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038. 夜明けの兆し

ノヴォミの港町に、新たな朝が訪れる。

まだ眠りに沈む人々の目に飛び込んだのは、水平線に浮かぶ鉄の巨影だった。

恐怖と驚きが街を駆け抜けるなか、神殿の指導者たちは「神の加護」としてそれを受け止め、人々を導こうとする。

そして──静かに降下する上陸艇からもたらされたのは、武器ではなく救済の品々。

港町の人々は初めて「神殿を中心に結ばれる意味」を知ることになる。


 夜はまだ明けきらず、港町ノヴォミの街路はひっそりと眠りに包まれていた。

 冷え込む朝の空気に、潮の匂いが重たく漂っている。

 波止場に並ぶ木造の帆船が、かすかな潮騒に合わせてきしみを立てた。


 その時だった。

 沖合を監視していた若い見張りが、ふと水平線に目を凝らした。

 そこに──見慣れぬ影が浮かんでいたのだ。


 「……あれは、島か……?」

 彼は思わず呟いた。


 まだ夜明け前の薄闇に、黒々とした巨影が鎮座している。

 最初は海霧のいたずらかと疑った。だが、目を凝らすほどにその輪郭は鮮明になっていく。

 ──島のように大きい。だが地図にそんな島はない。


 「おい! 起きろ、沖に……沖に島が!」

 慌てて同僚を揺り起こす。

 やがて数人の見張りが集まり、口々に囁き合った。

 「動いてないか?」「いや……あれは、船だ!」


 その瞬間、空の端が白み始め、夜明けの光が巨影を照らし出した。

 朝日を浴びたそれは、木造の帆船とはまるで異質の姿だった。

 直線的で、あまりにも巨大。港に停泊する「誇り」とされる交易船が、まるで子どもの玩具に見えるほどの規模。


 「神よ……あれは……何だ……」

 誰かが震える声で呟く。


 港を行き交う早朝の漁師たちも次々とその異様な姿に気付き、手を止めた。

 網を抱えたまま、櫂を握ったまま、ただ沖を見つめる。

 その表情には恐怖と畏敬が入り混じり、ざわめきが徐々に広がっていく。


 やがて街の方からも「沖に何かがあるぞ!」と声が上がり、眠りから目を覚ました人々が通りへ、丘へと集まってきた。

 子どもを抱きしめる母親、老人を支える若者。

 誰もが見上げるその先に、朝日に金色に輝く“鉄の島”が、静かに浮かんでいた。


 ──その光景を、教会の高窓からじっと見下ろしていた影があった。

 ノヴォミ神殿の神官長アンドレイである。

 彼は深く息を吐き、昨夜の忍の言葉を思い返していた。


 「……来たか」


 まだ町が混乱する前に、彼は静かに広間へ向かうため歩を進めた。

 これはただの怪異ではない──神殿に託された“証”なのだと、胸に刻みながら。



 朝日が昇るにつれ、港町ノヴォミは騒然となった。

 丘の上からも、波止場からも、誰もが沖を指さし、声を張り上げる。


 「神の船だ!」

 「いや、あれは悪魔の鉄の要塞だ!」

 「見ろ、うちの交易船が豆粒みたいに見えるぞ!」


 街の通りは人で溢れ、子どもを抱きかかえる母親、慌てて祈りを捧げる老婆、口々に叫び合う若者──その全てが恐怖と興奮に揺れていた。


 やがて浜辺へと人々が雪崩れ込む。波打ち際まで押し寄せ、巨大な艦影を見上げては、誰もが言葉を失った。

 港に並ぶ帆船が、まるで小舟のように縮んで見える。

 そこに佇むのは、確かに“鉄の島”。


 「静まれ!」


 重厚な声が広場に響いた。

 振り向けば、神官たちを従えたノヴォミ神官長アンドレイが立っていた。

 朝日を背に受け、その姿は荘厳な影を落としている。


 群衆はその声に押し黙り、期待と不安の入り混じった眼差しを彼に注いだ。


 「これは恐れるものではない。神が我らに授け給うた、恵みの証である」


 アンドレイの低く落ち着いた声が、波の音を越えて響いた。

 その耳に、小さな黒い器具が掛かっているのを、神官の一人が気付いた。


 「……神官長様、その耳飾りは……?」


 囁かれた問いに、アンドレイは一瞬だけ目を細め、昨夜の出来事を思い出す。



回想・・・前夜、神殿の広間にて


 忍が小さな手を差し出して言った。

 「これを、神具として渡すよ。名前は“桜通信”」


 「桜通信……?」

 アンドレイが首を傾げると、忍はにこりと笑った。


 「手を上にして、“桜通信”って唱えてみて」


 促されるまま手のひらを上に向け、アンドレイは声を出した。

 「……桜通信」


 その瞬間、手のひらに桜色の光が咲き、淡い光の粒が集まって小さな耳掛け式の器具となった。

 思わず息を呑み、指先でそれを掴み取る。


 「……これは……」


