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037. 神降ろしと秘められた告知

ノヴォミの港町に辿り着いた移動団は、神殿での会見に臨むこととなった。

医療と補給の連携を語り合うはずの席は、忍の突如の介入、そしてカグヤ降臨という思いも寄らぬ展開へと変わってゆく。


 夜が明け、まだ朝靄の残る谷あいを、移動団は静かに歩み出した。

 前夜の会議で物資不足を確認したせいか、団員たちの顔には自然と緊張が宿っている。

 笑い声は少なく、会話も必要最低限。

 それでも馬たちの吐息と、車輪のきしむ音が旅の継続を告げていた。


 下り道は楽なようで、実際は気を抜けない。馬車の制御は一瞬の油断で大惨事に繋がる。

 御者を務める若者たちは汗をにじませ、しきりに手綱を握り直した。


 昼近く、谷を流れる川が道と交わる場所で、一行は休憩を取った。

 馬たちは冷たい流れに足を浸し、ひときわ大きな嘶きを上げる。

 水を飲むその姿は、まるで心から安堵しているようだった。


 団員たちも川辺に降り、顔や手を洗い流す。

 子どもたちが水をはね合い、一瞬だけ笑顔が広がるが、それもすぐに「水は大事に」との声に収まり、名残惜しそうに川辺を離れた。

 おたきは桶に水を汲み、限られた量で洗濯を済ませようと手早く布を擦る。

 その横でリュカは衣服の縫い目を点検し、針と糸を使って破れを繕っていた。


 午後の道程はさらに静かだった。

 皆、余分な言葉を飲み込み、ただ黙々と歩みを進める。

 腹の虫の音がどこからか聞こえても、誰も笑わない。

 それは空腹を皆で共有している証であり、旅の厳しさを改めて突きつけるものだった。


 やがて日が傾き、二度目の野営を迎えた。

 今夜の夕餉は、干し麦を少しの塩で煮ただけの粥。

 焚き火の鍋を囲んだ団員たちの顔は、火に照らされながらもどこか寂しげだった。

 口に運ぶたびに、物足りなさが胸に広がる。

 けれど誰一人、不満を口にしようとはしない。


 沈黙の中、レイナは焚き火を見つめていた。

 その目に浮かぶのは疲労と不安、しかし同時に、昨夜の夢通信で交わした仲間たちとの約束だった。

 ──補給は必ず届く。私たちはひとりじゃない。

 そう自分に言い聞かせると、胸の奥に小さな火が灯った気がした。


 夜風が焚き火を揺らし、ぱち、と木がはぜる。

 その音に、誰からともなく微笑みが生まれた。

 たとえ粥一杯の夜でも、支え合って歩む旅は、まだ続いていく。



 谷あいを抜ける二日目の朝は、ひんやりとした霧に包まれて始まった。

 馬たちの吐く息が白く、団員たちの顔もどこか引き締まっている。

 昨日よりも会話は減り、歩みは慎重になった。


 長い道のりに加え、節約の影が日々の暮らしに色濃くのしかかっていた。

 昼時、川沿いに降りて休憩を取ると、馬たちは待ちきれないように水へ足を浸し、冷たい流れに身をゆだねる。

 「気持ちよさそうね」

 おたきが桶に水を汲みながら微笑む。子どもたちも小石を投げたり、手を洗ったりして、束の間の遊びに声をあげる。

 だが、やがて「節約よ、水は大事に」と年長の職人が声を掛けると、はしゃぎ声はしゅんと消え、子どもたちは名残惜しそうに水辺を離れた。


 夜の野営。焚き火を囲む面々の手元にあるのは、塩をひとつまみ加えただけの粥。

 腹を満たすには程遠い味だが、誰も文句は言わない。

 ただ、火に照らされた横顔には、寂しさと我慢の影がにじんでいた。

 レイナはそんな団員たちを見つめながら、心の奥で忍との夢通信の言葉を思い返していた。

 ──必ず補給は届く。皆を信じて進もう。

 その確信だけが、胸の灯となって夜を越えさせた。



 三日目の道程はさらに険しかった。

 谷を抜けると、道は崖に沿って続く細い山道へと変わり、片側は切り立った岩壁、もう片側は底の見えない谷だった。

 馬車が通るたび、車輪の軋む音が心臓を締めつける。


 「支えるぞ、押せ!」

 イオスの声に若者たちが飛び出し、馬車の脇に手をかける。

 車輪が石に取られた瞬間、全員で声を合わせて押し戻す。

 汗と土にまみれた顔、荒い息──しかし一歩一歩、確実に進んでいく。


 途中、小さな木橋を渡る場面では、馬が怯えて足を止めた。

 レイナは馬の首を撫でながら、耳元で囁く。

 「大丈夫よ、一緒に渡ろう」

 緊張の糸が張り詰める中、馬が一歩、また一歩と進み出すと、団員たちの胸から安堵の吐息が漏れた。


