005. 神視点からの連絡
忍とその母に迫る危機――
静かに、しかし確実に「排除」の意志が動き始めた辺境伯家。
その気配を、誰よりも早く察知したのは、“神”となったかつてのゲーム仲間・カグヤ。
忍を守るため、彼女は動き出します。
風に乗せた密やかな呼びかけが、遠く離れた王都へ届くとき、再び仲間たちが繋がり始める――。
今回は、「見えない絆」が動き出す導入編です。
王都の夜は、辺境の冷たさとは違う喧騒に包まれていた。
石畳の道を行き交う馬車。衛兵たちの交代のラッパ。光を反射する街灯の炎。
この国の政治と経済の中心である「宮廷行政庁」もまた、夜遅くまで明かりを灯していた。
その建物の一室に、一人の男が書類を束ねていた。
黒髪に銀縁の眼鏡をかけ、緻密な動きで文書を選別していく姿は、まさに“完璧な官僚”そのものだった。
彼の名は、ユーリ・ナカムラ。
前世では外務官僚。戦略ゲームでは補給・外交・諜報部門の長を務めた、忍の信頼厚い師団仲間のひとり。
今はこの国の行政庁に「転生者であることを隠したまま」配属され、着実に人脈と権限を築き上げていた。
「……来たか」
彼はふと手を止め、窓の外に意識を向けた。
誰にも気配はない。
だが、彼にだけは“風がささやいた”ことがわかった。
かつてのゲーム内チャットのように、今は“風”が言葉を運んでくる。
声の主は――神となった、かつての仲間・カグヤ。
(忍に危機が迫っている。屋敷内での排除計画。介入の余地はまだある)
ユーリは書棚から小箱を取り出した。中には、王都の各ギルド・諜報網とつながる“個人依頼の発行印”が納められている。
誰にも知られず、正式な命令ではなく、個人名義で“動かす”ことができる、裏の手段。
「ついに……だな。ようやく、この世界で“俺たちの力”を使う時が来た」
ユーリは静かにインクをつけ、依頼状の羊皮紙に筆を走らせた。
【依頼主:Y.N】
【対象地:辺境伯領 地方第八管区】
【任務:指定対象の非公式保護・脱出支援】
【条件:依頼主の身元および依頼詳細の機密保持】
【報酬:後日調整、必要に応じて現地換金】
【備考:旧師団所属者 優先接触可】
封を閉じた文書を持ち、ユーリは立ち上がる。
この依頼は、冒険者ギルドの私的ネットワークを通じて、信頼できる仲間――現地に潜伏する師団員たちへ届けられる。
「忍。あのときの約束、まだ覚えているか?」
月明かりが差し込む執務室で、ユーリの目は静かに燃えていた。
※※※
辺境伯領の南端、交易路に面した小さな町――カムリ村。
その中央に、ささやかながら活気のある冒険者ギルドの支部があった。
外壁には風雨に晒された看板が掛かり、入り口では野良犬のような魔獣がうたた寝している。
騒がしい都のギルドとは違い、ここには長旅の護衛や物資運搬など、実務に徹した依頼が多く、どこか“働く男たちのにおい”が漂っていた。
「……おや。これはまた、珍しいな」
カウンターの奥で帳簿をつけていた支部長代理が、手元に届いた封筒を見て眉を上げた。
羊皮紙の封には、見慣れぬ印章。そしてその中には、決して公開されない“個人依頼”が入っていた。
依頼文に目を通すと、彼はすぐに部屋の奥に声をかけた。
「いるか。例の男を呼べ。“黒鳥”を」
数分後、裏口から一人の冒険者が姿を現す。
背は高く、旅装束の上に黒い外套を羽織った男。
腰に下げた短剣と小型の魔導具は、実戦向けの実用品でありながら、手入れが行き届いている。
顔には無精ひげ、だが瞳は澄んでいて、どこか“裏を読みすぎる”色をしていた。
「……で、なんだ」
「個人依頼だ。“Y.N”名義。辺境伯領内の“保護対象”確保および移送。詳細不開示。報酬は後日」
男――通称“黒鳥”は紙を受け取り、目を通すと、鼻を鳴らした。
「……来たか。ようやく動いたな、あの人も」
「関係者か?」
「いや、仲間だ。古い付き合いだよ。……一度、命を預けた相手だ」
“黒鳥”は封を握ったまま、ギルドの裏口へと歩き出した。
「どうする? 護衛つけるか?」
「いらん。むしろ、目立たず静かにやる。今回は“子どもと女”だろ? 目立っちゃ台無しだ」
支部長代理はうなずきながら、それでも一つ釘を刺した。
「……場所は“あの屋敷”だぞ。下手をすりゃ、首が飛ぶ」
「なら、飛ばないようにやるだけさ。あの子は……絶対に、見殺しにしない」
風が吹いた。
男の外套がふわりと揺れ、カウンター脇の古い旗――“旧師団章”を模したギルド旗が、静かにたなびいた。
※※※
辺境伯邸は、領内でもひときわ高い石塀に囲まれた、威圧感のある建造物だった。
正面は石畳の広場に面しており、兵士や使用人が昼夜問わず行き交っている。
だが、邸の北東――その端に、ひっそりとした一角がある。
表向きには「使用人の物置」とされているその場所。