 「耳に掛けてみて」


 恐る恐る装着すると──耳の奥に直接、忍の声が届いた。

 『聞こえる?』


 「な……!? 耳の奥に……声が……!」


 『これが桜通信。神殿同士を繋ぐ神具だよ。恐れることはない。

 明日、この港を導くために、あなたが持っていて』


 光をまとった器具の感触は、確かに人の技ではなかった。

 アンドレイは深く頭を垂れ、「神の御業……確かに受け取った」と震える声で応えた。



現在・・・港の群衆の前


 アンドレイは回想を終え、ざわつく人々を見渡した。

 耳に掛けられた“桜通信”が、静かに朝日を反射する。


 「これは神が我らに与え給うた耳飾り──桜通信。

 私は神の声を受け、この港を導くためにここに立っている!」



 人々からどよめきが起きる。

 「神の声を……直接……!」

 「神官長様が言うなら……!」


 恐怖に怯えていた目に、次第に信頼と安堵が宿っていった。

 群衆はざわめきを収め、静かに沖の巨影を見つめる。


 ──そしていよいよ、海の上で動きが始まろうとしていた。



 港町ノヴォミを覆う騒ぎが、ひとまず神官長アンドレイの声によって鎮められた頃──。

 沖合に浮かぶ巨大な艦影に、異変が起きた。


 静かに、まるで海と空の狭間に溶け込むように、その艦の腹部が開いたのだ。

 朝日を反射して淡く輝き、そこから二隻の小舟──否、帆も櫂もない、鋼でできた舟影が、ゆっくりと降下していく。


 「……船を、落としている?」

 見守る群衆から、不安と畏怖が入り混じった声がもれる。


 だが、奇怪だったのはその降り方だ。

 荒れることなく、海面に波紋一つ立てず、まるで水面に吸い込まれるように滑り降りていく。

 通常の舟なら必ず大きな水飛沫を上げるはずなのに、海は静謐を保ち続けていた。


 「波が……立たない……」

 「そんな馬鹿な……」

 漁師たちの目は見開かれ、信じられぬ光景に声を失った。


 浜辺へと進む二隻の舟影。

 その姿は小舟に見えても、近づくにつれ木造帆船よりもなお大きく、堂々たる船腹を誇っていた。


 先頭に立つアンドレイは、耳に掛けた桜通信へ手を添える。

 「忍……今のは」

 耳の奥に小さな声が響く。

 『心配しなくていい。あれは“上陸艇”だ。物資を運ぶための舟だよ。』


 アンドレイは頷き、群衆を振り返った。

 「恐れるな! あれは神の恵みを運ぶ舟である! 人を傷つけるためのものではない!」


 再びざわめきが起きたが、今度は恐怖よりも期待の色が濃かった。

 浜辺に押し寄せる波に乗り、二隻の上陸艇は音もなく砂浜へと近づいていく。


 その甲板には無言の影が並び立ち、整然と動いていた。

 彼らはただ規律正しく手順をこなす姿を見せるのみ。

 それは街の人々の目に、まるで神意に従う兵士のように映った。


 ──やがて、砂を踏む重い音が響き、上陸艇の船腹が開いた。

 暗がりの奥から現れたのは、木箱や樽、覆いをかけられた荷車。

 そして一際目を引く、大型の馬車の影であった。


 「……あれは……」

 群衆の間から息を呑む声がもれる。


 人々の視線が、神の恵みを受け取る瞬間に釘付けとなった。



 上陸艇の船腹が開き、暗がりの奥から光に照らされて現れたのは──。

 木箱、樽、覆いを掛けられた荷車。

 そして、頑丈な鉄の枠組みを備えた医療馬車の姿であった。


 「……あれは、馬車……?」

 群衆の中から驚きの声が上がる。

 「いや、ただの馬車じゃない……」

 木工職人の男が目を細める。「あれは、造りが全く違う」


 整然とした動きで、上陸艇の乗員たちが木箱を次々と浜辺へ運び下ろしていく。

 人々は固唾を飲んで見守った。武具や兵器はどこにもなく、そこにあるのは布に包まれた物資、医療器具、日用品ばかり。


 アンドレイ神官長が、砂浜の前に立ち声を張り上げた。

 「見よ! これは神の恵みである! 戦をもたらすものではなく、我らの命を救うための備えだ!」


 その言葉に人々の顔色が変わる。

 怯えた瞳から、次第に驚きと安堵の色が広がっていった。


 レイナは前へ進み出て、荷を見つめながら小さく息をついた。

 「これで……また旅を続けられる」

 隣のナセルが頷く。

 「はい。神の加護が、我らを見守っているのです」


 医療馬車がゆっくりと降ろされ、砂を踏みしめる音と共に浜へと運び込まれる。

 その重厚な姿を見た信徒たちは、祈るように手を合わせた。

 「……神よ、ありがとうございます……」


 一方、もう一隻の上陸艇からは、大工道具と木材、石材が次々と運び出されていった。

 「これは……教会の修繕用だ!」

