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062. 黒咬病 (9)

住民救出と病原獣の捕獲を終えたコルキスの街は、

撤去された領主館の跡に灯された“最初の火”を囲み、

ようやく恐怖の夜を終えようとしていた。

※小さな炎


領主館の撤去作業が終わった夕刻。

空き地になった中央広場には、途切れ途切れだった陽光がようやく差し込み、街の中心に柔らかい風が流れていた。


瓦礫は仕分けられ、材木は整然と積み上げられ、残ったのは、ただ広く静かな土の地面。


そこに、ひとつの焚火台が置かれた。


捕縛隊の兵士が薪を組み、移動団の職人が火口を整え、住民の子どもたちが手を合わせて見守っている。


イオスは広場の端に立ち、集まる人々を静かに見渡した。


不安、疲労、そして希望。

街の人々の顔には、多くの感情が折り重なっていた。


しかし、今日、そのすべてを照らす“光”が灯される。


※炎が灯る瞬間


捕縛隊長がイオスの隣に立つ。


「……長い夜だったな。」


イオスは短く頷いた。


「はい。けれど、これで終わります。」


その言葉を背に、火口に火打ち石が打ち付けられた。


 カチッ……

 カチッ……

 パッ……


小さな火花が散り、乾いた藁がぱちりと音を立てる。


次の瞬間、細い炎がゆらりと立ち上がった。


 ボウ……


優しい橙色の光が広がり、風がそれを抱きしめるように揺らした。


ざわめきが広場に走った。


「火だ……」

「焚火だ……」

「……久しぶりに見た。」


住民の誰かが涙をこぼし、子どもがそっと手を伸ばそうとする。


母親が慌ててその手をつかむが、笑って言った。


「ほら、あったかいね。」


※街を照らす光


捕縛隊も、移動団も、そして街の住民も、輪を描くように火の周りに集まっていく。


火がパチパチと弾けるごとに、街の空気が少しずつ緩んでいくのが分かった。


恐怖で固まっていた顔が、火の暖かさでゆっくりとほぐれていく。


イオスは皆を見渡し、静かな声で言った。


「この炎は、今日を終わらせるための火ではありません。この街が、もう一度立ち上がるための“最初の灯”です。」


捕縛隊長も加えて言う。


「そしてこれが、この街を守る者と住む者、すべての心をひとつにする火になる。」


火はゆらぎ、その光は広場を越えて街路の影まで伸びていく。


住民たちは焚火のそばで言葉を交わし、初めて流れた穏やかな笑い声が、夜の空へと静かに上がっていった。


子どもが小さな声でつぶやく。


「街……もうこわくない?」


母親が焚火を見つめながら答える。


「うん。ここから、また始まるんだよ。」


その言葉は、焚火の光に照らされ、未来へと溶けていくように見えた。


※守り”が根を下ろす


焚火の炎が落ち着き、住民たちが温かな光の余韻に包まれる中、イオスは捕縛隊長とともに、広場に残された更地へ歩み出た。


そこは、かつて領主館があった場所。

街の人々が長く恐れ続けた建物の跡には、今はただ、ひらけた空と柔らかな土の匂いだけがあった。


「ここを、宿泊地にする。」


捕縛隊長のその一言で、兵たちが即座に動き始めた。


※捕縛隊の設営


捕縛隊の兵士たちは慣れた手つきで荷車から木材を下ろし、地面に杭を打ち、簡易天幕を次々と張り始める。


トン、トン、トン―

規則的に響く金槌の音が、街に“安心の音”として広がっていく。


周囲の住民たちは驚いたようにその作業を見つめ、やがて誰かが声をかけた。


「手伝いますか?」


捕縛隊長は頷き、微笑む。


「ありがたい。軽い資材を運んでもらえると助かる。」


その言葉をきっかけに、若者も、職人も、女性たちも、思い思いに板材や工具を手に取り、設営作業に混ざっていった。


騎士と住民が肩を並べて杭を打ち、子どもたちが小さな布袋を運んで歩く様子に、街の空気が少しずつ明るく変わっていく。


※移動団の野営地移動


