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055. 黒咬病(2)

海の底に隠された、技術者たちの夢の器。

そこから再び空へと飛び立つアスラン飛行士は、人々を救うために、神の目にも届かぬ場所へ向かう。

この夜、彼の翼はただの兵器ではない。

命を運ぶための“祈りの道具”となる。

そしてその途中、ひとつの閃きが生まれる。

「命は熱を持つ。その熱で、命を探せるかもしれない。」

科学と魔法、理性と直感。

それらが交わる時、異世界の夜空に、人類の新しい目が開かれようとしていた。

春の朝、王都の空気は透きとおっていた。

桜が散るにはまだ早いが、月桜城の堀を渡る風には、花の香がほのかに混じっている。

城門前の広場では、金の鎧をまとった捕縛隊が整列していた。

陽光に照らされた桜の紋章が、鎧の胸で静かに光る。


回廊の上に王と宰相の姿が現れると、人々のざわめきが一斉に静まった。

角笛の音が風を裂く。


「王命により、捕縛の行軍を開始する。神の加護を胸に刻み、正義の剣を掲げよ。」


王の声は穏やかだったが、広場全体がその言葉の響きに震えた。

兵たちは膝を折り、剣を掲げて誓いの礼をとる。

群衆の中では子どもたちが桜の枝を振り、老いた者たちが静かに手を合わせた。


角笛が再び鳴る。

捕縛隊の列がゆっくりと進み出す。

花びらが舞い、鎧の間を抜けていく。

通りの両脇には商人や市民が並び、香草と花を投げて見送った。

誰もがその背に祈りを託す。



やがて行軍の列は、王都の大聖堂前に集結した。

巨大な扉が開かれると、冷たい聖気が街路に流れ出す。

堂内の祭壇では、神官たちが古の祈祷を唱えていた。

中央に据えられた水晶盤は、王城からの神力を受け、淡く光を放っている。


宰相が前に進み出て声を張る。

「捕縛隊、転送の儀に入る!」


兵たちは円陣を組み、剣を地に突き立てた。

神官長の祈りが響き渡る。


「神カグヤの御名において、道を開かん。」


眩い光が大聖堂を満たす。

地が低く唸り、鎧の金具が共鳴した。

兵たちの視界が白く染まり、最後に王の姿が浮かぶ。


「我らの目と心は汝らと共にある。」


その言葉とともに光が弾け、捕縛隊の姿は消えた。

残されたのは、花びらと暖かな風だけだった。



次に彼らが目を開けた時、そこは海風の匂いが混じる丘の上。

クラズ神殿の外縁だった。

迎えに出た神官たちが祈祷を唱え、転移の揺らぎを鎮めていく。

空は蒼く澄み、遠くには内海がきらめいていた。


「ここが……神殿か」

兵たちは驚きと敬意の入り混じった声を漏らした。

神殿の大理石が陽を受け、白く輝く。

その光は、まるで王都の加護をまだ宿しているかのようだった。


神官長が一人ひとりに聖水をかけ、「道行きに祝福を」と告げる。

捕縛隊は短く礼を返し、供えられた食糧と薬草を受け取って再び前進を始めた。



ノヴォミ教会に着いたのは、夕暮れが近い頃だった。

鐘楼の鐘が鳴り、巫女たちが白い衣を翻しながら出迎える。

「旅人よ、光の下にあれ。」

聖歌が流れ、兵たちの疲れた顔がわずかに緩む。


教会では暖かなスープが配られ、

司祭が祈祷とともに治癒の魔法を施した。

誰もが言葉少なにそれを受け、再び鎧を締め直した。

夜風の中に、祈りと焦燥が混ざる。



夜半を過ぎたころ、捕縛隊は高台スモトロにたどり着いた。

風が冷たく、草原の上を流れる雲が月を隠す。

隊長は馬を止め、背の鞍から通信球を取り出した。

淡い光が玉の内部を走り、かすかに王都の映像が浮かび上がる。

月桜城の塔、そして大聖堂の尖塔。


だが、その光は次第に揺らぎ、やがて砂のように崩れて消えた。

通信球が届くのは、ここが限界。

王都からの声も、もう届かない。


「ここが、王都を見納める場所だ。」

隊長の声が夜気に溶けた。


誰もが無言で剣を握りしめる。

風が旗を鳴らし、桜の紋が月明かりに揺れた。

彼らの胸の奥には、まだ王都の朝の声が残っている。


「夜明けには、また花が咲くさ。」

誰かがそうつぶやいた。

いくつもの笑みがこぼれ、捕縛隊は夜の帳を押し分けるように進み出した。


王都の光はもう届かない。

だがその胸には、確かに誓いの火が灯っていた。



夕陽が高台の背を染めはじめたころ、捕縛隊は南東へと陣を移した。

草原の向こうには、移動団の旗が翻っている。

白地に青の環、医療と旅を象徴する印。

それを見た隊員たちの顔に、わずかに安堵の色が差した。


間もなく、移動団からの使者が現れる。

医療団所属の青年と、護衛を務める女騎士。

互いに敬礼を交わすと、青年が微笑んで告げた。


