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061. 黒咬病 (8)

旧下水路で媒介獣と菌塊を確保した追跡隊は、夜明け前の街へ戻った。

住民は震え、不安は街全体を覆っていたが、原因の捕獲という確かな一歩が人々にかすかな光をもたらす。

そして臨時評議会が発足し、領主館の撤去――“街の再生”に向けた最初の作業が始まろうとしていた。

※街への搬出と制圧宣言


旧下水路を抜け、夜気の張り詰めた外へ出たとき、追跡隊は一斉に深く息を吐いた。


湿った土と獣の臭気がまとわりつき、心臓の鼓動がまだ耳に残っている。


イオスは封印布で包んだ媒介獣の身体を確認し、手に持つガラス瓶の栓をもう一度固く確かめた。


瓶の中の黒い菌塊は、まるで沈黙した心臓のように動かないまま、暗いガラス底に沈んでいた。


「……これで、街を救える。」


自分に言い聞かせるように、イオスは静かに呟いた。


捕縛隊長が隣に立ち、泥まみれの斥候たちを見渡す。


「よくやった。ここまで来られたのは、お前たちのおかげだ。」


隊員たちは息を整えながらも、誰ひとり気を緩めていなかった。


まだ、街には病が残っている。

そして、救われるべき人々がいる。


イオスが無線機を取り出し、高台の本陣へ向けて報告を送る。


「こちら追跡隊。

 媒介獣一体の捕獲、および黒咬病菌塊の採取に成功した。

 旧下水路内部は危険度高く、巣の存在も確認。

 詳細は後ほど。……これより街へ搬出する。」


すぐにアスランの声が返る。


『了解。医療班へ連絡済みだ。高台へ戻れ。道中、周囲の警戒を続けろ。』


イオスは短く頷き、隊員たちへ向けて声を上げた。


「行くぞ。ここからが本当の勝負だ。気を抜くな。」


捕縛隊の二名が、封印布ごと媒介獣を抱え上げる。

魔導布がうっすらと光り、中に潜む獣の動きを完全に封じ込めていた。


その後ろには、菌塊の瓶を抱えるイオスと、斥候たちが続く。


街へ向かう坂道に足を踏み出すと――

高台の方向から、誰かの小さな声が聞こえた。


「……戻ってきたぞ!」


別の声が続く。


「追跡隊が帰ってきた!」


その声が波紋のように広がり、街道の両側に立つ住民たちがざわめいた。


灯りを手にした人々が道を開き、疲れ切った追跡隊を迎え入れる。


捕縛隊長が静かに宣言した。


「旧下水路の原因を確保した。黒咬病の“媒介獣”だ。街は……もう恐れる必要はない。必ず治す。必ず元に戻す。」


その言葉に、逃げ惑ってきた住民たちの顔に、わずかながら光が戻る。


誰かが涙声で呟いた。


「助かるのか……? 本当に……?」


イオスは瓶を掲げ、街の人々に向けてはっきりと告げた。


「ここにある“病の核”を医療班へ届け、治療の手掛かりにする。

 もう逃げなくていい。ここからは、私たちが守る。」


高台の灯りが、追跡隊の背中を温かく照らした。


制圧が告げられた瞬間、街の空気が変わり始めた。


恐怖に凍りついていたあの空気に、ようやく、かすかな希望の息が吹き込まれたのだった。