 若い神官が思わず叫ぶ。


 古びた屋根、傷んだ壁、長年の雨風で痛み続けていた教会。

 それを見慣れていた信徒たちが、涙を浮かべて手を取り合う。

 「神は……この教会を見捨ててはおられなかった……!」


 作業員が無言で資材を運び入れる光景は、まるで儀式のように整然とし、神聖な雰囲気すら漂わせていた。

 武器ではなく、救済の道具が砂浜を満たしていく。

 人々の心に、確かな安心が芽生え始めていた。



 再び沖合の巨艦が静かに動きを見せた。

 朝日を背に、二隻目の上陸艇が浜辺へと進み出る。

 甲板には再び整然と積まれた木箱、樽、そして布に包まれた大きな荷。


 人々は固唾を呑んで見守る。

 やがて船腹が開かれ、次々と荷が砂浜に降ろされると──その内容に群衆はどよめいた。


 「これは……衣服だ!」

 「見ろ、子ども用の靴まである!」

 「こっちは……石鹸? 香りがするぞ!」


 積まれていたのは、庶民の生活を支える日用品の数々だった。

 麻布の服、丈夫な革靴、保存のきく食料、手触りの良い布。

 そして、箱を開けた子供たちの目を輝かせたのは、木でできた玩具や、甘い香りを放つ小さなお菓子の袋だった。


 「わあ……!」

 幼子が小さな手で木馬の玩具を抱きしめ、はしゃぎ声を上げる。

 母親が涙ぐみながら我が子を見つめ、老女は「こんな贈り物を……神よ……」と膝をついて祈りを捧げる。


 大人たちは自然に手を動かし、荷を仕分けては抱え、列を作って教会へと運んでいった。

 誰に命じられたわけでもなく、街全体が一つになって作業を進める。

 それは単なる物資の配布ではなく、人々が「神の恵みを共に分かち合う儀式」のようであった。


 アンドレイ神官長はその光景を見つめながら、耳に手を添えた。

 桜通信から忍の声が届く。

 『街の人たち、協力的だね。これなら物資もちゃんと行き渡るよ』

 「……ああ。神の加護は、人の心を結ぶものだ」


 そう呟いた彼の横顔には、荘厳な威厳と同時に、どこか柔らかな安堵の色が浮かんでいた。


 やがて子供の笑い声と祈りの声が混じり合い、浜辺は温かなざわめきに包まれた。

 恐怖に揺れていた人々の心は、いつしか感謝と信頼へと変わりつつあった。



 日が高く昇る頃、浜辺の騒ぎは落ち着きを取り戻していた。

 運び込まれた物資はすでに教会に集められ、神官たちが仕分けに奔走している。

 街の人々も進んで手を貸し、列を作って荷を運ぶ姿は、まるで祭りの準備のように活気に満ちていた。


 「こっちは薬だ、慎重に扱え!」

 「衣服は子供用と大人用で分けて! 汚れてない布を先に!」


 普段は互いに顔を合わせることの少ない職人や漁師が、笑顔で肩を並べて働いている。

 物資の重さよりも、その場を包む高揚感が人々の足を軽くしていた。


 広場の片隅で、木馬を抱きしめてはしゃぐ子供の笑い声。

 その横で母親が涙をぬぐい、老女が祈りを捧げる。

 ──人々の心に、「教会を通じて神が与えてくださった恵み」という確信が刻まれていった。


 神官長アンドレイは、桜通信にそっと触れながら空を見上げる。

 沖合にはまだ、あの巨大な艦影が静かに鎮座していた。

 まるで街全体を見守る守護者のように。


 その横に立つナセルは、穏やかに呟いた。

 「これが……神殿を繋ぐ最初の一歩なのですね」

 イリアスも頷く。

 「医療も補給も、国の境を越えて広がっていく……。確かに神の導きです」


 レイナは浜辺に立ち、馬車の前で安堵の息を吐いた。

 「これで、また進める……」

 忍がその隣にちょこんと立ち、にやりと笑う。

 「母様。やっと旅が少し楽になるね」

 「ええ、本当に……ありがとう、忍」


 子供の姿をした息子を抱きしめるその姿は、戦いや神秘のただ中にあっても、紛れもない母と子の絆であった。


 ──この日、ノヴォミの街には「神殿を中心に生きる」という新たな意識が芽生えた。

 恐怖は消え、代わりに「共に支え合う」という温かな灯がともった。

 それはやがて、この世界を繋ぐ大きな網へと広がっていく第一歩であった。


夜明けとともに現れた巨大な艦は、恐怖ではなく希望を運んできた。

浜辺で受け渡されたのは戦のための力ではなく、日々を支える物資と、未来を繋ぐ医療の備え。

驚きと安堵、祈りと笑顔が入り混じるなかで、ノヴォミの街に「共に支え合う」絆が芽生えた。

それはやがて広がっていく神殿ネットワークの最初の一歩──

移動団にとっても、再び歩みを進めるための確かな力となるのであった。

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