「お待ちしていました。団長がお話ししたいと。宿営地をこちらの隣に設けています。」

捕縛隊の隊長と副長がうなずき、彼らの案内で移動団の陣へと向かう。


テント群の中央では、灯火が柔らかく揺れていた。

その奥、円卓を囲んで開かれた会議には、

移動団の首脳陣と捕縛隊の幹部が顔をそろえた。


広げられた地図の上には、いくつもの印が記されている。

「感染源は、領主邸周辺から南へ広がっているようです。」

報告する医官の声が静かに響く。

「領主とその家族は、今も邸宅内に籠もっています。商人の一部が連絡を取っており、物資の不正流通も確認済みです。」


副長が眉を寄せた。

「つまり、街の腐敗は領主の囲い込みと関係している、ということか。」

「はい。市民の被害を抑えるには、早期の拘束と隔離が必要です。」


卓上の記録には、目撃情報と証拠品の写し。

それらを順に確認しながら、隊長は腕を組んで頷いた。


「全体像は見えた。問題は、我々の体力と衛生状態だな。」


そう言って彼は苦笑する。

長い行軍と転送の疲れが、誰の顔にも滲んでいた。


「まずは休養を取りたい。衛生も整えたい。医療馬車の魔道炉を借りられるか?」


医官長が静かに頷いた。

「湯を沸かすくらいならすぐに。ちょうど温泉水を持ってきています。成分に殺菌効果がありますので、使うには最適でしょう。」


その言葉に、隊の若者たちの目が輝いた。

久しぶりに風呂に浸かれる・・・その期待が、硬かった空気を少し和らげる。


「ありがたい。全員、順に休ませる。明日は捕縛作戦に集中できるようにしておこう。」


そう言って隊長は椅子を立ちかけたが、レイナがひとつ、声を添えた。


「もうひとつ。感染の防止について、事前に薬を投与したいのです。ただ、その薬はまだ手元にありません。今、ここにいるアスランが、それを取りに行きます。」


視線が一斉に向かう。

テントの入口で静かに立っていた青年が、一歩前へ出た。

銀灰の髪が灯に照らされ、鋭い瞳が光る。


「アスランだ。これより仮設基地へ飛び、薬を受け取ってくる。」


隊長が軽く目を見張る。

「飛ぶ、だと?」


「可変戦闘機を使う。弾道飛行なら片道四時間。夜明け前には戻る。」


その言葉が落ちた瞬間、外の空気がわずかにざわめいた。

広場には、移動団の子どもたちと大人たちが集まっている。

皆、夜空を見上げ、いまかいまかと何かを待っているのだ。


レイナが微笑みを含んで言う。

「みんな、あの機体が見たくてね。戦の道具ではなく、“希望”として覚えておきたいのだそうです。」


アスランは静かに頷き、短く息を整えた。

「行ってくる!」


外に出ると、広場には灯がいくつも灯っていた。

捕縛隊と移動団の子どもたちが輪になり、大人たちがその後ろで見守っている。

夜風が少し冷たく、火の粉がちらちらと舞う。


その輪の端に、アスランの家族が立っていた。

妻のレイナが娘の肩に手を置き、静かに微笑んでいる。


アスランは歩み寄り、そっと二人の前で膝をついた。


「では、行ってくる。」


リセアが軽く首を振る。

「あなた、気をつけてね。無理をしないで。」


彼はわずかに笑みを浮かべ、娘の頭を撫でた。

「みんなと仲良く待っているんだぞ。」


少女は真剣な顔でうなずく。

「うん。お父さん、がんばって。」


「明日の早朝には戻るからな。」


その言葉に、周りの子どもたちが息を合わせるように声を上げた。

「いってらっしゃい!」


一瞬、夜空に歓声が弾けた。

アスランは力強く笑い、胸を張って応える。


「おう! 行ってくる!!」


その声が風に乗って広場を包む。

周囲の大人たちが静かに見送り、子どもたちは目を輝かせながら、これから現れる“銀の翼”を待った。


アスランは、もう一度家族に頷き、ゆっくりと背を向ける。

歩き出したその先。地面に浮かび上がる魔法陣の光が、夜を切り裂く準備を整えていた。

アスランが歩み寄ると、広場の中心に薄い光の輪が広がった。

その足元から、幾重もの魔法陣がゆっくりと回転を始める。

光の線が絡み合い、地面を走るたびに、空気が低く唸った。


「格納庫、開放。」


短く告げる声と同時に、風が弾けた。

眩い閃光の中から、銀白の巨体が現れる。

翼が折り畳まれたまま浮かび上がり、装甲の接合部が次々と解放されていく。

魔法陣の光が機体の縁を走り、可変戦闘機が、静かに姿を整えた。


その光景に、広場の子どもたちは息を飲む。

大人たちでさえ、言葉を失って見上げていた。

炎ではなく、神術と科学が融け合った光の粒。

それが夜気の中で舞い、地面の草を淡く照らす。