一方、広場の東側では、移動団の天幕がゆっくりと移されていた。


医療馬車が安全な位置に停められ、調理場の鍋が足場の良い場所へ移され、訓練用のスペースも設けられる。


移動団の団員たちは手際よく動きながら、住民へ声をかけた。


「ここは怪我人の搬送ルートに使う。物を置き過ぎないように」

「水はこの樽に集めて。衛生管理は徹底しましょう。」


街の人々は、その専門性に目を丸くしていた。


「す、すごい……これが旅団の働き…?」


「プロって感じだ…。」


イオスがその様子を見守りながら言う。


「移動団と捕縛隊が並んで動くことで、街中のどの場所でも迅速に対応できます。」


住民代表のサロットが感嘆の声を漏らす。


「なるほど…中心に守りがあれば、街は落ち着くのですね。」


「ええ。ここが、街の“心臓部”になります。」


※医療班の準備


敷地の南側、木の陰では医療班が動いていた。


薬箱を開け、採取した菌塊の解析準備を整え、軽症者と避難児童の診察も続けている。


温かな灯りの下で、白布の袖がせわしなく揺れた。


医療班の女性が住民の女性に声をかける。


「少し休んで。子どもさんの顔色も良くなっていますよ。」


その言葉に、母親の目から涙が溢れた。


「本当に、ありがとうございます。」


医療班の者は穏やかに微笑む。


「あなたたちが生きていてくれて良かった。それだけで十分です。」


※守りの砦


夕日が沈む頃、更地だったはずの広場には捕縛隊の天幕が整然と並び、その隣には移動団の野営地が温かく光っていた。


焚火の揺らめきが、まるで街を守る灯台のように広場を照らす。


住民たちの表情も、朝とはまるで違っていた。


不安に縮こまっていた瞳に、少しずつ“安心”と“責任”の色が混じり始めている。


捕縛隊長がイオスに言った。


「これなら、夜襲の心配も少ない。住民たちも落ち着くだろう。」


イオスはうなずき、明かりが灯った天幕を見つめる。


「ええ。復興の拠点としては……十分すぎるほどです。」


街の中心に、やっと“安心して眠れる場所”ができた。


そしてそれは、コルキスの本当の再生が確かに始まったという証でもあった。


※混乱の街に、再び「声」と「決定」が生まれる


更地となった広場の一角。

領主館の瓦礫を片付けた場所に、新たに大きな天幕が張られていた。


その内部には、街の地図、物資の一覧、避難民の数。

あらゆる情報が並べられ、まるでその場所だけが別の“街の頭脳”であるかのようだった。


イオスは机の端に立ち、集まり始めた街の主要メンバーを迎えた。


商業ギルドのサロット、職人組合の若き組頭、農地管理を担うバレンツ家の当主、医療助手の代表、

そして住民代表の女性。


彼らは皆、不安と責任を抱えながら、天幕の中に足を踏み入れた。


※会議の開幕


捕縛隊長が場を見渡し、静かに告げた。


「本日より、ここを、コルキス臨時評議会の会場とする。」


天幕の中に緊張が走る。


イオスが続ける。


「領主は捕縛され、街の統治は完全に空白となりました。しかし、住民救出も、病の収束も、最終的には“この街をどう運営するか”にかかっています。」


サロットが、不安を隠せない声で言う。


「わ、我々に……できるでしょうか?」


イオスは地図を指しながら答えた。


「できます。むしろ、この街の未来は、ここに集まったあなた方にしか作れません。」


※住民代表の発言


住民代表の女性が手を挙げた。


「私は昨日まで、この街が救われるなんて思っていませんでした。

 でも…皆さんが戻ってきて、病の原因まで捕まえて…ようやく、前に進んでもいいのだと思えました。」


涙を拭い、顔を上げる。


「だから、私たちも動きます。ただ守られるだけの街には…戻りたくありません。」


その言葉に、天幕の空気が静かに変わった。


不安から、覚悟へと。


※各代表の応答


サロットは深く息を吸い、


「商業ギルドは物資の再配分を担当します。逃げ散った荷車や倉庫の管理…私たちが責任を持ってやります。」


