046. 港町ノヴォミ~高台スモトロ (7)
海底で建設が進む巨大なドーム都市。透明なチューブを抜けて向かったのは、住宅区画の見学でした。
未知の文明に触れ、家族としての絆を深めていく彼らの姿は、未来への一歩を象徴するようでもありました。
雲を越えた空は、まるで星々を散りばめた大海のようだった。
複座のコックピットで、母子は肩を寄せ合いながら外を見ていたが、やがて女性がそっと口を開いた。
「ねえ……目的地までは、どのくらいかかるの?」
青年は前席で地図を広げながら、ちらりと振り返った。
「直線で三千七百キロほど。今の速度なら、四時間ぐらいで着く」
「よ、よじかん……」
妻は目を瞬かせ、思わず座席に身を沈めた。
「そんなに遠いのに…あなた、前を見てないじゃない!」
前席を覗き込んだ彼女は、青年が視線を地図に落としながら、操縦桿にはほとんど手を添えていないのに気づき、さらに驚きの声を上げた。
青年は小さく笑い、計器のパネルを指さした。
「心配するな。今は自動操縦だ。機体自身が高度と針路を保ってる。俺は監視してるだけさ。」
「自動? 機体が自分で飛んでるの?」
妻は口を押さえ、信じられないというように目を見開いた。
少女が前のめりになり、きらきらした瞳で計器を見つめた。
「すごい! 飛行機がおとうさんのかわりにお仕事してるの?」
「そうだ。だから少しぐらい眠っても平気だ。目的地の近くまで行けば、また俺が操縦を引き継ぐ」
青年の説明に、少女は満足そうに頷き、母の袖を引っ張った。
「おかあさん、寝てもいいんだって!」
妻はまだ半信半疑のまま、青年の背中をじっと見つめていた。
「……本当に、寝てても大丈夫なのね?」
「大丈夫さ。俺は前の世界で、これを毎日のようにやってた。むしろ、この静かな時間に休んでくれた方が助かる」
その言葉に、女性の表情が少し和らいだ。
「……不思議ね。地図を見ながら笑ってるあなたを見て、やっと“本当に空を飛んでるんだ”って実感が湧いてきたわ」
少女は満面の笑みで外の星を指さした。
「じゃあ、夢の中で星の上を走れるんだね!」
その声に、青年は前席で思わず吹き出しそうになりながらも、操縦桿に軽く手を添えた。
その夜、可変戦闘機が空へ舞い上がった瞬間――高台スモトロに残っていた忍は、思わず天を仰いだ。
「しまった……! テストのときはスロットルを絞ってたから、巡航時の轟音を忘れてた!」
轟き渡る音は山並みに反響し、谷を越えて街の方にまで届きそうな勢いだ。
忍は慌てて両手を掲げ、魔法を紡いだ。
「遮音結界、最大展開っ!」
見えぬ膜が幾重にも広がり、耳をつんざく轟音が次第に押し殺されていく。
やがて雷鳴ほどの音にまで抑え込むと、忍は膝に手をついて大きく息を吐いた。
「ふぅ……これじゃ、帰ってくるときも同じだ。……このままじゃ困る」
忍は即座に神通話を開き、仮設基地の技術班へ連絡を送った。
「おーい、そっちに可変機が向かってる。
到着したら、風魔法を使った魔導エンジンに換装してくれ。轟音を風で相殺する仕様だ」
通信の向こうで、技術班の誰かが笑い声を上げた。
「また無茶を言う! でも……面白ぇ!」
忍はさらに付け加えた。
「それから、飛行機そのものを隠す機能も頼む。カメレオンみたいに、空の色と同化させろ」
途端に技術者たちの声が弾んだ。
「隠密機能だって! 前に試作した幻影板を使えば……」
「いや、あれは耐久性が弱い。新しい素材の方がいい」
「どうせ魔改造だ。完成品のどれを突っ込むか考えよう!」
可変戦闘機が到着するまでの時間、技術班は大討論を繰り広げていた。
「遮音用の風魔法陣は、排気口の近くに組み込むんだ」
「隠密機能なら、幻影と光学迷彩を組み合わせろ!」
