048. 港町ノヴォミ~高台スモトロ (9)
可変戦闘機による帰還と補給物資の到着は、人々に驚きと喜びをもたらしました。
豊かな肉や魚、新しい衣服、そして甘いお菓子や酒。
それらを分かち合う宴は、移動団に久しぶりの安らぎと絆を与えます。
《仮設基地より帰還中。弾道飛行のテストも終了。予想より早く、午前中には到着できる》
青年の声が無線に響く。
忍は即座に応じた。
《了解。移動団は展望台を下り、海岸の広場に移動している。
海上でホバリングし、幻影を解いて姿を見せろ。中央を開けておくから、そこに降りろ》
短いやり取りを終えると、忍は桜通信を開き、イオスへと伝える。
《もうすぐだ。中央を空けておけ。人が押し寄せぬよう、周囲を固めろ。》
イオスの落ち着いた返答が返る。
《了解した。ユーリにも伝えてある》
海風が吹く広場には、すでに大勢の団員たちが集まっていた。
最初に気づいたのは子どもたちだ。
「ねえ、空が揺れてる!」
雲も鳥もいない空に、不思議な歪みが走る。
次の瞬間、青空が破れるようにして影が現れた。
灰色の機体が、羽ばたくことなく海上に浮かんでいる。
「……竜か?」
「いや、違う……翼はあるのに羽ばたかない!」
ざわめきが広がり、人々の視線が一点に集まった。
イオスとユーリは、その姿を見て息を呑んだ。
「……やはり、あれだ」
ユーリの目に懐かしさが宿る。
「前世で俺たちが駆けた翼……」
イオスは低く笑みを洩らし、短く頷いた。
「忘れるものか。仲間が、また空を掴んだ」
レイナは皆の前に立ち、広場を見渡した。
あの機体を見送ったのは、ほんの数日前。すでに自分は知っている。
けれど、こうして多くの仲間の前で姿を現されると、心臓が跳ね上がるのを抑えられない。
「これが、私たちの未来を開く翼」
団員たちに不安を与えぬよう、微笑みを添えて声を張った。
「恐れなくていいわ。これは私たちの仲間の翼よ」
その言葉に、ざわめきの中にも安心が広がっていく。
灰色の機体は音もなく降下を始めた。
潮風が広場を抜け、大地がかすかに震える。
機体が中央に着地すると、一瞬の静寂が訪れ…
「すごい! 空から船が降りてきた!」
子どもの歓声がそれを破った。
あちこちから驚きと興奮の声が飛び交う。
「どうやって浮いてるんだ!」
「人が、中に乗ってるのか?」
「見たこともない形だ。」
人々の視線を浴びながら、機体は静かに広場の中央に鎮座していた。
イオスとユーリは顔を見合わせ、短く言葉を交わす。
「ここから始まる」
「ああ、また俺たちの時代が」
海岸の広場の中央に鎮座した機体は、まるで獲物を狙う獣のように静まり返っていた。
次の瞬間、機首の下で軽い機械音が響き、前輪の近くに設けられたハッチが開いた。
そこから、座席ごと人影がゆるやかに下降していく。
「座席が降りてくる?」
団員たちは思わず声をあげた。
翼の下に並ぶ車輪と、機首の前輪。その配置からは想像もつかない降下方法に、ざわめきが広がる。
最初に地面へ降り立ったのは後部座席の二人だった。
母は驚きと緊張に固く口を結び、娘は瞳をきらきらさせて辺りを見回した。
「すごい! 椅子が降りてきた!」
その明るい声に、周囲の緊張がふっと緩む。
「まさか、人を運ぶものだったとは。」
「しかも、子どもまで。」
団員たちが口々に驚きを洩らした。
続いて、前席から青年の座席が降下する。
軽やかに地面へ着くと、彼は操作盤を叩き、座席を自動的に機体内へと収納させた。
ハッチが閉じ、機体は再び無言の巨人のように静止する。
青年は一歩前に進み、周囲を見渡す。そして、広場の前方に立つ団長の姿を見つけた。
レイナへと歩み寄り、青年は胸に手を当てて深々と頭を下げた。
「団長、任務を終え、物資を積んで帰還しました。」
広場にいた者たちはその言葉を聞き、息を呑んだ。
あの不思議な翼は、確かに彼らの仲間の手にある。
レイナは青年一家を見つめ、静かに頷いた。
「よく戻ってきてくれました。あなたたちの努力と、この翼に感謝します。」
母娘は青年の背後で寄り添いながら、初めて大勢の視線を浴びて小さく会釈した。
その姿に、団員たちの間から自然と拍手が沸き上がった。