 日が傾く頃、ようやく難所を越え、平地に近い場所で野営が許された。

 焚き火の周りに座る人々の顔には、深い疲労が刻まれている。

 だが同時に、明日には港町が見える──その希望が、疲れ切った身体を支えていた。


 「あと少しだ」

 誰かが呟いたその言葉に、皆が静かに頷いた。

 火の粉が夜空に舞い、闇へと消えていく。

 その小さな光が、彼らの心にともる希望のように見えた。



 夜明けとともに、移動団は再び歩みを進めた。

 崖道を越えた翌日の朝は、身体の芯まで重く感じられる。馬たちも足取りは鈍く、団員たちの背筋には疲労の色が濃く刻まれていた。


 しかし、谷を抜けて進むにつれ、空気は少しずつ変わっていった。

 潮の匂いが、かすかに風に混じって漂ってくる。

 「海だ……」

 誰かが小さく呟いた瞬間、団員たちの顔がぱっと明るさを取り戻した。


 昼下がり。小高い丘を越えると、遠くに青い水平線と、屋根が並ぶ町並みが見えてきた。

 それが、港町ノヴォミだった。

 歓声が上がり、馬を撫でる手にも力がこもる。


 ──その時だった。


 町外れの道端に、一人の若い神官が馬に跨って立っていた。

 風に揺れる白衣と、手に掲げた神殿の紋章旗。

 彼は団員たちに気付くと、大きく手を振った。


 「イリアス!」

 ナセルが真っ先に声を上げる。


 馬を進めて近づいてきた青年は、晴れやかな笑みを浮かべていた。

 「ようこそ、移動団の皆さん。お待ちしていました」

 その声に、旅の疲れで重かった空気が一気にほどけるようだった。


 彼は、クラズ神殿の訪問医療団の医師長イリアス。

 神通信を通じ、忍から「移動団は半日遅れで到着する」と知らされていた彼は、この瞬間を待ちわびていたのだ。


 イリアスの先導で、移動団はゆっくりと町へ進んでいく。

 ノヴォミの人々が、道端から不思議そうに彼らを見つめる。

 その視線を浴びながらも、団員たちの心には安堵の灯がともっていた。


 やがて一行は、ノヴォミ神殿の白い尖塔が見える広場に差しかかる。

 イオスや職人頭コーサたちは、馬車を神殿近くの所有地へと導いていく。

 一方、団長レイナと神官ナセルはイリアスの案内を受け、神殿長との会見のため、厳かな扉の前に立った。


 長い道程の果て、ついにたどり着いた港町。

 しかし、ここからが本当の対話と調整の始まりであることを──レイナは胸の奥で感じていた。



ノヴォミ神殿の奥、石造りの重厚な部屋に、柔らかな陽光が差し込んでいた。

机の上には羊皮紙の束と数本の羽根ペン。窓の外からは港町特有の潮風が入り込み、室内の緊張感を少し和らげていた。


神官長は深い皺を刻んだ顔に厳格な表情を浮かべ、出席者を見渡した。

向かいには、移動団の団長レイナ。凛とした瞳に、しかし緊張の影が宿っている。隣には神官ナセルが控え、その穏やかな眼差しが彼女を支えていた。

さらにクラズ神殿の医療長イリアスが並び、静かに場を見守っている。


「今回の会談は──」

神官長の声は低く、響く。

「医薬品の補給、そして訪問医療の連携についてである。クラズ神殿の支援と、そなたら移動団の役割を、明確にせねばならぬ」


羽根ペンがさらりと羊皮紙をなぞり、記録が残されていく。

互いの責任をどう分担するか。どこまで支援を行うか。

そのやり取りは、張り詰めた空気の中で淡々と進められていった。


レイナは言葉を選びながら答え、ナセルは補足を加える。

イリアスは必要な場面でだけ口を開き、的確に医療の現場感覚を伝えた。


緊張に包まれながらも、確かに前へと進んでいた。

だが、その瞬間──。


突如、部屋の空気が変わった。

温かな光が差し込むように、淡い輝きが空間を満たしていく。

窓からではない。机の上でもない。部屋そのものが光を帯びたのだ。


「……これは……?」

神官長が目を見開く。


次の瞬間、光の中心から小柄な影が現れた。

幼い姿の少年──だが、その眼差しは、年齢に似つかわしくないほど鋭く落ち着いていた。


「忍……!」

レイナが思わず立ち上がる。

イリアスとナセルは互いに目を見合わせ、「ああ、やはり来たか」と小さく頷いた。


忍はゆっくりと足を踏み出すと、片手を軽く掲げる。

ぱん、と音もなく空気が締まり、外界のざわめきが完全に消えた。

「防音と結界を張った。これで外には漏れない」


