“月の間”だった。
その水鏡には──
王都に戻ったアスランの姿、動き始めた治療師たち、そして王室の私室で向かい合う王と王妃の姿までもが映し出されている。
カグヤは頬に手を添え、くすり、と小さく笑った。
「……あらら。忍ったら。」
水鏡の中には、王妃が夫に尋ねる場面がある。
──“あのお方は、何者なのです?”
「あの子、姿は三女ちゃんと同じくらいだったわよねぇ。落ち着き方は、どう見ても年相応じゃないけど。」
カグヤは片目を細め、鏡の向こうの幼い王女を覗き込む。
三女は、純粋な瞳で兄弟に語っていた。
“おともだちになれる?”
「ふふ……友達、か。忍はああ見えて、人との縁にはすっごく鈍いのに、こういう子には、すぐ懐かれちゃうんだから。」
指先で水鏡を軽く撫でると、そこに王妃の姿が映り込む。
忍に向けられた、驚きと畏れ、そして興味。
「王家と繋がる……なんてことも、あるかもしれないね。あの子、国の未来に深く関わる子だから。」
一瞬、カグヤの瞳に、まだ誰も知らない“未来の光景”がよぎる。
──忍と王家の子どもが並び立つ姿。
──王と忍が肩を並べて語る場面。
──そして、この国が大きく変わる節目。
「さぁて……どう転ぶかな。」
カグヤは水鏡をそっと閉じる。
「でも、どんな道になっても、忍が悲しまない未来だけは、ちゃんと守ってあげるからね。」
ひらりと袖が揺れ、月の間に静かな余韻が落ちた。
※混乱と収束
王城の中では、アスランが届けた薬の仕分けが急速に進んでいた。
医師団長の指示のもと、液体薬はすぐに使用可能な量を確保し、粉末薬は神殿が中心となって保管庫へ運び込まれる。
城下の治療院では、夜明けを待たず患者たちが行列を作り始めていた。
「次の者を! 症状の確認を急げ!」
「熱のある者はこっちの列へ! 重症者は運び込め!」
医師たちは手際よく動こうとするが、未知の薬を前に、慣れたはずの手がわずかに震えていた。
そんな中、宰相が到着する。
「諸君。焦るな。この薬は、彼が命を張って持ち帰った物だ。慎重に、しかし確実に扱え。」
その言葉が、不安に傾いた空気を一気に引き締めた。
治療師たちは頷き、書面に記された“投与手順”に従って慎重に薬の準備を進める。
やがて、最初の患者が薬を口にした。
静かな沈黙。
医師たちの視線が一点に集中する。
患者は息を整え、しばらくしてから顔を上げた。
「……楽に……なった、ような……」
その瞬間、医師団の表情に光が走る。
「効いている! 続けろ!」
「次だ! 次を運べ!!」
王都の空気が、確かに変わった。
絶望の色が、わずかに和らぎ始める。
街の人々にもその声が広がった。
「……薬が効いたらしい!」
「本当に……治るのか!?」
「神が……見捨ててなかった……!」
まだ混乱は残るが、
王都全体に“救いが始まった”という明確な気配が満ちていく。
※王への召喚
その頃──。
アスランは王城の客間で、静かに眠っていた。
深い安堵と疲労が混ざり合い、目覚めは遅かった。
薄く差し込む朝の光が、ゆるやかにまぶたを照らす。
「……ここは……」
体を起こすと、周囲には丁寧に整えられた食事が置かれ、代わりに誰かが用意した厚手の上着が椅子に掛けられている。
扉が小さく叩かれた。
「失礼します、アスラン殿。陛下がお目覚めになり、あなたをお呼びになっています。」
近衛兵が丁寧に頭を下げる。
「……王が?」
「はい。治療が順調に始まったことを、直接お伝えしたいとの事です。」
アスランは小さく頷き、差し出された温かい茶を一口含んだ。
その瞬間、昨夜の光景、王都の上空へ駆け抜けた風、町の明かり、人々の視線が胸に蘇る。
「……良かった。本当に、間に合ったんだな。」
心の底から、そう思った。
食事を手早く終えると、近衛兵の案内で王の執務室へ向かう。
廊下を歩くたび、兵や侍女が深々と頭を下げた。
「あなたが……薬を……?」
「ありがとうございます。多くの者が救われています。」
アスランは照れくさく目をそらしつつも、胸に温かなものが広がっていく。
そして執務室の扉が開かれた。
王が立ち上がり、宰相が横で静かに微笑む。
「アスラン殿。おかげで王都は救われつつある。君の働きに、心から感謝する。」
王の声は、昨夜よりも力に満ちていた。
アスランは深く一礼する。
「……間に合って良かった。それが一番です。」
王は一歩近づき、若き飛行士の肩にそっと手を置く。
「忍殿や移動団──君たちがこの国にもたらした希望は、計り知れぬ。どうか、今後とも力を貸してほしい。」
アスランは迷わず頷いた。
「もちろんです。……俺たちの“家族”を守るためにも。」
王はその言葉に目を細め、確かに未来の明るさを感じ取った。
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