※臨時会議


高台に敷かれた大きな天幕の下。

焚火の残り香がまだ漂う早朝、捕縛隊と移動団の要人たちが集まっていた。


天幕の中心には簡易の木机が置かれ、その上にはコルキス街の古い地図と、捕獲された媒介獣の報告書が広げられていた。


イオスが机に手を置き、静かに口を開く。


「まずは、全体状況の確認から始めます。街中の住民救出はひと段落しました。現在、医療班が症状別に振り分けて治療を継続しています。」


捕縛隊長が頷き、続ける。


「問題は……街の統治だ。」


その言葉に、周囲の空気がわずかに重くなった。


天幕の端には、街の商人、職人、農地管理を担っていた中立貴族、“街の代表”たちが数名、不安げに立っていた。


その中の一人、中年の商人が口を開く。


「領主様は……? 街のことを指示してくださるのでしょうか……?」


イオスは短く息を吸い、核心を告げた。


「領主は既に捕縛済みです。密貿易の主犯であり、黒咬病の元凶を街へ持ち込んだ張本人。これ以上、領主が街を導くことはありません。」


天幕に、静かなざわめきが広がる。


商人たちの肩が落ち、誰かが呟いた。


「……やはり。あの混乱は、ただ事ではないとは思っていました。」


捕縛隊長が前に出る。


「街には今、正統な指揮権がありません。住民が生き残ったのは幸運ですが、統治者の不在――“行政の空白”が生じています。」


イオスが地図を指差す。


「街の防衛、物資の再配分、避難場所の統一、治療の継続。これらを誰かが担わなければ、救出した住民も再び混乱に戻るだけです。」


そこへ、若い職人代表が震える声で言った。


「ですが……私たちは政治も統治も学んでいません。どうすれば……?」


イオスは静かに首を振った。


「必要なのは完璧な領主ではありません。この街を想い、残された人々を見捨てない覚悟を持つ者です。」


捕縛隊長が続ける。


「臨時で良い。街の代表者を集め、評議会を作りたい。我々捕縛隊が治安と護衛を担当する。だが、街の運営は、街の者たちが決めるべきだ。」


天幕の奥に並んだ住民たちの表情が変わる。

恐怖ではなく、不安でもなく、責任を帯びた覚悟の色へと。


最後に、商人の代表が深く頭を下げた。


「……分かりました。街のために、臨時の評議会を作りましょう。私たちで、立て直します。」


イオスはその姿に静かに頷いた。


「心強い言葉です。では、臨時会議を正式に開始します。」


その瞬間――

コルキスの街は、ようやく“再建へ向けて動き出す”第一歩を踏み出したのだった。


※貴族・職人代表の招集


臨時会議の方針が決まったあと、イオスは街の代表者を集めるため、捕縛隊長とともに街の中心部へ向かった。


朝靄の残る街路には、昨夜の混乱の名残がまだ色濃く残っている。

倒れた荷車、壊れた屋台、散乱した生活道具――

そしてそれらを黙って拾い集めている住民たちの姿。


イオスはゆっくり歩きながら周囲を見回した。


(この街には…まだ“生きる意志”が残っている。)


