049. 港町コルキス(1)
港町コルキス。
かつて辺境伯正妻の故郷として栄えたこの街は、今も交易の活気に包まれている。
しかし、移動団が耳にしたのは繁栄の裏に潜む不穏な声――税の重さ、物価の高騰、そして怪しい倉庫の噂。
レイナの号令のもと、調査班が動き出す。
民の暮らしの声、港に並ぶ木箱、そして闇から差し出された古い帳簿……。
表の喧騒の裏に隠された「真実」が、少しずつ形を見せ始める。
※調査班の編成と目的確認
昨夜の宴の余韻がまだ残る広場に、朝の潮風が吹き抜けた。高台のふもとの海岸線に設けられた宿営地では、片付けを終えた焚き火跡からわずかに煙が上がっている。酒にやられた者たちはまだ頭を抱えて横になり、子どもたちは潮だまりで小石を投げて遊んでいた。
ここからは直接コルキスの街は見えない。高台を挟んだ向こう側にある港町のざわめきが、海風に混じってかすかに届くだけだった。
レイナは小さな岩に腰をかけ、全員が集まるのを待っていた。やがて、まだ眠気を引きずった顔や、朝の潮で気持ちを引き締めた者たちが集まり、広場に輪ができる。
立ち上がったレイナの声は、海の音に負けぬように強く響いた。
「これから始めるのは、街の未来を見極めるための調査です。ここは辺境伯の正妻の故郷。そして資金や物資の流れが交錯する港町でもある……。この地をただ通り過ぎるのではなく、しっかりと“見て”おかなければなりません」
団員たちは潮風に髪をなびかせながらうなずく。昨夜の笑顔とは打って変わり、皆の表情に緊張が戻っていた。
続いてイオスが一歩前に出る。手にした羊皮紙を広げ、淡々と指示を告げた。
「班を分ける。
第一班は市場だ。ユーリを中心に母子を含めていくつかの組に分かれ、市井の声を拾う。物価の変動、不自然な流通に目を光らせろ。
第二班は港と倉庫街を監視する。辺境伯領の刻印入りの品があれば報告を。
第三班は街の外縁。農民や荷運び人から生活の実態を聞き出し、税の重さや暮らしの様子を調べろ」
海の光を反射する羊皮紙が、太陽に照らされてきらりと光った。
「目的は、街の“表”と“裏”を見極めることだ。表は活気ある交易、裏は資金や物資の流れ……。その両方を突き合わせれば、この街の真実が見える」
その言葉に、昨日まで無邪気に笑っていた若い団員たちも表情を引き締める。
最後にレイナがもう一度前に出て、声を和らげて告げた。
「恐れることはありません。ただ目を開き、耳を澄ませ、心を働かせてください。未来を選ぶのは、私たち自身なのですから」
静かに風が止まり、波の音だけが広場を満たす。やがて、一人、また一人とうなずきが広がり、全員の視線が前へと向かった。
こうして調査班は、それぞれの任務を胸に、コルキスの街へと歩みを進める準備を整えた。
※市外縁での聞き込み
街を囲む城壁の外、砂混じりの道を歩いていくと、野営地から持ち出された干し草の匂いが鼻をくすぐった。コルキスの周囲には耕地が広がり、収穫を終えた畑に農具を担いだ人々がちらほら見える。荷馬車の軋む音、袋に詰めた穀物を担いで歩く男の背中……どこにでもある農村の光景のはずだった。
だが、すれ違う農民の顔はどこか曇っていた。
イオスの指示で動いた調査班の一組は、街へ向かう荷運び人に声をかけた。若い団員がぎこちなく礼をすると、相手の中年男は一瞬訝しげな視線を向け、しかし疲れたため息と共に足を止めた。
「……なんだい? 旅人か?」
「はい、少し街の様子を知りたくて」
問いかけに、男は肩から滑り落ちそうな麻袋を握り直しながら、吐き出すように言った。
「税が重いんだよ。今までは収穫の一部を納めれば済んだ。だが、今年は倍だ。村じゃ干からびた麦粥をすすりながら生きてるってのに、街じゃ金持ちどもが豪華な宴を開いてやがる」
その言葉に周囲の団員が顔を見合わせる。続けて別の農夫も足を止めた。
「物価もおかしいんだ。塩も布も、去年の倍以上になった。子どもに靴を買ってやれん。倉庫に何か溜め込んでるんじゃねぇのか……そう噂してる奴もいる」
話す声は小さく、誰かに聞かれることを恐れるように辺りを見回した。その怯えた眼差しに、団員たちは胸の奥が重くなるのを感じた。