その声音は子供らしい高さを持ちながら、不思議な威厳を帯びていた。

神官長は、言葉を失い、ただその姿を凝視していた。


忍が静かに言った。

「カグヤ。出番だ」


光が再び収束し、そこに新たな存在が形を取った。

白く透き通るような衣、背に広がる柔らかな光背。

その姿は荘厳にして神秘、まさしく神の顕現であった。


「我はカグヤ──」

その声は澄んでいて、部屋の隅々まで響き渡る。

「クラズとノヴォミ、二つの神殿に新たな役割を与える。互いに協力し、この地に救いをもたらすのだ」


神官長は椅子から立ち上がり、深々と頭を垂れた。

レイナはただ目を見開き、胸に熱いものを感じていた。


しかし──。

「なにカッコつけてんだ!いつもの調子で話せよ!」

忍の声が空気を裂いた。


神のような雰囲気が一瞬で崩れる。

カグヤはぴたりと動きを止め、次の瞬間、口元がほころんだ。


「あーもう……忍ってば。格好つけたのバレバレじゃん」

声色は一気に柔らかく、まるで現代の女子大生のよう。

「ちょっと荘厳っぽくした方が、信頼されるかなーって思ったんだよ。ほら、説得力って大事でしょ?」


小声で「力、分けるんじゃなかったかも……まっ、いいか。忍だし」と漏らす姿に、神官長は唖然とした。

だが、場の空気はどこか和らぎ、笑いがこみ上げるような温かさに変わっていった。


カグヤは椅子に腰掛けるように軽やかに浮かび、今度は本音の声で語った。


「クラズ神殿は、訪問医療と流通の中継点。

ノヴォミ神殿は、港町の補給と拠点管理。

これからは、神殿同士でしっかり協力してね」


一同は黙って耳を傾けた。

カグヤは続ける。

「もし国同士が争うことがあったら、その仲介役になるのも神殿の仕事。

でもまずは──人を救うこと。医療と奉仕を通して繋がること。そこから始めよう」


最後に、にこっと笑って。

「よろしくね、みんな!」と軽く手を振り、その姿は光となって消えた。


しん、と静まり返る室内。

忍が小さくため息をつく。

「……ほんとに、この人は神様でいいのか?」


その一言に、レイナは思わず笑い、イリアスも口元を緩めた。

だが同時に胸の奥に、確かな導きと使命感が芽生えているのを、皆が感じていた。


神官長の号令で、ノヴォミ神殿の広間に神官と見習いたちが集まった。

灯火が揺れ、壁に影を落とす中、壇上に立つのは幼子の姿をした忍である。


「……皆に伝えねばならぬことがある」


忍が静かに告げると、広間の空気が張りつめる。

次の瞬間、彼の掌から白い光が迸り、壁一面に幕のような輝きが広がった。


そこに映し出されたのは、港外に停泊している巨大帆船の姿。

見慣れた船に、神官たちは「おお……」と安堵混じりの声をもらす。


しかし──その横に、さらに大きな影が重ねられた瞬間、広間は息を呑む静寂に包まれた。

帆船がまるで玩具のように見えるほど、圧倒的な艦影。

全長も、幅も、高さも、桁外れの存在感。


「これが──明日の朝、沖合に現れる船だ」


忍の言葉が響く。

神官たちは顔を見合わせ、誰かが小声で「まさに神の御業……」と呟いた。

やがてざわめきが広がり、若い見習いは目を見開いたまま膝をついた。


忍は淡々と続ける。

「恐れるな。これは神殿に与えられた加護だ。

 その船は、教会と移動団に補給をもたらし、明日の朝、浜辺に降ろされるだろう」


光幕に映し出される物資の映像──木箱、布包み、薬瓶、工具、日用品。

神殿修繕用の資材、街の人々に分け与える奉仕の品。


忍は言葉を結んだ。

「明日、おまえたちが目にするのは信じられぬ光景だ。

 だが忘れるな。これは神の導きであり、恐怖ではなく誇りとせよ」


やがて光の幕がふっと消えると、広間に重たい沈黙が落ちた。

神官長が深くうなずき、厳しい声で言い放つ。


「よいか。これは我らが信仰の証だ。

 神殿の務めを果たす時が来た──各々、覚悟せよ」


静まり返った広間には、重々しい息づかいだけが響いていた。

こうして、二つの神殿に「協力の約束」と「神の加護」が示された。

港町の信仰と日常を支えるノヴォミ神殿、流通と医療の拠点たるクラズ神殿。

やがて広がるであろう神殿同士の結びつきは、国と国の境を超える絆の礎となる。

そして翌朝──人々の眼前に姿を現す巨大な影が、この港町の運命を大きく揺り動かすことになるのであった。


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