青年が機体の側面を操作すると、カーゴポットのひとつが音もなく地面近くまで降下した。
ハッチが開き、中から整然と並んだ木箱や布袋が姿を現す。
イオスが手にした用紙を見比べながら中身を確認し、短く頷いた。
「間違いない。医薬品と道具はすべて揃っている。」
すぐ背後に控えていたユーリが輸送隊に声を張った。
「馬車を寄せろ! 一つずつ運べ、順番を崩すな!」
団員たちが慌ただしく動き出す中、次々とカーゴポットが地面へ降ろされ、積み替えが進んでいった。
だが、最後のポットが開いた瞬間、広場にどよめきが走った。
「これは?」
箱の中には、氷の霧をまとった大きな肉塊。そして、銀色の皮を光らせる魚がずらりと並んでいる。
「凍ってる…だと?」
「まさか…氷魔法で保存しているのか!」
団員たちが目を丸くする。
辺境伯領から来た人々にとって、山奥で海産物を見るのは初めての体験だった。
「海の魚! 塩漬けでしか食べたことがないのに。」
「肉も切り分けられて新鮮なままだ。」
さらに、青年の妻と娘が恥ずかしそうに視線を交わした。
「空いたスペースがあったから、少し詰めてきたの。」
ポットの奥から現れたのは衣料品や下着、布地に包まれた酒瓶、そして甘い香りを放つ菓子の詰め合わせだった。
「お、お菓子だ!」
子どもたちの歓声が上がり、大人たちも驚きに息を呑んだ。
「酒まで、これは贅沢品じゃないか!」
「嗜好品をここまで揃えるとは。」
思わぬ品々に、人々の顔には笑みが広がっていく。
レイナはその光景を見渡し、そっとイオスとユーリに目をやった。
「せっかくだから、この喜びを皆で分かち合いましょう。」
イオスが静かに頷き、ユーリも口元に笑みを浮かべる。
「物資の仕分けが終わったら、広場を片付けろ。宴の準備だ!」
その一言に、広場全体が沸き立った。
「宴だ!」
「新しい家族も加わったんだ。祝いにふさわしい!」
こうして、移動団に新しい家族を迎えたことと、空から届いた豊かな物資を祝う盛大な宴が、
その夜の広場に約束されたのだった。
夕暮れが近づく頃、広場のあちこちから香ばしい匂いが漂い始めた。
「火をもっと強く! こっちは魚だ!」
「肉は厚みを活かして焼け! 塩を惜しむな!」
団員たちは持ち場ごとに分かれ、腕に覚えのある者が次々と料理を仕上げていく。
イオスはふと立ち止まり、調味料の袋を手にした。
中に詰まっていたのは、胡椒や香草、そして醤油にも似た液体の瓶。
「……こんなものまで……」
遠い前世の独身時代、夜な夜な自炊に挑んでいた頃の記憶が蘇る。
「ユーリ、手伝え。昔の勘を取り戻すぞ。」
「おうよ。久々に包丁を握る気になった。」
二人は息の合った手際で魚をさばき、肉に下味をつけ、鉄板の上で豪快に焼き上げる。
香りが立ちのぼると、人々は歓声を上げ、皿を手に集まった。
「うまい! こんなの初めてだ!」
「塩漬けや干し魚しか知らなかったのに、これは別物だ!」
彼らの顔は興奮と喜びで輝いていた。
一方で、母と娘は衣料品の袋を広げていた。
「これは夫婦と子ども用……こっちは独り身の人用ね」
母は落ち着いた声で説明しながら、袋を整えていく。
娘は小さな手で袋を抱え、あちこちに配って回った。
「はい、あなたの分!」
渡された団員は驚き、やがて笑顔で受け取った。
「ありがたい。こんなに自分に合う服をもらえるなんて」
お菓子や嗜好品は、すでに個別に袋詰めされていた。
「人数分あるから、慌てなくていいのよ。」
母が声をかけると、大人も子どもも列を作り、袋を受け取っては顔をほころばせた。
「甘い……本当に甘いぞ!」
「お菓子だ! お菓子が口の中で溶ける!」
配布の手伝いを申し出る者も次第に増え、やがて全員に袋が行き渡った。
広場全体が笑顔に包まれ、食卓には次々と料理が並ぶ。
香ばしい魚、柔らかな肉、温かなスープ、そして甘い菓子。
火を囲む団員たちは互いの皿を差し出し合い、声を上げて笑った。
レイナはその光景を少し離れた場所から見つめ、胸に手を当てた。
「これが“旅を続ける力”になるのね」
イオスも隣に立ち、にやりと笑う。
「酒まであるんだ。今夜は眠れないぞ」