やがて老婆が杖を突きながら近づいてきた。背は曲がり、皺の刻まれた顔には諦めにも似た表情が浮かんでいた。
「若い衆、あんたらは旅の人かい。だったら覚えときな。街に入れば立派な建物が目に入るだろう。だがな、あれはこの土地の汗と血で建ったものさ。わしらの畑から吸い上げられた金でな」
老婆は遠い目をして街の方向を指差した。指先は震えていたが、その声には憤りと悲しみが混じっていた。
団員の一人が小声で「ありがとうございます」と答えると、老婆は黙って頷き、背を向けて畑に戻っていった。
その場に沈黙が落ちる。団員たちの胸には、ただの噂では済まされない重さがのしかかっていた。
イオスの指示で記録をつけていた者は、羊皮紙に書き込んだ手を止め、深く息を吐いた。
「税、物価、倉庫の噂……全部つながっている。表に見える繁栄の裏で、民は搾られている。」
団員たちは互いに目を合わせ、その事実を胸に刻み込むように頷いた。
城壁の向こうからは市場のざわめきが響いてくる。だが、この場で耳にした声こそ、この街の真の姿を物語っていた。
※市場の調査
石畳の大通りを抜けると、港町コルキスの市場が姿を現した。
朝の光にさらされた露店の布は鮮やかで、魚を並べる桶からは潮の匂いが漂い、香辛料の赤や黄色が風に舞う。呼び込みの声、値切り交渉の怒号、笑い声と子どもの泣き声、ごった返す音が渦となり、旅人を飲み込む。
ユーリを先頭に、調査班は自然に数組へと分かれて散った。母子を含む組は主婦たちの群れに紛れ込み、若い団員は子どもの輪に入り、別の者は商人や露天の親方に近づいていく。
婦人層から得られる声は一様に低く、ひそひそとしたものだった。
「布地が高すぎるのよ。去年は銀貨一枚で買えたのに、いまは倍。これじゃ子どもに新しい服なんて着せられない」
「でも街の奥様方は違うのよ。宝石を散りばめた靴や、豪華なドレスが増えているって。いったいどこから金が流れてるのかしらね」
母娘と一緒に聞き込みをしていた団員は、婦人たちの視線が一様にある方向へ向かうのを見逃さなかった。そこには煌びやかな衣服を着た商人の妻と思しき女性が、従者を連れて優雅に歩いていた。周囲との落差はあまりにも大きかった。
一方、子どもたちの輪に入った若い団員は、小声で不思議な話を耳にした。
「この前さ、父ちゃんが塩を運んでたんだけど、検問で全部取られちゃったんだ」
「そうそう! 俺んちもだ! “領のために必要だ”って言ってたけど、ほんとかなあ?」
幼い声に混じる不満と不安。純粋だからこそ、隠しきれない家庭の事情がにじみ出る。
ユーリは別の角度から市場を観察していた。帳簿を扱う経験を持つ彼の目には、商品の流れや帳場の札が自然と飛び込んでくる。魚や塩、布に至るまで、値段の上がり方が異常に揃っていることに気づいた。
「これは……誰かが意図的に流れを抑えているな」
彼は内心でそうつぶやき、メモを取る手を速めた。
市場の中央で再集合した調査班の面々は、短いやり取りで情報を交換した。
「布や衣服は婦人層に負担大」
「塩や穀物は検問で横取りの噂」
「値段の高騰は一律で、不自然」
書き留められた断片は、やがてひとつの像を形作り始める。
この街の活気ある表情の裏には、民の苦しみと、どこかへ吸い上げられる金と物資の影が確かにあった。
ユーリは静かに視線を上げ、街の奥にそびえる大きな屋敷を見つめた。
その石壁の向こうに、答えが眠っている。そう確信せずにはいられなかった。
※港・倉庫街の監察
コルキスの港は、潮の匂いと怒号とで満ちていた。
湾内には大小さまざまな船がひしめき合い、帆布を巻き取る水夫の声が空に響く。荷を積み下ろす者たちの掛け声、木箱のぶつかり合う鈍い音、魚の腐りかけた匂いと油の混じった空気。港は生き物のように脈打っていた。
その喧騒の中を、ユーリは小さな記録帳を抱え、静かに歩いていた。
彼の目は、群衆を素通りして木箱や荷札へと向けられている。元宮廷役人として膨大な帳簿と記録を見てきた経験は、いまもなお研ぎ澄まされていた。
倉庫街に近づくと、規模の大きな荷揚げが目に入る。汗だくの荷運び人たちが縄を解き、頑丈な木箱を次々と運び込んでいた。
