064. 黒咬病 (11)
病魔の治療は進みますが、傲慢な顔を持つ人たちが勝手な解釈で治療をします。
さて、どうなるでしょうね。
※高慢の代償
治療院の奥、薬調合室。
朝の治療が落ち着き始めた頃、二人の医師がひそひそと話し込んでいた。
「……本当にあの説明の通りでなければならんのか?」
「液体薬は確かに効いた。しかし……粉末など、医療師であれば扱えるはずだ。」
テーブルには、アスランが降ろした粉末薬の封印ケースがひとつ置かれていた。
封印符は剥がされ、中の白い粉が小皿に移されている。
本来、封印を解くのは医師長と神官の立ち会いが必要だった。
「この程度の薬、我々ならすぐに再現できるはずだ。」
医師の声には焦りと自尊心が混ざっていた。
横の医師がそっと尋ねる。
「希釈はどれほどで?」
「説明にあった量の倍だ。効きすぎて弱っている患者もいた。ならば濃いほうが早く治る。」
「それは…危険では?」
「治すのは我々だ。外から来た飛行士の指示など不要だ。」
そう言って、未調整の液体を作り、熱の残る男性患者へと投与した。
その結果は、五分と経たずに現れた。
※急変
「息が……荒い!?」
「皮膚の斑点が広がっているぞ!」
「毒性反応か!? 何をした!!」
治療院が騒然となった。
男子患者は身体を反らせ、激しい痙攣を起こした。
「だめだ! 出血が……!」
「脈が乱れてる!」
「すぐに解毒を──!」
医師たちは青ざめ、その場の全員が理解した。
薬の調整を誤ったのだ。
死亡の淵をさまよう患者は、医師長の応急処置により命をつないだものの、意識は戻らなかった。
医師長は震える声で問い詰める。
「何をした。何を与えたのだ!」
先の医師は顔を伏せた。
「説明書など不要と思い、自分で調整した薬を…」
医師長の顔色は青ざめ、震える手を抑えられなかった。
「馬鹿者がッ!! 粉末は……元々“強すぎる”のだ!! だから希釈が必要なのだ!!!」
医師たちは沈黙した。
そこへ、医療院へ駆け込んできたのは、宰相だった。
※宰相の怒り
「何事だ。」
治療院の空気が凍りつく。
宰相の背後には護衛が二名、そしてアスランも立っていた。
医師長が深く頭を下げる。
「申し訳ございません。一部の医師が……粉末薬を独断で扱い、患者を急変させてしまいました。」
宰相はゆっくりと視線を向ける。
「説明は受けていたな、アスラン飛行士から。」
医師たちは顔を伏せる。
「は、はい……しかし……我々王都の医療師に限って、薬の扱いを誤るはずがないと……」
「誤っているではないか。」
宰相の声は鋼のように冷たかった。
「そなたらの“高慢”ひとつで、患者は死にかけたのだ。」
医師たちは震え、言葉を失って地面に膝をついた。
アスランは沈んだ視線を向けながらも冷静に付け加える。
「粉末は、極めて濃度が高いんです。説明通りに希釈しないと、毒にもなりえます。」
宰相は医師たちの前で静かに言い放った。
「よいか。次に同じ失敗をした者は──」
空気が張り詰める。
「自ら、三千七百キロ先の島へ薬を取りに行け。」
医師たちは膝を震わせた。
「む、無理です!遠すぎます!」
「ならば、失敗は二度と許されぬと思うがよい。民の命は“そなたらの矜持”より重い。」
医師長は地面につくほど深く頭を下げた。
「……猛省いたします……!」
アスランは宰相に向かって静かに言った。
「怒るのは当然です。この薬は、国のすべてを救うためのものだから。」
宰相は息を吐く。
「アスラン飛行士。そなたの説明があったにも関わらず、この失態…重ねて謝罪する。」
アスランは首を横に振った。
「謝罪は不要です。ただ、もう二度と同じことが起きないように。」
宰相は強く頷いた。
「それは約束する。王都の治療を任せる以上、私も責務を負おう。」
治療院の空気は張り詰めたまま、しかし確かに、高慢さと混乱にまみれた空気がゆっくりと収束し始めていた。
王都の“救い”は、今まさに真価を問われようとしていた。
※神殿の白い祈り
夜の帳が王都を包み始める頃。