「どうせなら、積載能力も拡張しようぜ。
武装ベイをカーゴベイに改造して、空輸タンクを作るんだ!」
「物資輸送も兼ねられる……いいな!」
「これで戦闘機が、輸送機にもなるのか」
「まさに魔改造の三重奏だ!」
皆の顔に、子どものような興奮と笑みが浮かんでいた。
忍は通信越しにその熱気を聞き取り、少し呆れながらも口元を緩めた。
「……ほんと、好きだなあ、あの連中は」
彼は再び空を見上げる。
遠ざかる轟音を遮音結界で抑え込みながら、次の帰還を思い描いた。
「……帰ってくるときには、きっと“静かに、姿を消して”帰ってくるはずだ」
スモトロの夜空には、まだわずかに雷鳴めいた余韻が残っていた。
青年は計器に視線を落としながら、後ろを振り返った。
妻と娘は並んで眠り、静かな寝息を立てている。
「そろそろ……見せてやるか」
青年は優しく肩に手を置き、揺すった。
「……ん……?」
「母さん……?」
妻と娘が目を覚ますと、青年は東の窓を指さした。
「見てみろ。ちょうどいい時間だ」
二人が顔を上げると、暗い海の水平線から金色の光がせり上がり始めていた。
やがて太陽が姿を現し、海面を赤く照らす。
「……きれい……」
妻の声は震えていた。
娘は目を丸くし、両手で窓を押さえて叫んだ。
「おひさまが、海から出てきた!」
青年は前席で微笑みながら言った。
「飛んでなきゃ見られない景色だ。これが空の特権さ」
妻は思わず青年の背中を見つめ、静かに呟いた。
「あなたの見てきた世界は……こんなにも広かったのね」
太陽に照らされた進行方向、青い海の上に島影が見えてきた。
よくよく見ると、その先に、点々と光が一直線に並んでいる。
「……あれは?」
娘が身を乗り出す。
青年は操縦桿に手をかけ、真剣な表情に変わった。
「あの光の線へと降りるんだ。滑走路だよ」
彼はスイッチを操作し、自動操縦を解除する。
計器が切り替わり、機体がわずかに姿勢を変えた。
「さあ、降りるぞ」
青年の手元が滑らかに動き、機体は光の道へと降下していった。
エンジンの唸りは抑えられ、衝撃も最小限。
スムーズに接地し、滑走路を駆け抜けると、待機していた誘導員が旗を振った。
「こちらへ!」
誘導に従って進むと、山肌に穿たれた格納庫が口を開けていた。
機体はそこへ収まり、静かに駐機する。
ハッチが開き、家族が地面に降り立つと、数人の技術班が待っていた。
「よく来てくれた! さあ、中へ」
ひとりが前に出て、にこやかに告げる。
「忍殿から依頼された改造を施す。半日はかかる、ここで待っていてくれ!」
案内役の青年が歩み寄り、三人を導く。
「こちらに休憩室がある。作業が終わるまで、安心して休んでいてほしい」
妻はまだ胸を高鳴らせながら頷き、娘は興奮したまま父の手を握りしめていた。
「おとうさん、すごかった! 空からおひさまが出てくるの、忘れないよ!」
青年はその言葉に小さく笑みを返し、格納庫の奥へと歩みを進めた。
案内されたのは、思いがけない空間だった。
山中の格納庫に隣接しているはずなのに、扉を開けば、そこは三つの部屋と広い居間を備えた三LDKの住居だった。
ベッドと机、椅子、本棚がそれぞれの部屋に整えられ、キッチンの隅には銀色の冷蔵庫が鎮座している。
「ここ、本当に基地の中なの?」
妻は目を丸くし、娘も駆け回るように室内を見渡した。
「おかあさん! ここ、街の家より広いよ!」
青年は驚きもしない様子で冷蔵庫を開き、中から飲料と食材を取り出した。
「ほら、朝食も用意されてるな」
並べられたのは数本のジュース、きれいに包まれたサンドイッチ。
さらに彼は棚から調理器具を探り出し、慣れた手つきでサラダを盛り、スープを温めて食卓へと運んでいく。
妻はその光景をただ呆然と見つめていた。