娘が小さく呟いた。

「お父さんの……翼だ。」


アスランは、一度だけ振り返って笑った。

レイナが静かに頷き、娘が手を振る。

周囲の子どもたちも真似をして、次々と手を伸ばした。


アスランは操縦席がある下にまわり、座席を降ろす。

座席が下りると、すぐに乗り込み座席を上げて出発準備を整える。

準備が整うと周辺で待機する監視員に合図を送り、周辺の人員が離れると、機体が低く唸りを上げ、砂塵が舞い上がる。

可変戦闘機が地面から離れると、脚部がゆっくりと縮み、機体が地面から、ふわりと浮かび上がる。

轟音はない。

代わりに、地面の草が逆風に揺れ、広場全体が淡く光に包まれた。


「……浮いたぞ……?」

捕縛隊の誰かが呟く。

次の瞬間、外殻を覆う光が波のように広がり、機体の輪郭が徐々に薄れていく。


「おい、消えてるのか……?」

「いや、目の錯覚じゃないか?」

「バカ言え、さっきまであったろ!」


ざわめきの中、機体は完全に姿を消した。

残ったのは、後方に渦を巻く風と、地を舐めるように広がる熱のゆらぎだけ。


子どもたちは両手を伸ばし手を振る。

大人たちは静かに祈る。

その光は、暗い大地をひとすじの希望で裂いていった。


誰もが息を呑んだまま、空を見上げた。

風が一度だけ強く吹き抜け、そのあとには静寂だけが残る。


捕縛隊の若い兵がぼそりとつぶやいた。

「今の、本当に“人が乗ってる”んですか?」

隣の副長が腕を組み、ため息をつく。

「乗ってるさ。だが、あれはもう人の乗り物じゃないな。」


レイナがそっと両手を組み、夜空を見上げた。

「どうか無事に……」


子どもたちはまだ、風の残した軌跡を目で追っていた。

夜空のどこを見ても、もう光はない。

それでも、広場に立つ誰もが感じていた。

あの“見えない翼”が、今も頭上を翔けていることを。



その夜、湯気の立つ簡易風呂では、捕縛隊の兵たちが疲れをほぐしながら、空を見上げていた。

誰かがぽつりとつぶやく。


「明日の朝には、あの光が帰ってくるんだな。」


その声に、湯気の向こうでいくつもの笑いがこぼれた。

夜は静かに更け、明日への鼓動だけが、確かに陣の底で鳴っていた。



可変戦闘機は、夜の雲を突き抜けた。

垂直に伸びた軌跡の下で、王国の灯が豆粒のように遠ざかっていく。

風音は次第に薄れ、代わりに機体の構造材が軋む音が耳に残った。


無線機がチリ、と鳴る。

『こちら地上管制。通信衛星リンク、良好。』

「こちらアスラン。上昇率安定。地上との通信維持を確認。」

『衛星リンク圏外まで三分。幸運を、アスラン飛行士。』


「了解。これより衛星圏外に入る。」


短い応答のあと、アスランは視界の先を見据えた。

黒い空の端で、地平が緩やかに湾曲している。

夜と朝の境界線が、まるで一本の細い刃のように世界を分けていた。


「これが、神の目線に一番近い高さか。」


静かな独白。

計器の針が零点を過ぎ、機体は重力から解き放たれる。

推進炉の炎が細く伸び、弾道の頂点へ。


星々が近くに見えた。

燃料と魔力の噴流が一瞬だけ沈黙し、

アスランの周囲を、完全な静寂が包む。

その静けさは、まるで世界が呼吸を止めたようだった。


次の瞬間、降下警告灯が点灯。

「再点火始める。」

指先がスイッチを弾く。

推進炉が唸りを上げ、重力が機体を引き戻す。


弾道降下、開始。


外殻が赤く染まり、炎の渦が視界を包む。

自動防御魔法が展開し、外気との摩擦を制御。

光の壁の向こうに、海が見えた。

長い砂浜と山影。ソコトラ島だ。


無線が再び入る。

『こちら黎明艦、誘導ビーコン作動中。方位修正三度南東。』

「こちらアスラン飛行士。誘導信号を確認、降下コース一致。」


機体は高度を下げながら、海面すれすれに滑る。

波が弾け、夜光虫が光の尾を引く。

水平飛行へ移行すると同時に、下方センサーが反応した。


「ドックゲート、開放を確認。」

『潜行モード、承認。ようこそ、アスラン飛行士。』


海面に大きな渦が開いた。

そこに吸い込まれるように、機体は滑り込む。

外界の光が消え、代わりに青白い防御結界が包み込む。


海底を離れた機体は、まるで夜そのものを切り裂くように飛んでいった。

上空から見下ろす港町コルキス

そこには、まだ消えていない無数の“命の灯”があった。

アスランの見つけた熱の群れ。

それが感染源であるのか、希望の残り火なのかは、まだ分からない。

だが、確かなことがひとつある。

この夜、彼と忍は“命を探す方法”を見つけた。

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