治療院では、次々と良い報告が上がっていた。
「この患者も熱が下がりました!」
「呼吸が安定しています!」
「黒斑が薄くなっています!」
宰相は胸を撫で下ろした。
だが、医師長の表情にはまだ影が残っていた。
「宰相閣下……追加の薬が必要になります。
現在の保管量では…王都全域を完全に治療するには足りませぬ。」
宰相はアスランに目を向けた。
「アスラン飛行士。粉末薬の再補給は、可能か?」
アスランは頷く。
「はい。島では大量に保管されています。必要なのは……正式な依頼です。」
「正式…か。」
宰相は深く息を吸い、医師長へ指示した。
「よし。神殿に向かうぞ。薬の補給を“王国名義”で申請する。」
※夜の祈祷室
白い石の床が月光を反射し、神殿内部は昼のように静謐だった。
宰相、医師長、そしてアスランは、神殿中央の祈祷室で跪いた。
大きな柱の間に立つ神官長が、厳粛な声で言葉を発する。
「薬の追加を、神に請うのだな?」
宰相は深く頭を下げる。
「王都での治療は進んでいます。しかし、王国領すべてを救うには、追加の粉末薬が不可欠です。どうか、神カグヤの御心を…」
神官長はアスランに視線を向ける。
「アスラン飛行士。そなたは“空の道”を担う者。追加薬の輸送も、そなたが行うのか?」
アスランは静かに答えた。
「はい。僕以外に、この距離を往復できる者はいません。」
神官長は頷き、祈祷台に両手を置き、深く目を閉じた。
空気が震え、祈祷室に淡い光が満ちる。
その光は柱から柱へ、壁から天井へと広がり、やがて、静かな声が響いた。
──聞こえている。
──追加薬の提供を許可する。
──王と民のために、届けよ。
神カグヤの声だった。
宰相も医師長もその場で頭を垂れ、アスランは深く息を吸った。
「承知しました、カグヤ様。行ってきます。」
光はゆっくりと消えていった。
※
白い神気がゆっくりと収束し、大聖堂の空気がようやく人の世界へ戻ってきた。
神官長の手には、カグヤからの許しを象徴する“金糸の許可証”が静かに輝いている。
「……アスラン殿。追加粉末薬の運搬、確かに神より許されました。」
神官長が両手で捧げ持つと、アスランは膝をついて受け取った。
「ありがたく、お預かりします。」
王が深く頷き、宰相は胸に手を当てる。
「そなたが戻るまで、王都の対策は我々が責任を持つ。道中の安全と、良き風があることを祈る。」
アスランは一礼し、神殿の大扉の方へ歩き出した。
※神殿前広場
扉が重く開くと、外の空気が冷たく流れ込んできた。
午後の光が石畳を照らし、その中央にアスランは静かに立つ。
「……格納庫展開。」
低い声で呟くと、足元の魔法陣が淡く浮かび上がり、幾条もの光が渦を巻く。
やがて空間がねじれ、光の向こうから、アスランの可変戦闘機が、ゆっくりと姿を現した。
神殿前に並ぶ衛兵たちが、思わず息を呑む。
「これが、空を駆ける器か。」
「音もせず出てきたぞ……」
彼らの驚きには目もくれず、アスランは機体の側面を軽く叩き、確かめるように翼から登って操縦席へ入った。
内部の灯が静かに点灯し、魔道エンジンの振動が身体に伝わる。
そのまま、見送っている宰相へと視線を向けた。
「宰相殿。戻るときは、先日着陸した訓練場に降ります。」
「承知した。兵を退避させ、空を空けておこう。」
アスランは計器を素早く確認し、数字を読み取りながら言った。
「往復時間……帰着予定は、八時間後 です。」
宰相の表情が一瞬動いた。
王も、わずかに感嘆を漏らす。
「八時間で、海を越え、空を制するのか。神の道具を預かった者の力、見せてもらおう。」
アスランは微笑を返し、キャノピーを閉じ、スロットルに手を置いた。
「さてと、行こうか!」
操縦席内で魔力回路が輝き、機体が音もなく浮上する。
地面の砂がふわりと舞い上がり、光が機体の周囲を滑る。
そのまま、天へ向けて鋭い加速を始めた。
空気を裂くように、白い光の尾が王都の空を駆け抜ける。
衛兵も、神官も、宰相も、息を止めてその軌跡を見送った。
やがて光は雲の上へ消え、静寂だけが広場に残った。