それこそが、妾とその子、忍が暮らす離れだった。
“黒鳥”は、屋敷の裏山から石塀を見下ろしていた。
地元の猟師を装って何日も前から入り込み、周囲の地形と見張りの動きを観察していた。
草木をかき分けながら、彼は小さな手帳を取り出す。
そこには簡潔な図と記号が描かれていた。
――午前七時、給仕。
――午前十時、屋敷の侍女が離れの外を通過。
――午後一時、馬に乗った男。短時間で離脱。
――夜間、裏門の警備が一時的に緩む。
(……やはり、あの男が来ていたか)
馬で訪れたのは、辺境伯本人だろう。
視察というよりは、“生きているか”の確認。それ以上の関心はなさそうだった。
だがその無関心こそが、“見捨てる”という前提に見える。
そして、屋敷の侍女たちの動き――これは明らかに「監視」だ。普段の家事の流れとは異なる軌道。
(すでに動き始めてるな。本妻側か? それとも……“口封じ”の準備か)
“黒鳥”は視線を逸らし、離れの東側へと回り込む。
そちらは屋敷の目が届きにくい立地で、林が近い。風向きや陽の傾きからしても、逃走ルートとして最適だった。
(このルートを使えば、夜明け前に抜けられる)
彼は草を踏みしめ、静かにその場を離れた。
――依頼の対象は、子とその母。
戦える者ではない。だが、確実に保護しなければならない命。
(あの坊は、俺が前に仕えてた“師団長”の生まれ変わりだ)
口元がわずかに緩む。
「お前が逃げ道をつくるなら、俺がその道を見張ってやるさ……忍」
※※※
夜も更け、辺境伯邸の敷地は静まり返っていた。
本棟の灯りは落ち、使用人たちも寝静まった頃、離れ家だけがほんのりと灯火をともしていた。
おたきは囲炉裏に薪をくべながら、扉の方へちらりと目をやった。
予感というより“確信”に近いものがあった。
──今日、誰かが来る。
レイナと忍はすでに眠っていた。レイナは薬草の煎じ湯を飲んで横になり、忍は母の腕の中で、小さく穏やかな寝息を立てている。
そのとき――
「……来たね」
扉をノックする音もなく、影のように現れた男が、月明かりを背にして立っていた。
黒い外套に包まれた長身の男。おたきは驚くこともなく、火を挟んで向かい側の床を指さした。
「まずは腰を下ろしなさい。あんたが“その筋”の人なのは、見りゃわかるよ」
「……話が早くて助かる」
男――“黒鳥”は外套のまま腰を下ろし、囲炉裏の火をちらと見た。
火の揺らめきに照らされたその目は、歳月を越えて培われた静かな覚悟を宿していた。
「俺は王都から来た。あんたたちを安全な場所まで送り出すよう、依頼されている」
「“王都”ね……あの娘さんが、動いたのかい?」
「いいや。もっと上の、“神”のほうだ」
おたきの目が細められる。
「……あんた、“しのぶ坊”のことを、どこまで知ってるの?」
“黒鳥”は一瞬だけ目を閉じた。
その声は低く、だが確かな敬意を含んでいた。
「俺は……あの子の“かつての部下”だよ」
おたきの手が、囲炉裏の横でわずかに震えた。
「……そうかい。じゃあ、あんたも“こちら側”の人間なんだね」
男は無言でうなずき、背中の荷袋から小さな巻物を取り出して、おたきの前に置いた。
「ここに、明日未明の脱出ルートが書かれている。屋敷の見張り、裏門の時間帯、村の協力者の位置……全部だ」
おたきは巻物を受け取り、手早く目を通すと、ふぅと息を吐いた。
「……準備は、できてるよ。あたしの方でも、手を貸してくれる侍女が何人かいる。
なにせ、この屋敷に見切りをつけてるのは、あたしたちだけじゃないからね」
「心強い。あとは、今夜、誰にも気づかれずに“動き出せるか”だ」
おたきは囲炉裏に新たな薪をくべながら、小さく笑った。
「ふふ……あの子が産まれた日から、こうなる気はしてたのさ。
でもね……あの子は、やっぱり“この世界に必要な子”なんだろうね。あたしには、それがわかる」
黒鳥は立ち上がり、外套の襟を立てた。
「明け方、ここに戻る。あんたたちは、俺が出す合図まで絶対に出るな」
「任せな。あたしは“仕込み”が得意でね……隠し通すのも、逃がすのも、年の功ってやつさ」
火の粉がひとつ、パチンと弾けた。
その音だけが、すべての会話を締めくくった。
ご覧いただきありがとうございました。
「神視点からの連絡」では、いよいよ師団仲間たちが再び結び直され、
忍を救うための布石が各地で静かに置かれ始めました。
王都の官僚・ユーリ、現地潜入中の冒険者“黒鳥”、
そして離れで母子を支える老侍女・おたき――
直接出会うことなく、それでも“共通の意志”で繋がる者たちの姿に、
忍が背負う未来の重みが少しずつ形を帯びてきました。
次回、いよいよ脱出へ向けて屋敷内外の協力者たちが動き出します。
どうぞ、お楽しみに。