「本当に、母娘の気転に感謝ね」
母娘が機体から降り立ったとき、その服装に気付いた女性団員が目を細めた。
「あの布、見たことがない」
別の母親も声を重ねる。
「手触りが違うわね。どうしてそんな服を?」
母は少し照れながら答えた。
「袋の中に入っていたの。家族単位や独り身用に分けて詰めてあるから、みんなも確かめてみて」
その言葉に導かれるように、人々は自分の荷物の場所へ走っていった。
やがて広場のあちこちで歓声があがる。
「柔らかい……まるで肌が包まれるようだ!」
「子ども用の服も入ってる! しかもぴったりだ!」
こうして、広場は一夜限りの祝祭の場となった。
新しい家族を迎えた喜びと、空からもたらされた贈り物を分かち合う宴は、夜更けまで続いていくのだった。
着替えを終えた子どもたちは、互いの服を見せ合って笑いあった。
「ほら、色が一緒だ!」
「わたしの方が袖が長いよ!」
新しい服はただの布ではなく、子どもたちの間に小さな絆を生み出していく。
一方で、医療班はすでに寝たきりの病人たちを新しい衣服に着替えさせていた。
汗と埃にまみれていた古い布は取り払われ、柔らかい布地が肌を覆う。
温かな食事が口に運ばれると、彼らの顔は安らぎに満ちていった。
「ありがたい」
そう呟いた老人は、そのまま満ち足りた笑みを浮かべて眠りについた。
他の病人たちも同じように、清潔な服と満腹の幸福感に包まれ、静かな寝息を立てていた。
広場では酒を手にした大人たちが次々と笑い声を上げ、賑わいは夜更けまで続いた。
「飲め飲め! 今夜は祝いだ!」
やがて焚き火の周りには酔いつぶれた者たちが転がり、翌朝、さらには翌々日の二日酔いを予感させる光景が広がる。
レイナはその様子を眺め、隣にいたイオスと小さく笑みを交わした。
「皆、久しぶりに心から笑っているわね。」
「そうだな。これなら、どんな難所でも越えていける。」
新しい布地の柔らかさと、食の恵み。
それらは移動団全体に小さな活力を宿し、次の一歩への確かな力となっていった。
朝日が海面を金色に染め、潮風が広場に吹き込んだ。
宴の熱気が冷めやらぬ広場には、昨夜の名残がまだ散らばっている。
焚き火の跡には、酒瓶を抱いたまま眠りこける男たち。
「……うぅ……頭が割れる……」
「水……誰か、水を……」
顔を真っ赤にしたままうめく声があちこちから聞こえ、立ち上がろうとした者はふらりと倒れ込む。
その情けない姿に、周囲の仲間が笑いをこらえるのに必死だった。
そのすぐ横で、子どもたちは新しい服を身にまとい、元気いっぱいに走り回っていた。
「見て見て! ほら、跳ねられる!」
「昨日より軽く感じる!」
彼らの笑い声は澄みきった朝の空気に溶け、広場全体を明るく照らしていた。
娘が母の手を引いて駆け寄り、にこりと笑う。
「おかあさん、昨日のお菓子、まだ残ってる?」
「残ってるわよ。でも朝ごはんのあとね」
そのやり取りに、近くの子どもたちが目を輝かせた。
清々しい声を聞きながら、二日酔いの男が顔を上げる。
「……頼む、声を小さくしてくれ……」
だが子どもたちはおかまいなしに走り回り、笑い声を響かせる。
イオスが苦笑しつつ、ぐったりしている大人を見下ろした。
「昨夜は飲み過ぎるなと言ったはずだ」
ユーリは肩をすくめ、朝食の準備をしている若者たちに向かって声を張る。
「二日酔い組には、まず水と粥を持っていってやれ。立てるのは昼過ぎだろうからな」
レイナは海風を受けながら立ち、元気な子どもたちと、呻き声をあげる大人たちを見比べた。
「まあ、これも旅の一場面ね」
そう呟いた唇には、自然と笑みが浮かんでいた。
宴の夜がもたらした疲労と充足。
その両方を抱えながら、移動団は、また次の段階へと歩み出す準備を整えていった。
宴の熱気が冷め、星空の下で眠りに就く人々。
満ち足りた心は、次なる一歩へ進むための力となります。
嗜好品や新しい衣服がもたらしたのは、単なる贅沢ではなく「皆で旅を続けるための勇気」でした。
そして明日からは、新たな課題が待ち受けています。
辺境伯本妻の故郷…コルキス。
その街の調査は、移動団にとって避けては通れぬ試練となるでしょう。