「あなた…どうして、そんなに手際がいいの?」
「前の世界で、こういう部屋に暮らしてたからな。冷蔵庫も、キッチンも、俺には見慣れたものだ」
青年は淡々と答えたが、その言葉に妻はさらに息をのんだ。
テーブルに並んだ皿は、まるで街の上等な食堂のように整っていた。
「いただきます!」
娘が両手を合わせ、嬉しそうにサンドイッチへかぶりつく。
「おいしい! これ、おとうさんが作ったの?」
「いや、半分は冷蔵庫にあったものだ。でも味を整えるぐらいはな」
妻は椅子に腰を下ろし、広い部屋を見渡した。
「この部屋ひとつで、どれだけの人が快適に暮らせるか…街の皆に見せたら、信じられないって言うわね」
そして青年の横顔に目を向け、静かに言葉を続けた。
「あなたが慣れている姿を見ると…やっぱり、わたしたちが知らない世界に生きてきたんだって、実感する」
青年はわずかに笑みを浮かべ、肩をすくめる。
「でも、今は一緒に食べて、一緒に旅してる。それだけで十分だろ」
食後、母子は部屋の中を探検し始めた。
娘は寝室のベッドに飛び乗り、ふかふかの感触に歓声をあげる。
「おかあさん! これ、ふわふわだよ!」
妻は本棚や机を見回し、整然と揃えられた備品に目を奪われた。
「どの部屋にも家具が揃ってるなんて……これ、誰かが住んでいたのかしら?」
青年は笑みを浮かべて答えた。
「技術班の家族持ち用の部屋だろうな。長期駐在する連中が暮らせるようになってるんだ」
妻はため息を洩らし、視線を冷蔵庫や照明へ向けた。
「……街の人たちに見せたら、夢みたいな家だと思うでしょうね」
青年は壁にある魔導式のスイッチを操作してみせた。
「これは照明。触れるだけで灯りが点く」
「本当に…火を使わないのね」
妻の瞳に驚きが宿る。
さらに娘は洗面所に駆け込み、水晶のような蛇口から水を流して声を上げた。
「わあ! 水が出る!」
青年は肩をすくめて笑った。
「便利だろ? ここじゃ当たり前なんだ」
青年はふと壁に備え付けられた受話器を手に取った。
「見学を頼みたいんだが」
短いやり取りを終えると、母子に向き直った。
「海底で建設中のドーム都市を見学できるそうだ。外にエレカーが用意されてる。」
「海底…?」
妻と娘の声が重なり、目を丸くする。
三人は住居を出て、待機していた白い車体に乗り込んだ。
「誰も運転してない……」
妻が驚いていると、青年が頷いた。
「自動運転だ。座っていれば目的地に着く」
エレカーは静かに動き出し、山を抜け、海底へと伸びる透明なチューブへと滑り込んだ。
窓の外には、青く沈む海の中に巨大なドーム群が広がっていた。
光が網のように張り巡らされ、内部には建設中の街並みが形を成している。
娘は顔を窓に押しつけ、叫んだ。
「おうちが、海の中にある!」
妻は息を詰め、ただ見惚れていた。
「……これが、人が暮らす街なの?」
エレカーが停まると、迎えに来た女性技師がにこやかに頭を下げた。
「ようこそ、建設中の都市へ。私は住宅班の案内を担当しています。」
白衣姿の彼女は軽やかな口調で続けた。
「まずは家族用住宅をご案内しますね。飛行隊の方々が入居予定のお部屋です。」
三人は足を踏み入れ、まだ新しい家の匂いに包まれた。
白壁の廊下、広い居間、そして窓越しに見える海中の景色。
「ここに…私たちが?」
妻は思わず声を洩らし、娘は走り回りながら笑っていた。
「ここなら魚が見えるのかな!」
青年は静かに頷き、家族の姿を目に焼き付けた。
これが、最終目的地へと繋がる未来。
次話では、さらに人々の暮らしを彩る場所の見学が描かれます。
日常を支える場を目の当たりにすることで、母子がどのような驚きと感動を得るのか、ご期待ください。