それだけで、彼の足取りは少しだけ軽くなった。


※街の代表者を探して


捕縛隊長が声を上げる。

「街の運営経験がある者、商業ギルドの幹部、職人組合の長、そして土地管理を行っていた中立貴族。その者たちを呼び集めたい。」


イオスは手早く班を編成し、住民へ丁寧に声をかけていく。


「商業ギルドのサロット殿はどこに?」

「木工と建築工の組合長は?」

「農地管理を行っていたバレンツ家のご子息は?」


そのたびに、住民が緊張した面持ちで案内してくれる。


一軒、また一軒。

家の扉を叩くたび、中から不安そうな顔が現れ、イオスたちの言葉に驚きと動揺が混ざった声で応える。


しかし、「街のために」と伝えると、その表情は少しずつ変わっていった。


※商業ギルドの幹部


「臨時評議会……? わ、私が……?」


サロットと呼ばれた男が目を丸くする。

イオスは丁寧に頭を下げた。


「商業の流通は街の生命線です。あなたの経験が必要です。」


しばし考え、サロットは強張った拳を胸に当てた。


「……できる限り、やってみます。」


※職人組合


木工組合の長は、まだ若いが腕も人望もある職人だった。


「街の再建を手伝いたい気持ちはあるが…今の街を動かすとなると責任が重い。」


「責任は分け合えばいい。あなたひとりではない。」


イオスの言葉に、彼は力強く頷いた。


「わかった。俺はやる。この街に、もう一度灯りを戻すために。」


※中立貴族・バレンツ家の若き当主


最後に訪れたのは、古い石造りの屋敷で暮らす若い当主だった。


痩せているが、瞳は意外と強い意思を宿している。


「領主が捕縛された以上、街の土地管理は、臨時でも、あなたが最適です。」


イオスの言葉に、当主は少し驚き、そしてゆっくりと立ち上がった。


「……逃げると思われたくはない。バレンツ家は、街のために働こう。」


※全員が集まった天幕で


全ての代表が揃ったのは、太陽がようやく街の屋根を照らし始めた頃だった。


天幕に戻ると、捕縛隊長が深く頷く。


「これで、街を再建するための“核”が揃った。」


住民代表たちは緊張した面持ちで席につく。

誰もが不安を抱え、しかし同時に、“街を立て直すのは自分たちだ”という確かな責任を胸に抱いていた。


イオスは地図を広げ、静かに言う。


「これより、臨時評議会を開始します。街を、元の姿へ―いえ、それ以上の姿へ戻すために。」


その瞬間、コルキスの復興が本当の意味で動き出した。


※領主館の撤去


臨時評議会がひと区切りついたあと、イオスと捕縛隊長は街の中央へ向かった。


そこには、かつて領主の権威を誇っていた巨大な館が、暗い影を落としてそびえ立っていた。


かつての華やかさはもうない。

窓は割れ、壁は剥がれ落ち、人々が怯えて逃げ惑った夜の爪痕だけが残っている。


住民たちが一定の距離を置いて見守っている中、イオスは深く息を吸い込んだ。


「……ここを、取り壊す。」


捕縛隊長がうなずく。


「街の者たちにとっては、ここは恐怖そのものだったのだろうな。」


近くに立っていた老人が、小さな声で漏らした。


「ここを見るだけで震えるんだよ…あの領主は、病を隠し、私たちを道具のように扱った……。」


その言葉に、周囲の住民たちが静かに頷いた。

イオスは小さく頭を下げ、隊員と職人たちに向き直った。


「材料は全て再利用する。使える木材や石は回収して、街の修繕や避難所に回してほしい。領主の残したものを、街の力に変える。」


その言葉を合図に、捕縛隊と職人たちは一斉に動き始めた。


※解体の開始


まずは入り口の大扉が外される。

厚い木板がギィ……と音を立て、長年の圧政の象徴がゆっくりと地面に降りた。

次に壁の補強が外され、職人たちが手際よく支柱を切り離していく。

住民の誰かが思わずつぶやいた。


「……壊れていく。」


その声には悲しみではなく、長い呪縛から解放されるような安堵があった。

子どもたちでさえ、目を丸くしてその光景を見つめていた。


「ここに……新しい家ができるの?」


「そうだ。避難した人たちの宿になる。」


そばにいた母親が、子どもの肩をそっと抱いた。


「もう怖がらなくていいんだって。」


※象徴の崩落


やがて、中心となっていた梁が切り離されると、館全体が、ひとつ大きな息を吐いたように揺れた。


イオスが声を上げる。


「離れろ! 崩れるぞ!」


全員が後退し、息をのんで見守る中――


 バサァァァン――!


領主館はゆっくりと、しかし確実に崩れ落ちていった。


立ち上がった土煙が朝日の中に混ざり、まるで街の長い悪夢が、空へ溶けていくようだった。


住民の中から、自然と拍手がわき起こった。


「終わったんだ……」

「これでもう、怯えなくていい。」

「始められる……ここから。」


捕縛隊長も腕を組みながら小さく頷く。


「街の再建は、ここから本当の意味で始まるな。」


イオスも、静かに応えた。


「はい。この更地を……街の希望の場所にしましょう。」


※更地の活用へ


瓦礫の選別が進み、使える石材や木材が丁寧に積み上げられていく。


夕方には、大きな空き地が姿を現していた。


捕縛隊と移動団の宿泊地をここに移すことで、住民の目が届く場所に“守りの中心”ができる。


さらに、隣接して臨時の医療所と評議会場も設置される予定だ。


住民代表のひとりが感慨深げに言う。


「……あの館が消えただけで、街が少しだけ明るく見える。」


イオスは微笑んだ。


「闇が深かった分、光も強く感じるのでしょう。さあ、次は街の整備だ。皆で、前へ進みましょう。」


こうしてコルキスは、象徴の破壊を経て、本当の意味で“再生”へ向けて踏み出した。

恐怖の象徴だった領主館は取り壊され、街の中央には広い更地が残された。

それは同時に、再生の土台でもある。

街はようやく、逃げ惑うだけの夜を終え、新しい朝へ向けて歩き始めた。

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