職人組合の若き長は拳を握る。


「倒れた家の補修や、壊れた街路も、俺たちがやる。手も技も、まだ街に残ってる。」


バレンツ家の当主も立ち上がる。


「農地の管理、収穫物の確保、避難者への供給…我が家の者たちをすぐに動かします。」


医療助手の代表は静かに言う。


「街の医療は私たちに任せてください。医療班とも協力します。」


それぞれの“覚悟の声”が、ひとつひとつ積み重ねられていく。


※臨時評議会、成立


イオスは皆の顔を確認し、ゆっくりと宣言した。


「本日をもって、コルキス臨時評議会を…正式に発足とします。」


天幕の中に、静かな拍手が広がった。


それは大きな音ではないが、誰もが未来を見つめて手を合わせた拍手だった。


捕縛隊長が最後に締めくくる。


「街を守るのは我々捕縛隊だ。だが、街を動かすのは、お前たちだ。」


イオスが頷き、言葉を添える。


「この天幕から出る決定が、コルキスを救う。そして、未来を作る。」


天幕の中央に置かれた地図が、夕日を受けてわずかに光った。


コルキスは、ようやく「決断する街」へ戻ったのだった。


※静寂の寝所に落ちる、銀の声


その夜。

王都の空は雲ひとつなく、月だけが凛とした光を放っていた。


王城の最上階、王の私室は深い静寂に包まれている。


しかし、王が眠りについたその瞬間、部屋の空気が静かに揺らいだ。


淡い光の粒が布団の上に降り、やがて女性の姿を象る。


白い衣の袖が風もないのに揺れ、髪は月明かりを帯びて静かに流れている。


神カグヤだった。


眠る王の額にそっと手をかざすと、夢の中に柔らかく声が落ちた。


※王の夢の中


王は広い白の世界に立っていた。

その前に、神カグヤが穏やかに微笑んでいる。


「……カグヤ様。」


王は膝をつき、深く頭を垂れた。


カグヤは静かに首を振る。


「頭を上げて。今日は“告げに来た”だけです。」


王が顔を上げると、カグヤの指先から一筋の光が伸び、夜空を描く景色が浮かび上がった。


遥か遠い地で、ひとつの光が飛ぶ軌跡が見える。


「これは……?」


「アスランが、薬を運んで来ます。明日の朝。空を裂く白い光が王都に降り立つでしょう。」


王は息をのんだ。


「空から……? そのような……前例が……」


カグヤは微笑む。


「前例がないからこそ、未来を届けられるのです。」


※宰相の夢


その頃、宰相も同じ夢を見ていた。


彼が立つのは、王城の庭。

そこにもカグヤが現れた。


「宰相よ。明朝、薬を届ける飛行士が王都へ到着します。」


宰相の眉間がわずかに寄る。


「……準備を整えよ、ということですね?」


「ええ。訓練場を整え、降りるための場所を確保しなさい。騎士団には夜明け前から配置につかせること。」


宰相は深く頭を下げた。


「承知しました。王都の未来のため、この身にできる限りの準備をいたします。」


カグヤは優しく微笑んだ。


「あなたたちの努力が、多くの命を救います。…どうか、悔いなく進みなさい。」


※夜明け前の王都


王と宰相が同時に目を覚ましたのは、まだ空が白むより早い刻。


互いの部屋から出た二人が廊下で顔を合わせ、短く頷いた。


「見たか。」

「ええ。夢ではなく……神託でした。」


二人の瞳には同じ決意が宿っていた。


宰相が即座に声を上げる。


「近衛、起床だ! 王の命である! 訓練場の整備を直ちに開始せよ! 空の使者を迎える準備を急ぎなさい!!」


王都に緊張が走り、城の中庭には松明が灯され、騎士たちが走り出す。


王は静かに空を見上げた。


「…どうか、無事に届くように。」


その祈りは、まだ暗い夜空の向こうへと吸い込まれていった。

ひとつの再生と、ひとつの予兆。

二つの土地で動き始めた変化は、やがて大きな流れへとつながっていく。

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