宰相が小さく呟く。
「……頼んだぞ、アスラン。この国を、病魔から守るために。」
王はただ、遠く消えた光の方を見据えていた。
※仮設基地
忍からの神通信が届いたのは、中央医療ブロックが静まり返った深夜だった。
忍の声は落ち着いていたが、その言葉の裏にある緊急性は十分すぎるほど伝わった。
『王都から追加の粉末薬の要請が来た。数は、前回と同量。お願いできますか、先生方。』
医師団長の老医師は、静かに眼鏡の位置を直した。
「国王陛下からの要請か。」
隣の若い医師が思わず姿勢を正す。
だが老医師は首を横に振った。
「いや。“師団長の命”だ。ならば、動かぬ理由は何ひとつない。」
その言葉が伝わった瞬間、医療ブロック全体が一斉に動き出した。
研究員たちが魔道圧縮機へ走り、調剤班が粉末生成装置の再起動を始める。
「製造ライン、前回と同設定で! 量は倍速で回せ、急ぐぞ!」
「保存瓶も予備を全部出せ! 封印は二重でいく!」
医療班の活気を聞きつけて、開発班の面々も駆けつけた。
「追加輸送か! ならドーム浮上させるぞ! 滑走甲板の明度を上げろ!」
「前と同じ輸送コンテナ四基! 詰め込み数も前回と同じだ!」
瞬く間に、仮設基地は完全な“出迎え態勢”へと変わっていった。
※アスラン到着
ドームを覆っていた海中迷彩が解除され、巨大な外殻がゆっくりと海面へ浮上。
その甲板に、白い光を引きながらアスランの機体が帰ってきた。
「ドーム空けろ! 着陸体勢入る!」
「誘導灯点灯! 滑走路クリア!」
着地した瞬間、整備班が一斉に駆け寄る。
「アスラン飛行士! まず空の輸送ポッドを外す!」
「左翼ポッド解除、よし! 胴体下、外れるぞ!」
機体の周囲は熱気に包まれた。
アスランが機体を降りると同時に、調剤班の代表が薬入りコンテナを掲げる。
「追加分、ちょうど今準備できた!」
「速かったな……! 本当に助かる!」
「おう! 国王とか関係ねぇよ。 忍師団長の依頼なら死んでもやるわ!」
その背後で料理班が湯気の立つ大鍋を抱えて走ってきた。
「アスラン飛行士! 食わなきゃ飛べんだろ! ほら、急いで腹に入れろ!」
差し出されたのは熱々のスープと肉包み。
アスランが礼を言いながら食べ始めると、整備員が後席側に大きなトランクを積み込み始めた。
「これは?」
アスランが眉をひそめると、整備班の兄ちゃんが胸を張った。
「子どもたちへの土産だよ! お菓子な! みんなの分、ちゃんと詰めた!」
別の研究員が笑いながら声を足す。
「そっちは粉ミルク! 乳児がいるって聞いた? 足りないと困るからな!」
「おい、翼下のポッドにも詰めてあるからな! バランス気をつけろよ、着陸でひっくり返るぞ!」
アスランは思わず苦笑した。
胸の奥が温かくなる。
「……ありがとう。 本当に、助かる。」
薬の輸送許可証を神官長から渡されたことを告げると、開発班のリーダーがぐっと親指を立てた。
「気にすんなアスラン。 俺ら、師団の仲間だろ? 遠慮とかいらん。 持っていけ、全部!」
「絶対に届けろよ!」
周囲からも声が上がる。
「今回は粉末が多いぞー!」
「子どもらによろしくなー!」
「無理すんなよ!」
アスランは深く息を吸い、胸が熱くなるのを感じた。
※発進
「輸送ポッド、全基装着完了!」
整備班長の叫びが甲板に響く。
アスランは食べ終えた器を返し、操縦席へ駆け戻った。
キャノピーが閉まり、魔導エンジンが唸りを上げる。
甲板の端に集まった仲間たちが、それぞれ手を振り、拳を掲げる。
アスランは別カメラでその姿を映し、小さく呟いた。
「……ありがとう。 必ず届ける。」
スロットルを押し込み、機体は魔力光を尾に引いて宙へ浮かぶ。
「アスラン飛行士、発進クリア!」
「行ってこい!!」
「気張れよー!!」
全員の声援を背に受け、アスランの機体は、黒海の空へ、まっすぐ王都へ向けて飛び立った。
光は一度、雲の中で揺れ、次の瞬間には、遠い空へ消えていった。
アスランは仲間たちの心意気とともに空へ。
まだまだ続きます。