その側面に刻まれた印。見覚えのある紋章に、ユーリの足が止まった。
「……辺境伯領の刻印」
彼は思わず小声でつぶやいた。
団員の一人が怪訝そうに振り返るが、ユーリは首を横に振り、目で制した。軽々しく口にしてはならぬ事実だと知っていたからだ。
木箱の搬入を追って、彼は倉庫の帳場へと足を運ぶ。帳簿をつける書記が慌ただしく羽根ペンを走らせている。
机の端に積まれた控えの帳面に、ふと視線を落とした瞬間、ユーリの目が鋭く光った。
二重計上。
同じ船名、同じ日付。だが数量の記録が異なっている。ひとつは大きく記され、もうひとつは控えめに小さく書かれていた。
大きい方は役所に提出される表向きの数字、小さい方は実際の取り扱い。差分が、どこかに消えている。
「やはり……」
彼は内心で確信した。港の繁栄の裏で、資金と物資が別の流れへ吸い込まれている。表と裏の境目に触れた感覚が、背筋を冷たく走らせる。
そっと帳面の一部を羊皮紙に書き写し、懐に収める。
港のざわめきは止まらない。波が打ち寄せるように人々が行き交う中、誰もこの小さな異変に気づかない。
だがユーリには、はっきりと見えていた。
街の繁栄は、民から奪われた糧の上に成り立っている。
潮風が強く吹き抜け、帆布を揺らした。
ユーリは倉庫を背に、深く息を吸い込み、仲間のもとへと歩き出した。
※裏帳簿の発見
夜の帳が街を覆うころ、移動団の首脳陣は人目を忍んで小路を歩いていた。港のざわめきは遠のき、石畳に残る足音だけが冷たく響く。案内役の黒ずくめの男が、迷路のような路地を軽やかに進んでいく。
「こちらへ。依頼の品は、すでに手に入れてあります」
それは、コルキスの闇に生きる者たち。ギルド《黒鳥》の一員だった。金も力もなく追い詰められた人々を影で支え、ときに禁じられた手を使ってでも真実を暴く者たち。その評判は怪しげでありながら、確かだった。
辿り着いたのは、倉庫街の裏にあるひとつの古い建物。灯火ひとつない中に入ると、狭い部屋の机の上に、ぼろぼろの帳面が置かれていた。
「正妻の実家の帳場に保管されていた古い帳簿……依頼どおり、抜き取ってまいりました」
低い声が響く。イオスが手に取ると、表紙は擦り切れ、紙は黄ばんでいた。しかし、記された文字はまだはっきりと読み取れる。
「これは……」
ユーリが横から覗き込み、息を呑んだ。
そこに記されていたのは、港で見た帳簿とは異なる数字の羅列。表向きの記録と重ね合わせれば、隠された流れが見えるはずだった。
「照合してみよう」
二人は机に並んで座り、蝋燭の炎の下で数字を突き合わせ始めた。
最初は断片的な食い違いにすぎなかった。だが、頁をめくるごとに、ひとつの筋が浮かび上がる。
港から搬出された物資の一部が、公式の帳簿には存在しない。
差し引かれた数字が裏帳簿に記され、別の名義で計上されている。
最終的に行き着く先は、宮廷内のある派閥に属する名。
「……やはりそうか」
イオスの声は低く、冷たく響いた。
ユーリは黙って頷き、筆を走らせながら言葉を重ねた。
「港の繁栄の裏で、資金は王都へ流れ込んでいる。しかも、正妻の実家を経由して。これでは民の暮らしが苦しいはずだ。」
蝋燭の炎が、二人の険しい表情を照らし出す。背後で《黒鳥》の男が静かに立ち尽くしていた。
「真実を暴くのはあんたたちの役目だ。我らは渡すだけ。だが気をつけな。これに触れた者は、必ず狙われる。」
その忠告に、イオスは帳簿を懐に収め、静かに礼を述べた。
「覚悟の上だ。……だが必ず、この流れを止めてみせる」
外に出ると、夜風が冷たく吹き付けた。
手の中にある古い帳簿の重みは、紙切れ以上のものだった。
これは、民の声を裏付ける確かな証拠。
イオスとユーリは顔を見合わせ、無言のまま頷いた。
こうして、街の繁栄の裏を暴く手掛かりは、ついに彼らの手に渡ったのだった。
市場の熱気も、港のざわめきも、民の呻き声を隠すことはできなかった。
黒鳥の手を経て届けられた裏帳簿は、街の影を確かな形にしてイオスとユーリの手に渡る。
繁栄の表裏を知った今、次に必要なのは「どう行動するか」。
移動団の視線はすでに街の外ではなく、国そのものへと向かいつつあった。




